60 アントナ②
ミリアムを拘束して五日目、エーベルのほうが限界をむかえようとしていた。
(これ以上時間を掛ければ、賢者様に見限られかねない……!)
状況はミリアムにとって最悪なはずだ。体力と精神力を極限まで削られ、”いつ助かるかわからない”という状態で拷問を堪え続けるなど、少なくとも普通の人間にはできない。それなのになぜ目の前の男は多少の衰弱はあれど平静を装っているのか、それがエーベルには理解できない。
(賢者様から与えられた魔具もこいつにはなぜか意味をなさないようだ)
ただ一つ理解できたのは、追い込んでいるつもりが、いつの間にか追い込まれていたのは自分自身だということだった。だからといって諦めるという選択肢はあり得ない。エーベルが次の手を必死に考えていると、エーベルの部下が何やら叫んでいるのか、声が響いてきた。
『なっ! 何だ貴様ッ、ガッ!』
『賊だっ! 人を集めろ!』
(一体何が起こっている!?)
「ハハハ」という笑い声がエーベルの耳に届く。その声の主はミリアムだった。
もはや限界を超えて衰弱しているにも関わらずミリアムは、愉快そうな笑みを浮かべてエーベルを見ていた。
「何がおかしい!」
「タイムアップだ、エーベル・アントナ」
先ほどまで衰弱し座り込んでいたはずのミリアムが立ち上がってエーベルに声をかける。
「はっ!?」
驚くのも無理はない、先程までミリアムを拘束していたはずの手錠や足枷が壊れて床に転がっている。
「一体なぜ……、いや、何が……?」
なぜ手錠が壊れているのか、タイムアップとは何だと心の声が漏れる。
「気になるなら一緒に見に行こうか」
ミリアムは牢の鉄格子をつかんで広げると、グニャりと歪む。
その様子を見たエーベルは青ざめる。牢が魔力操作で壊されるのは理解できる。人間の力では不可能だが、魔力で強化すれば容易なことだ。
(だが手錠は違う)
ミリアムを拘束していた手錠は、装着者の魔力を用いて“常に”強化魔法を発動する代物だ。もちろん、強度も十分確保されている。だからこそ、エーベルは納得ができない。
(身体強化を行えば話は別だが、魔法は並列して発動できないのではないのか?)
このエーベルの理解は正確ではない。それを理解するためには、魔法について再度詳しい説明が必要だ。
魔法を発動する際は、魔法陣に魔力を注ぐ。魔力を注ぐと一口に言っても発動する魔法によって特徴があり調節が必要である。おもむろに魔力を通したとしても魔法は発動されない。この特徴は魔法の系統により偏りがあり、これが得意魔法を分ける要因だ。さらにいうと得意系統や使い慣れた魔法はその魔力の動きを身体内部で再現することで魔法陣を用いずに発動できるようになる。これをスキルへの昇華と呼ぶ。
このように、ただでさえ微細な調節が必要な魔力の操作を同時に行うことは非常に困難とされている。単純に身体を魔力で強化することでさえ、魔法を発動しながら実行することはできない。魔術師は防御力が無いとされるのはこれが所以だ。
とどのつまり、「魔法を並列して発動するのは難しい」という方が正確であるのだが、その難度の高さから「魔術師は複数の魔法を同時に発動することはできない」という理解が一般に浸透している。エーベルの誤算は、ミリアムの育ってきた環境だ。
ミリアムは加護を鑑定して以来、男としての生活を強いられてきた。そして思春期を迎え、成長していく自分の身体を隠すために魔法を用いている。他人に疑われないようにその状態で魔法を使う必要があったミリアムは魔力の精密な操作を、ひいては、複数の魔法を同時に発動する技術を身に着けたのだった。
「化け物め!」
そのような事情を知らないエーベルがそう叫びたくなるもの仕方ないことだった。
牢からでたミリアムが音の方向へ進んでいくのを、エーベルはおぼつかぬ足取りで追っていく。
「貴様ぁ!ここを五大貴族アントナ家と知っての狼藉かぁ!」
緊急で出動したのだろう、軽装の兵士十名強が侵入者を取り囲んでいる。
「狼藉だぁ? 知らねぇな。俺はただ依頼主を迎えに来ただけだ」
「かかれ!」
三人の兵士が同時に斬りかかる。兵士たちの振るった剣は空を斬り、床に突き刺さった。
兵士たちは侵入者がその場から消えたように見えたようだが、それは誤りだ。
「バカ、上だ!」
周囲の言葉をうけ、三人の兵士たちが目線を向けると天井を蹴り侵入者が飛び掛かってくる。
三人の兵士は何をされたかも理解しないまま、同時に地に這いつくばった。
「三人が一瞬で……!?」
「それよりもあいつ、今何をした?」
「全く見えなかったぞ」
兵士たちは口々にそうつぶやき恐れおののいている。
「威勢が良かったのは初めだけか? 来い」
「舐めるな! 恐れるな、全員でかかるんだ!」
恐怖と羞恥で冷静な判断が出来ない指揮官らしき人物は、突撃を命令する。
結果は言うまでもない。数分もたたないうちに、兵士は全滅した。最後の一人が倒れると同時に絶叫が上がる。
「こ、これはどういうことだっ!」
エーベルは頭を抱え、慌てふためく。
「その様子じゃ助けに来る必要はなかったんじゃないか?」
侵入者が話しかけたのは、エーベルではない。
返答の代わりに、ミリアムの射殺すような視線が侵入者に突き刺さる。その視線を受け、侵入者は額をかいて汗をかいている。
「いやいや、冗談冗談。無事でよかったよ」
「それよりも、首尾は?」
「上々だな、今は帝国の川向いにあるシールっていう町で休んでいる」
「そうか……、ありがとうニカさん」
訳が全く分からないエーベルは、逆上し喚き散らす。
「ミリアム・プランケット! 貴様、わが身可愛さに家族がどうなってもいいのか!?」
今この部屋に存在するのは、エーベル、ミリアム、ニカの三人。エーベル家に属する兵士は一人残らずニカに倒されている。
あまりにも状況が読めていない目の前の男が、あまりにも可笑しくてミリアムは笑ってしまった。
「何を笑っている! 私が一声かければ捕えている貴様の両親の命は無いんだぞ!?」
ツボに入ってしまったのか、笑いが収まらない。やれやれとばかりにニカが代わりに口を開く。
「貴族さんよ、お前が送った刺客は今、第二王子様に尋問されてるぜ」
「な!?」
ようやく正気を取り戻したのか、ミリアムが笑いすぎて滲んだ涙を指で取る。
そしてエーベルにとって絶望的な一言がミリアムから語られる。
「あー、笑った笑った。エーベル・アントナ、すべて対策済みだ」