プロローグ
時系列では「遥の買ったギフト」の少し前から始まります。
二学期の終わり、恵麻は窓際の一番前の席から教室の後ろを眺めていた。
「うるさいなぁ、バカ芳樹!」
「バカって言うやつがバカだろ。」
「んもうっ。減らず口っ!」
今日もいつもと同じように、親友の遥が幼馴染みの武田君と口喧嘩をしている。
武田君は遥の頭を持っていたスポーツバッグで小突くと、遥に殴られる前に素早く教室を出ていく。
廊下から笑いながら走って行く武田君の声が響いてきた。
さすがにサッカー部だけあって、逃げ足は早い。
いいな、と恵麻は思う。
恵麻は男の子とあんな風に友達みたいな口を利いたことがない。
恵麻は真面目なしっかりもので、学級委員性格だとよく言われる。
ちょっと抜けてるあっけらかんとした性格の遥と、一年生の時からつるんでいるので、余計に恵麻のしっかりとしたところが強調されて見えるのかもしれない。
けれど恵麻は上に兄と姉がいる三人兄弟の末っ子だ。
本当は甘えたがりのところもある。ただ、同級生に対してはそういう部分がでてこない。
兄や姉を見ていると、私たちってみんな子どもだなと思ってしまうのだ。そんな子どもっぽい同級生に向かって甘えるような気持ちにはなれなかった。
遥と武田君は、いつも小学生のような言い合いをしている。
武田君はハルちゃんのことが好きなんじゃないかな?
好きな子にちょっかいを出してからかう。わかりやす過ぎる。
ハルちゃんはおこちゃまなので、全く気づいてないだろうけど・・。
「恵麻ちゃん、お待たせ。もう芳樹ったら、相手をするのが疲れちゃう。」
「いつものことじゃない。すぐに着替えに行く?」
「うん。今日から新しいスコートにしようと思ってるの。ちょっとぐらい太っても新しいウェアが着れたら、プラスとマイナスはゼロだね。」
「ハルちゃん・・・それって危険な考え方だと思う。」
遥は服というかファッションにこだわるタイプだ。テニス部の練習用スコートが新しくなっただけで喜んでいる。でも、腰回りにお肉がついて新品を買ってもらったのを喜ぶのはちょっと違うんじゃないかしら。
遥は胸も大きくて、全体的にポッチャリとしたスタイルだ。
かたや恵麻はスレンダーと言えば言い方がよいが、やせていて胸にも膨らみがない。
テニス部の更衣室で一緒に着替えるたびに、恵麻は遥の胸を少し分けて欲しいと思っている。
運動場をランニングで一周して、テニスコートの隅で素振りをしていると、大勢の男たちの掛け声が聞こえてきた。
「エイッ」「ヤー」「エイッ」「ヤー」
今日はサッカー部が運動場を使うらしい。武田君が先頭に立って走っているのが見える。
「サッカー部も二年生が主流になってるね。」
「うん、三年は秋の大会までの人が多いからね。武田君は部長になったんでしょ。」
「それだよ。芳樹を部長にするなんて、サッカー部も何を考えてるんだかね。」
遥がそう言いながら、素振りを止めて打球板の方へ行く。
恵麻も素振りを切り上げて、遥の後をついて行った。その時、運動場を振り返って武田芳樹の走る姿をチラッと見た。
冬なのに汗をかいて、大勢のサッカー部員を率いて真剣に走っている芳樹。
武田君、教室の中とは全然違う顔だ。今、何を考えながら走ってるんだろう。
恵麻はふと、そんなことを思った。
年末年始は、親戚の家に泊りに行く。
恵麻の家から車で二時間ほどの距離におばあちゃんの家がある。そこには二人の従兄弟がいるので、いつも行くのが楽しみだ。
恵麻は一歳下の中一の俊也を弟のように可愛がっている。しかし俊也の方は、小学校の高学年になった頃から口数が少なくなって、あまり恵麻にまとわりつくことがなくなった。
それがちょっと寂しい恵麻だったが、これも成長過程で仕方がないのかなと思う。
恵麻の兄の純一も中学校・高校とずっと無口を通していた。それが春に大学生になった途端に喋る喋る。誰か違う人格が兄の身体を乗っ取ったのではないかと思ったほどだ。
俊也も大人になったらまた話をしてくれるよね。
「純一、彼女は出来たんかい?」
「そういうのはすぐには出来ないんだよ、ばあちゃん。まぁ今にべっぴんさんを連れてくるから長生きして待っててよ。」
純兄とおばあちゃんが話しているのを聞くと、口元が緩む。純兄はおばあちゃん子だったから、未だに二人は仲良しだ。
「純君も高校生じゃなくなったら一気に大人っぽくなったわねぇ。おばあちゃん、純君は男前だからすぐに彼女ができるわよ。」
伯母ちゃんが座敷の机にご馳走を並べなからおばあちゃんたちの会話に入って来た。
「あ、お箸は私が並べるよ。」
「ありがと、恵麻ちゃん。じゃあそれが済んだらコップを持って来てね。」
「はぁい。」
「女の子はいいわねぇ。うちは男ばっかりだから役に立たなくて。それよりそうと早紀ちゃんがニュージーランドへ行くんですって?!」
「うん。お姉ちゃんの高校へ招待状が来たんだって。」
「ブラスバンドの全国大会に出たら、そういう特典もあるのね。伯母ちゃんも外国旅行へ行きたいわぁ。」
「行ってくりゃあええが。一週間ぐらいは私がご飯をするよ。武志も高校生じゃし、俊也も中学生になったんじゃからお母さんがいなくても大丈夫じゃろ。」
おばあちゃんの加勢に、伯母ちゃんは夢見るような表情になった。
「お義母さん、本当ですねっ!わぁ、それじゃあ来年は海外へ行けるように計画を立ててみようかしら。」
伯母ちゃんがふわふわとした足取りで台所へ行くのについて行く。
「コップを運びまーす。」
「あ、恵麻。これも持って行って。」
お姉ちゃんが冷蔵庫から缶ビールを出してきた。大晦日のご馳走なので、景気よくロング缶だ。
それから二家族の親戚が全員集まって、飲めや歌えの大騒ぎになった。余興にお姉ちゃんがフルートを吹いて、武兄がギターを弾かされた。
そんな喧騒をよそに、俊也が独りで年越しのテレビを観ている。
「トシくん、ご飯はもういいの?お蕎麦が足らなかったらゆでようか?」
「もういい。ねぇ恵麻ちゃん、二日にサッカーの試合があるんだけど来てくれる?」
珍しい。俊也がこんな頼みごとをしてくるのは久しぶりだ。
「いいよ。帰るのは昼って言ってたけど、私だけ後から帰ってもいいし。」
「・・良かった。お正月だから応援の人が少ないんだよね。」
「サッカー、頑張ってるんだね。」
「うん。来年はレギュラーを取りたいんだ。二日の試合はそのポジションを見るのに一年も出してくれるみたいだから。」
「そっか。それは頑張らないと。」
俊也にそんな声をかけながら、恵麻は芳樹のことを思い出していた。
武田君もこうやってポジション争いをしたのかしら。部長になったぐらいだから頑張ったんだろうなぁ。
恵麻は兄の純一の影響で小さい頃からスポーツ観戦をよくしてきた。マンガもスポコンものが家に揃っている。その中のテニス漫画の影響でテニス部に入ったのだが、運動神経が飛び抜けていいわけではないので、今一つのめり込んで部活動が出来ているわけではない。
こうやって本気で頑張っている俊也や武田君が、恵麻にはちょっと眩しかった。
少し気になる存在・・かな。