74 壊れた研究者②
報告から戻ったルグナーは研究室の椅子にもたれかかって放心していた。何人かの部下は彼を心配して声をかけていたが、何を言っても生返事しかない。
気づけば研究室にはルグナー一人が残されていた。
「ついに元帥殿にまで見放されてしまった、このままでは技術部は取り潰される。結果を出さなければ」
「手段を選ばず、何としてでも」
突然、ルグナーの言葉に続けるように背後から声がかかる。驚いて振り返るとローブをきた男が立っていた。
「だ、誰だ。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
「ルグナー・ダムハイト殿、私ならあなたの力になれると思いますよ」
ルグナーが咎めるのをよそに、男はつらつらと話し続ける。その顔にはどこか胡散臭い笑顔が張り付いている。
「加護の後天的な発現、良い発想かと思います。しかし、原理的にそれは不可能なのです」
「な、それはどういう……」
「遺伝した加護が発現するためには、生後1か月までにある条件を満たす必要があります。逆に言うと条件を満たさなかった者はトリガーを失い、一生発現することはありません」
「そんな、まさか……。一体どうしてそんなことを、そのような研究報告はどこでも聞いたことがない」
もう二年も研究に取り組んだルグナーは今更そのようなことを言われても素直に納得する気にはなれない。
「私は違う視点から研究を行っています。既に発現している加護を他人に転写する、それが私の研究成果です」
「そんなことが――、いや、まて成果? まさか」
「はい、すでにこれは理論ではなく実現できる段階にまでなっています」
それは視点が違えど、ルグナーが求めるものと同等の恩恵を帝国にもたらすことができる。しかし、焦っているとはいえ言葉だけを聞いて信じるほどルグナーも思考力は失っていない。
「当然、話だけで信じてもらえるとは思っていません。ルグナー殿、加護はお持ちですか?」
すると、心を見透かすように男はそう言った。
「あ、ああ。私の加護は[体の学者]だ」
「なるほど、では加護を持たない知り合いは? 実際にその者にあなたの加護を転写してみせましょう」
通常の精神状況であれば、明らかな怪しさに警戒するのが当然であるが、藁にもすがりたいほど追い込まれたルグナーはその魅力に抗うことはできない。
「知り合い――」
戦闘力が必要な部隊では加護がほぼ必須とされているが、技術部には加護を持たないものも多い。
「ああ、大丈夫だ」
「では明日のこの時間、またこちらにお伺いします。申し訳ございませんが、ルグナー殿とその方のみでお願いしますね」
そういうと男は立ち去った。ルグナーはふうとため息をついて目を閉じた。
「これで――」
次の日、ルグナーは部下のアインに手伝ってほしいことがあると言って定時後も残るよう指示をした。
「統括、指示された分は終わりましたが、まだ手伝えることはありますか?」
自分だけが頼られたと思って意気に感じたアインは、とても張り切っている。ルグナーは若干の罪悪感を持ちながらも、どうでもよい作業を振って引き延ばしていた。
研究室の扉が開くと、昨日の男が入ってきた。
「何ですか、あなたは。ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ」
男を見てアインがそう窘める。
「いや、彼は私の客だ」
「こんばんはルグナー殿、そちらが」
「ああ、昨日言っていた者だ」
二人の会話についていけず、疑問符を浮かべるアインに男は近付く。妙な雰囲気を感じてアインは後ずさるが、壁に追い込まれた。
「な、なんですかあなたは」
男はアインの抗議に耳を貸さない。
「[睡眠]」
そして男が魔法名を口にすると、アインは意識を失うように眠りについた。
「お、おい。何をするんだ」
焦ったルグナーが声を上げると、男は悪びれる様子もなく、ルグナーに向き直って口を開いた。
「覚醒状態では加護の転写ができないもので。大丈夫です、眠っているだけですから」
「な、なるほど。そういうことなら」
「説明不足はお詫びします。では、ルグナー殿もこちらへ」
男は眠ったアインを近くにあった椅子に座らせると、ルグナーもその隣の椅子に座るように言った。
「それでは、同様に[睡眠]をかけ、加護転写を行います」
ルグナーはゴクリと唾をのんで頷く。
「それでは、しばらくお休みください。――[睡眠]」