18 動乱の気配
――静寂が広がるリアン近傍の森に、王国兵士に警護された馬車が走る音が響いていた。
馬車はある屋敷の前で停車すると、警護していた兵士らしき人物が恭しく馬車の中へと声をかけ、降車を促す。
「殿下、到着いたしました」
「ありがとう」
御者が扉を開けると、馬車の中から現れたのはバルスタ王国第二王子マクスウェル・バルスタその人だった。
「では、行ってくるよ」
「恐れながら本当に警護はここまででよろしいのでしょうか?」
マクスウェルのその言葉に異議を唱える人物がいた。
寛介を取り逃した責任を負わされた結果、第一王子直轄の特務小隊の小隊長から降格させられ、警備部隊の隊員となったユークルである。
「それが占星術師殿とお会いする条件だからね」
「ですが――」
「おい、ユークル。殿下に失礼だぞ」
隊長と思しき人物に諌められたユークルは一瞬顔をしかめながらも、一礼しマクスウェルのそばから離れていった。
「失礼しました、殿下」
「いや、構わないさ」
そう言ったマクスウェルは、まったく気にしていない様子で門へと向かう。彼が門へ近づくと、それは鈍い音を鳴らしながら自ら開門した。
屋敷の中へ入っていくマクスウェルを見送って、警備部隊長は指示を出した。
「打ち合わせ通り、結界を張る。魔具を起動しろ」
「はっ」
兵士たちは魔具を取り出すとそれに力を込める。しかしながら、特段何かが起こる様子はない。魔具の不具合だろうかと、焦った兵士は視線を隊長の男へ向ける。
「何をしているんだ、集中しろ」
「は、はい」
兵士たちがしばらく魔力を込めていると、男の表情が変わる。それはひどく醜悪な顔であった。
「よし、いいぞ。繋がったな」
その醜い顔を見た兵士は驚き、あることに気が付いた。
「魔力が、勝手に吸われていく!?」
魔具は使用者が自ら魔力を込めて使用する。だが今、兵士は魔力を込めようとはしていないにもかかわらずどんどんと吸い込まれていく感覚を味わっていた。加えて、その量は加速度的に増加していっている。
「なんだこれは!?」
周りの兵士たちもそれに気づいて騒ぎ始めた。既に魔力欠乏で倒れている兵士もいて、混乱が広がっていく。
「これは一体どういうことですか、警護隊長!」
その中にいながらユークルだけは落ち着いて、男を問い詰める。ユークル自身も魔具を使用していたが、魔力は吸い取られてはいないようだった。
「なるほど、[呪術耐性]持ちか。本当に面倒な男だ」
「呪具だと!?」
呪具は魔具の一種で魔力を込めて使用する点では何も変わらない。しかし、発動すると効果が完了するまで止まることがない“呪い”の効果が付与されている点が通常のそれとは異なる。すべての魔力を吸い取った後は生命力を魔力に変換するものもあり、それを魔力量の少ない者が使用すると命を落としてしまう。
ユークルは加護により与えられた、呪いによる効果を軽減・無効化するパッシブスキル[呪術耐性]により難を逃れたられたが、その他の兵士は今にも死んでしまいそうだ。
「ユークル、お前に与えられた選択肢は二つだ。まず一つ目、お前も呪具に魔力を込めろ。そうすれば他の者から吸い取る量は相対的に減少するから、命だけは助かる者もいるかもな」
呪いを受けないユークルでも、呪具へ通常の魔具のように魔力を込めることは可能である。ユークルの魔力を用いることにより、他の兵士から吸収される魔力が減り、彼らの命が助かる可能性は確かにある。
「二つ目は、今すぐに殺されるかだ」
男は腰に差した剣を抜き、ユークルへとその先端を向ける。
「くそっ……」
「決断は早い方がいいぞ、そら」
男が向けた視線の先で、兵士が一人命を落とした。
ユークルは無様に屈するしかない悔しさに唇をかみしめながら呪具へ魔力を伝える。彼にも魔力欠乏の症状が表れ始めたところで、ようやく呪具からの魔力吸収が止まり、その場に倒れ伏した兵士たちの手から呪具がこぼれ落ちた。
「ご苦労だったな、そしてさようなら」
男が笑みを浮かべながらそう言うと抵抗する間もなく、ユークルの意識は闇へ落ちていった――
――マクスウェルが屋敷に入ると、執事のような格好をしたミノタウロスが出迎えた。
「ヨウコソ、マクスウェル・バルスタ、ドノ。アルジハ、スデニオマチデス、コチラニドウゾ」
「ああ、ありがとう」
人語を操るミノタウロスを見て一瞬驚きつつも、臆せずその執事の案内に従った。案内された部屋には、既に屋敷の主がソファへかけていた。カナエは待ちくたびれたとばかりに艶のある青い髪を指でいじくっている。
「ようやく来たね」
「今日はお時間をいただき、ありがとうございます。バルスタ王国、第二王子マクスウェル・バルスタです」
「ああ、カナエだ。それで? 巷では魔女と呼ばれている私になんの用件だ?」
「っ……」
感情を読み取れない声色で発されたその言葉に、言葉が詰まる。
どれくらい沈黙が続いただろうか。ふとカナエと目が合うと、マクスウェルの脳裏に懐かしい記憶が蘇る。確証はない、しかし確信を持ってマクスウェルは口を開いた。
「ミリアムさん、お久しぶりです」
カナエがフッと笑うと、先程までの刺々しい雰囲気が消える。その様子を見たミノタウロスがカップをマクスウェルとカナエの前に置き紅茶を注ぐと、香り高い匂いが周囲に広がった。
「寛介から話は聞いている。しばらく見ない間に本当に成長したな、会えて嬉しいぞマックス」
カナエは微笑んで、満足そうに言うとカップを手に取った
「それにしてもまさか本当に女性に変装されていたとは思いませんでした」
「いや、それはだな――」
そう言うと、カナエはバツの悪そうな表情を浮かべて語り始めた。その話を聞いたマクスウェルは何も言えず口をつぐんだ。
その様子を見てカナエは微笑を浮かべ、優しい声色で話しかける。
「そんな顔をするな、それで? まさか思い出話をしに来たわけじゃないんだろう?」
そう促されたマクスウェルはしばらくの沈黙の後、ようやく話を切り出そうとした――