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送信者と件名の一覧が黒文字で表示される。そのずらりと並んだメッセージの送信者の一つが赤字になっていた。
僕はカップ麺の容器を持ったまま動きを止める。
送信者は『運営』。
件名は『書籍化打診のお知らせ』。
僕はおそるおそるメールの本文を開く。
『○×出版社と申します。
作品、拝見させていただきました。非常に面白く拝見させていただきました。書籍化を視野に……』
それはある出版社からのメールを転送したものだった。
僕はぽかんと口を開けて画面を見つめる。
僕に接触してきたのはライトノベルでも大手の出版社だった。出版社が投稿者に連絡を取る際は運営を介しての接触になる。これはサイトのガイドラインにも書いてあり知ってた。
僕は自分の作品のランキングを確認する。更新ペースを落としたので少し落ちて203位。この順位で書籍化の話が来るものなのか?
まず頭によぎったのはいたずらの可能性。けれど、運営側がメールの転送をしているのは疑いがなく、メールのドメインも本物だった。
僕は肩透かしを食らったような気持ちになる。これからが本番ぐらいの気持ちでいたのに、急に最終目標まで到達してしまった。
もしかして、誰か他の人と間違えているのでは? 半ば本気でその可能性を考えたけれど、ランキングをぼんやり眺めているうちに、何も不思議な話ではないと気づいた。
『小説家になろう!』の人気作品を書籍化するのはライトノベルの一つの大きなムーブメントになっている。力を入れているレーベルだと、新刊一覧が「なろう作品」の書籍化で埋められていることも珍しくない。
そんなにバンバン書籍化しているために、総合ランキングの100位台までの作品を見ると、書籍化されていない作品を見つける方が難しい。それで既に上位の作品はほぼ書籍化されているため、僕の順位まで繰り下がっているのだ。
知らず書籍化圏内にいたわけか。しかし、まだはるか遠くの目標だと思っていたものにいきなり到達してしまい、いまいち実感がわかない。
とりあえず、僕は織本さんに報告することにした。メッセージを送ると、数分もしないうちに電話がかかってくる。
『あ、ハラダ君!? 出版社から声がかかったって本当!?』
織本さんは外にいるようで電話の向こうは騒がしかった。僕がメールの詳しい内容を伝えると、織本さんは『おめでとう!』と大きな声で祝福してくれた。
「ありがとうございます。でも、まだ本決まりってわけではないですから」
『いやいや、よっぽど順位が落ちたりしない限り、決まったも同然だよ!』
話していると、じわじわと実感がわいてきた。今頃になって嬉しさがこみあげてくる。織本さんに対しても感謝の気持ちがわいてくる。
「本当にありがとうございます。織本さんのおかげです」
『いやいや、ハラダ君には才能があったんだよ』
「そんなことありませんよ。織本先輩のアドバイスがなかったらここまで来れませんでした」
僕は本心からそう言う。そもそも、織本さんにすすめられなければ、『小説家になろう!』に投稿することもなかった。
もう一度、お礼を言うと織本さんは感極まったような声を出す。
『ありがとう。うんうん、何だか私まで嬉しくなってくるなぁ。私みたいな人間が才能ある人の助けになれたのかなと思ったら嬉しいよ』
「いやいや、何言っているんですか」
僕は慌ててそう言う。織本さんが自分を卑下するようなことを言うなんて珍しいなと思った。
織本さんが平凡だというなら、僕はミジンコとかそう言ったレベルの存在だ。僕が冗談っぽくそう言うと、彼女はくすりと笑って、
『ありがとう……でも、自分でも分かっているからさ。小説も好きだけど、部長やハラダ君みたいに才能ないからね。だから、せめて才能のある人の助けになることが夢だったの』
それを聞いて、僕は彼女が編集者を目指していたことを思い出す。快活に見える織本さんだけれど、色々と思うところはあるのだろう。ここはちょっと励ますようなことを言って好感度をあげるチャンスだなと思った。
「それは違うでしょ」
けれど、僕はつい強い口調でそう言ってしまった。
織本さんの小説は部誌で読んだことがあるけれど、失礼な話、飛びぬけた才能というものは感じられなかった。
けど、かくいう僕だって小説の才能なんてない。『小説家になろう!』で連載してみてそれがよくわかった。インスピレーションによって名文を思いつくことなんてなく、キャラが勝手に動きだすこともなかった。一行一行、泥臭い作業によって書いた。でも、それで書籍化までこぎつけたんだ。
