68 取引
男の突然の死に、理解が追いつかない寛介たちは呆然と立ち尽くしていた。
すると白衣の男が言葉を発する。
「驚いた、一体どうしたというのかね彼は」
その声色には言葉のような驚きなど微塵も含まれていない。それを聞いた寛介は白衣の男の仕業だと確信する。
「お前、何をしたんだ!」
「まさか君は目が見えていないのか? 今私が何かしたように見えたのかね?」
嫌味ったらしく白衣の男は寛介を馬鹿にした言葉をかける。
「ぐっ!」
言葉に詰まる寛介を見て満足そうに、白衣の男が言葉を続ける。
「むしろ私から見れば、彼を拘束していた君たちの仕業のように見えたがね」
「お前ッ!」
「待て。あれは挑発、乗ってしまえば相手の思惑通りになる」
思わず熱くなってしまう寛介をガレスが制する。
「我らは奴を捕えて然るべき所へ突き出せば良い、あのような下衆の話を聞くだけ無駄だ」
「……」
熱くなっていた寛介だったが、白衣の男を睨みつけているガレスの怒りを通り越したあまりにも冷たい目を見て冷静になった。
「おお、なんと怖い目か。本当に人間かね君は。ところで、君たちの話と技術部を預かっているこのルグナー・ダムハイトの話、どちらを信じるのだろうね、然るべき所は」
確かに、ルグナーと名乗った男を捕えたところで、今回の事件が帝国軍としての正規の仕事なのであれば、きちんと罰が与えられることは期待できない。逆に、寛介たちが罪を被せられる状況は容易に想像ができる。
その言葉を聞いて誰も言葉を発せない中、ガレスだけは落ち着き払っていた。そして、とんでもないことを口にし始める。
「ふむ、そうだな。もし仮にそのようなことがあれば、今度こそ我が全力をもってこの国を滅ぼしてやろう」
(なんだこいつの威圧感は、それだけの力を本当に持っているのか? いや、どうあれこちらには切り札がある)
ルグナーが奥の手を使わせた相手を称賛するように突如手をたたき始める。その行動に寛介たちは警戒を強めた。
「取引といこう」
「突然何を言い出すかと思えば、そんなものに応じるわけが――」
「そういえば――」
寛介の言葉は途中で遮られる。
「――マリア、だったかな」
ルグナーが口にした名前を聞いて、寛介は押し黙る。
「現在、警務部が略取誘拐事件の重要参考人として調査をしている者の名前だ。孤児院を開いていた頃が懐かしかったのか、誘拐事件なんて起こしてしまって。痛ましい話だ」
「そんなでたらめな話があってたまるか!」
根も葉もないことを喋る男に腹を立てて、寛介が怒鳴りつける。
「寂しい老婆起こした悲しい事件、筋は通ってると思うがね」
怒りで言葉を発することのできない寛介に変わってヨナが男へ食って掛かる。
「マリアさんのような老齢の女性一人で何十人もの子どもを誘拐することができるわけがないだろう」
「実行犯は他にいるのではないだろうか、そう、例えば最近彼女の家を宿にしている冒険者とか」
ルグナーは寛介たちを一瞥して言った。
「ともかく事実は本人を直接取り調べればすぐわかることだ。しかし――」
ルグナーは腕組みをしながら、困ったな、と言葉を続ける。
「重要参考人とはいえ、警務部の者が取り調べの際に、行き過ぎた行動を取らないとも言えない。高齢の彼女に耐えられるだろうか……」
その言葉に、堪えきれなくなった美子が口を開く。
「ねぇ寛にぃ。あいつ、ぶち殺して良いよね? 大丈夫、私がやれば一瞬だと思う。跡形も残らないよ」
「我も協力しよう。そしてそのままこの国を滅ぼしてしまえば良い」
「やめろ、二人とも」
先程まで冷静だったガレスも、堪忍袋の緒が切れたのか美子に同意している。逆に怒りで我を忘れそうになっていた寛介はいつの間にか冷静になっていた。
平静を保った寛介に気がついたルグナーが、ようやく本題の取引を持ちかけてくる。
「この事件の黒幕は先程死んだ、その男が犯人であるということにしましょう。そして私が君たちに求めるのは、この事件にこれ以上関わらない、他言しないこの二点のみです」
「俺の要求は子どもたちの解放と、今後二度とこんな事件を起こさないことだ。当然、マリアさんや俺の仲間に手を出すことも許さない」
寛介の言葉を聞いたヨナたちが口を挟む。
「おい、カンスケ、本当にそれでいいのか」
「……マリアさんを巻き込むわけにはいかない」
その言葉を聞いてヨナも黙り込んでしまう。
様子を見ていたルグナーが愉快そうに声を上げた。
「いいでしょう、取引成立です。子どもたちを解放しましょう」
その言葉を聞いた寛介の口角が上がっている。
「良かった」
「はい……?」
寛介が安堵の表情ではなく、不敵な笑みを浮かべていることを不思議に思ったルグナーの背後から声をかかる。
「技術部統括ルグナー・ダムハイト、お前を拘束する」
「ッ!?」
完全に不意をつかれたルグナーが恐る恐る背後を確認すると、そこには鬼の形相のフリードが立っていた。
「マリアさんに手を出そうとしたのは間違いだったな」