46 掌上
ナーガシュの屋敷は突然の襲撃に混乱していた。というのもボーマンが『魔王様から御慈悲を頂きました、代わりに我は帝国へ侵攻することとなります』と言い残し帝国へ向かったため、特に警戒もしていなかったからである。
「どうしてだ、ボーマン様の話と違うぞ!」
「奥様とお嬢様だけでも逃げていただかなければ!」
そう言った瞬間、警備を担っていた兵士二人の首から上の部分が消し飛んだ。
「張り合いがねぇな!」
「騒ぐな、行くぞ」
「へいへい」
その後も男たちは警備兵を物ともせずに、屋敷の奥へ進んでいった。
「お母様、一体何が起こっているのですか」
「静かに」
怯えた様子の母娘が、セーフルームで息を殺している。
屋敷中で、暴れている音が部屋に伝わり、その音は次第に近付いてきていた。
母親が覚悟を決めた様子で、娘と目を合わせながら口を開いた。
「……キアラ、あなただけでもそこの地下の穴から逃げなさい」
「そんな、ならお母様も一緒に!」
キアラは首を縦に振らない。母親がそんな彼女を抱きしめると、頭を撫でながら言い聞かせる。
「できるのならば私もそうしたいけれど、それだとすぐに追いつかれてしまうわ」
「そんな……」
「さぁ、早く」
地下の穴へキアラは押し込まれようにして入る。
「お母様ッ!」
「生きなさい、キアラ。私達の可愛い娘」
母親は笑顔を浮かべてキアラの頬を撫でると、穴を閉じる。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、キアラは地下道を通って逃げ出す。
「っ!」
屋敷の方向から爆発の音とともに衝撃が襲いかかる。衝撃はキアラの体を傷つけ、地下道を崩した。土砂に埋もれたキアラは、大蛇の姿になって進む。
ひたすらに屋敷から遠ざかるように逃げ、ようやくキアラはメソ近くの森へたどり着いた。そこで寛介と出会い現在に至る。
「――私が聞いているのはこの程度だが、何か矛盾するところはあるか?」
「……無い。無いがにわかには信じられぬ」
信じたくない、そのような様子が簡単に見て取れる。しかし、すぐに否定をしないということは思い当たる節もあるということだ。
「なら、自分で確かめればいいさ。数日後、屋敷に仲間と共に訪れる予定だからな」
「……わかった」
そもそも、ボーマンに頷く以外に選択する余地はない。単純な力比べではカナエに敵う道理がないからだ。
「なら話の続きは今度だな」
屋敷の私室で、カナエは紅茶を飲みながら考え込んでいた。
(冥界軍では賢者の正体が知られていない……。私達は根本的な考え違いをしているのか?)
カナエは現状の整理を行う。
賢者は冥界軍の四死将の一人で、人族への再侵攻の尖兵として王国へ潜り込んで帝国と王国を戦争へ導いて力を削ぐことを目的としている。
(であれば、なぜボーマンやラザールといった冥界軍の将兵にも洗脳魔法をかける?)
襲撃の際、捉えたラザールを確認すると、同様の洗脳魔法がかけられていた。
覚醒珠(実際には自爆珠)を使おうとした時の様子からも両名とも、魔王へ恭順しているように見えた。ならば洗脳を行う必要はどこにも無い。
(魔王の命令ではない――?)
そう考えれば辻褄が合う。しかし辻褄が合うだけで、真実は見えてこない。
(冥界軍ですら、賢者の掌の上……? ならその目的は一体……)
その日は考えがまとまることはないまま、夜が更けていった。