才能がなくとも、理論や技術で人の心を震わせることは出来るんじゃないか。織本さんが僕の理論に興味を示したのも、才能がなくとも理論にしたがえば誰でも面白い小説を書ける、そう僕が言ったからじゃないのか。『小説家になろう!』に投稿し始めたのはそのことを証明するためだと僕は思っていた。
才能がない人間でも努力すればここまでやれるのだと証明できた。僕らに才能はないけれど、必要もないのだ。
『うん……そうだね。ありがとう』
僕の言葉に、織本さんはゆっくりとした口調でそう言った。
少し熱くなってしまった僕は、ちょっと照れくさくなってしまい、ごまかすようにご飯でもどうですかと話を振る。
『うん、いいよ! 色々と今後の話もしたいしね』
織本さんは今、合同説明会の会場にいるらしく、終わり次第、大学で合流しようということになった。
電話を切った後、僕はすぐさま身支度をすませて部屋を出る。早く着きすぎるかもしれないけど、部屋でじっとしていられなかった。外に出ると、雲一つない晴天だった。何だか風景の一つ一つがいつも以上に色づいて見える。僕は軽快な足取りで大学へ向かった。
講義中の時間で、構内を歩く学生はまばらだ。僕はベンチに座り、彼女が来るのを待つ。座っていると、木陰から差す光が心地よく、執筆の疲れがたまっているせいもあって眠ってしまいそうだった。理論と技術によって書かれた小説。それが人に認められた。このことは僕の人生で大きな意味を持った。何も特別な才能がなくとも、人の心を震わせることができるのだ。
心地よさに目を閉じる。すると、織本さんの顔が思い出された。こう言ってはなんだけれど、織本さんには際立った個性というものはない。けれど、彼女の一つ一つの仕草や言葉は気持ちの良いものだった。元気なあいさつやハキハキとしたしゃべり方、細かい気配りや相手を思いやる話し方。姿勢も良く、箸の持ち方ひとつを取ってもキレイだ。
その一つ一つは何も特別なところはない。意識し、努力すれば誰でも出来ることだ。しかし、その集合である彼女は人に特別な印象を与える。僕もそういう風になれるだろうかと思った。僕には小説の才能がない。それと同じように、いわば僕には「人間」という才能が欠けている。人間的に魅力があるわけではなく、面白い話が出来るわけではない。
けれど、小説がそうであったように、才能がなくとも、どうすれば良くなるかを考え続け、試行錯誤を続ければ、いつか人に認められる存在になれるのではないかと思う。
才能なんてものは必要ない。技術があれば人の心に特別な印象を与えることができるはずだ。
たとえ、それら全てが虚構であろうとも。
「――おい、起きろ」
肩を揺すられ、僕は目を開ける。
いつのまにか、うたた寝していたようだった。目の前には知らない男の人がいて、その後ろには部長が立っていた。
「え……どうかしました?」
僕は寝ぼけた声を出す。
青白い顔をした痩せた男。真新しいスーツを着ている。着慣れていない感じを見ると、就活生なのかもしれない。
彼は険しい顔をして、僕を見ている。後ろに控えている部長も不安げな様子で、何かあったのだろうかと思った。
「こんなところで昼寝しているとはな。のんきなやつだ」
男の人は険しい口調でそう言い、にらみつけてくる。いきなりそんな目で見られて、ちょっとむっとする僕だったけれど、そこで彼の顔に見覚えがあることに気づいた。
「あ、あなたは……」
「思い出したか。四年のハラダだよ」
僕は顔を青ざめさせる。四年生のハラダ……コネで内定が決まっていたが、SNSで悪口を言っていたために内定が取り消された人だ。
僕が動揺しているのを見て、彼は後ろの部長を見る。
「ほら、この反応を見ろよ。僕が内定を取り消されたのはやっぱりこいつの仕業なんだ」
「で、でも、何でそんなことを……」
部長はまだ信じられない様子だった。
僕もいきなりのことで似たような顔をしていたと思う。何で彼がここにいるのか分からなかった。
「書籍化おめでとう」
彼が出し抜けにそう言って、僕は目を見開く。そのことはまだ織本さん以外に言っていない。
彼は僕の様子を観察しながら「さっき織本と会ったんだ」と言った。
「内定が取り消されて僕も真面目に就職活動を始めてね。説明会に行ったら、久々に織本と会ったのさ。そこで君の話を聞いてね。嬉しそうに話していたよ、すごい一年生がいるってね。適当に聞き流していたんだが、お前の小説の話を聞いたところでピンときた。お前が何をしたのかね」
どうこの場を切り抜けよう、二人の様子をうかがいながら僕は必死に頭を巡らせるが、彼の見透かすような目を見て無駄だと悟った。
彼は冷たい目で言い放つ。
「お前、うちの学生じゃないな?」