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超進学校  作者: やんでるさかきばら
1/3

それは解放である

 死にたい


 今日も私は机に向かってペンを動かす。手に持つものはクレヨンから鉛筆、鉛筆からシャーペンと変わりはすれど、親の期待を背負って机に向かう日々は少なくとも幼稚園に入る前から、一日も欠かす事なく連綿と続いている。そしてその時間は高校に入ってから急激に長くなった。


 超進学校。

 私の通う高校は世間ではしばしばそう呼ばれる。卒業生が続々と東大や京大に現役で(・・・)進学するこの学校では、毎日かなりの量の課題が出され、生徒は予復自習に加え、これをこなさなければならない。いや、学校が強制しているわけではない。課題をやったかをチェックされる事はない。

チェックや強制をするのは生徒の親だ。私の高校の生徒の親は、私の場合は特に母親だが、成績が落ちたり宿題ができてなかったりするとキレる。飯を抜く。やるまで寝させない。故に生徒はこの膨大な宿題をこなさなけ(・・・・・)ればならない(・・・・・・)のだった。


 死にたい


 もう一度、そう心の中で呟いてからページをめくり、次の問題を読む。


『tan1°が無理数であること証明しなさい』


 見た瞬間に解放が頭に思い浮かぶ。背理法でtan1°が有理数だと仮定。帰納法と加法定理を使ってtan1°=(有理数)をtan30°=(有理数)まで持っていって、tan30°=1/√3と合わせて矛盾を指摘すればいい。私は淀む事なくシャーペンをノートに走らせる。

 五分もかからず答案の末尾にQ.E.D.と終止符を打つ。

 しかし、ここで気づく。


 しまった…この問題、√3が無理数である事を証明しなきゃダメなやつだ


 私は証明の結論部を消すべく、左手で消しゴムを握る。

 私は両利きだ。右手で勉強し疲れた時に左手で勉強を続けられるようにと、母に幼少期から鍛えられた。ちなみにこの「私」という一人称も小学生の時に面接対策として親に矯正させられたものだ。

 私は消しゴムで答案の下三行を消してゆく。


 ああ、ダメだ。こんなんじゃダメだ。他のクラスメイト(あいつら)ならこんなミスなく解答を書きあげてるはずだ。ああもう死にたい死にたい死にたい……


 消しながら、私の視界に左の手首が映り込む。そこには何筋もの白い線が走っていた。リストカットの痕だ。私の高校は鬱などの精神病発病者が大半で、リストカット痕のない子の方が少ない。学校もリストカットリストを作成するほどにリストカットが横行している。もちろん私もそのリストに名前が載っている。

 左手首の傷痕がその衝動を沸きあがらせる。


 ダメだ。先にこの問題を解き切らないと……


 私は答案に√3が無理数である証明を付け足し、再びQ.E.D.と締めくくる。

 まだまだ課題は終わらない。時計を見るともう七時。後三十分ほどで母が夕食を告げにやってくる。課題のチェックも兼ねて。どう考えてもその時間内では終わりそうにない。


 このままでは……


 と先の展望を予想していると右手は無意識に机の引き出しを開けていた。中にカッターや彫刻刀、ハサミなどの刃物は入っていない。一回目のリストカットの際に全て取り上げられた。

 私は中にあった小型のセロハンテープを掴む。テープ切りは金属製で、尖った山が蛍光灯の光に白く輝いている。私の心も、その光に照らされて輝き出す。

 テープ切りを手首に当てる。チクチクとした刺激が皮膚をくすぐる。私はそのままスッとテープを横に動かす。微かな痛みと共に左手首に白い跡がついた。そしてそれは徐々に赤みを帯びて膨れ上がる。

 私はそのミミズ腫れに被さるように、もう一度、左手首にテープ切りを押し当てる。さっきよりも強く、刃を押し当てる。

 痛い。でもその痛みが、その先の快楽を想起させる。

 どんどんテープに力を込めていく。プツリと皮膚に穴が開く感覚が指先に伝わる。肉に食い込んだ刃の下から血滲み出る。さらに、さらに力を入れてテープを押し付け、


 ああ、いける……


 そう思った瞬間、私は思いっきりテープ切りを横に薙いだ。その勢いに手からテープが離れ、乾いた音とたてて床に転がる。同時に机に赤い雨が降る。赤い体液はすぐに机の上から漏れ出し、滝となって床に池を作り始める。


 ふふ、へへへ……


 自然と笑みが溢れる。

 思考がままならなくなり、意識は夢現(ゆめうつつ)の快楽に浸る。


 ああ、解放される………


 夢の方へ意識が傾き始めた時、部屋の扉が開く。


「ちょっと! あんた、またやったの!?」


 十回を越える子供のリストカットにもう慣れてしまったのだろう。母は落ち着いた調子で私の側に駆け寄り、慣れた手つきで出血箇所付近を絞めて、心臓より高い位置に持ち上げる。

 霞みがかった視界の中で、母が携帯で救急車を呼びつけるの見ながら私は思った。





 今度はもっと深く(えぐ)らなきゃ………







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