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ネット小説だろうと紙の小説だろうと、小説には変わりないはずだ。それで起承転結の効果がなくなるというのがピンと来なかった。
「『小説家になろう!』の特徴は前に話したよね?」
僕は頷く。『小説家になろう!』の作品は一話一話が短く、手軽に読めるのが人気の理由の一つだと教えられていた。実際に僕もさっきそれで夢中で読んでしまった。
「普通の小説は最後まで読んでから面白いかどうかを判断するよね。でも、『小説家になろう!』ではそうじゃないんだよ。一話だけを読んでその先を読むかを判断する。その一話で面白くないとそれ以上読んでもらえない」
「あっ、そうか」
僕はようやく織本さんの言おうとしていることを察する。そして、自分があまりにも考えなしに投稿していたことに気づいた。僕の考えた起承転結という形式は作品全体で効いてくる理論だ。
たとえば、冒頭、起承転結の『起』の部分だけを読んでも、物語の説明が多くあまり面白くない。そして、その展開の遅さはネット小説では致命的なのだ。『小説家になろう!』の読者は掲載された一部だけを読んで面白いかどうか評価をくだす。無料で読め、他にもたくさんの作品があるのだから、少し読んで面白くなかったら、他のもっと面白い作品に流れる。だから、その一話で読者の心をつかむ瞬発力が必要なのだ。起承転結にはそれがない。
僕は活動前に読んでいたランキング上位の作品を思い出す。確かにかなり展開が早かった。あれはネット連載という場に適応した形だったのだ。
僕はその点を考えることなく、適当にキリの良いところで投稿していた。起承転結が効いていないと、僕の作品は文章が下手で中身がスカスカなだけの作品になってしまう。
空気が沈む。織本さんは僕を励ますように、ことさらに明るい声を出して、
「でも、逆に言えば、起承転結の理論が効くように書き変えればまだ可能性はあるってことだよ! もっと展開を早められないかな?」
「それはちょっと厳しいかもしれないですね……」
展開を前倒ししてしまうと、起承転結の形が崩れて意味を為さなくなる。それこそ本末転倒だ。
何か打開策がないか二人で話し合ってみたけれど、いまいち良い案が出てこない。そうしていると、隣のテーブルに座っていた部長がニヤニヤしながらやってくる。
「またしょうもないインターネット小説の話?」
「またきたよこの人」
僕はうんざりした声を出す。お店に入った時はむくれていた部長だったが、注文した海鮮おしゃれパスタを見ると、目を輝かせて機嫌をなおしていた。今度は話に加わりたくなったのか、先ほどからチラチラとこちらを見ていたのだ。
「無理無理。インターネットみたいなうさんくさいところで小説を書くのはやめて、我がサークルで文芸術を磨くことに専念なさい」
「もう部長のスピリチュアル小説論は聞き飽きました」
「小説とは魂の新たなステージを……」
また部長の文芸トークが始まってしまう。食後ということもあってか急激な睡魔に襲われてしまう。部長の文芸トークを聞いているといつも眠くなっちゃうんだよな。
そうして、またうつらうつらとしていると、それがある種のトランス状態を生んだのか、あることを閃いて僕はハッと目を覚ます。
「そうか、起承転結の中に起承転結があるんだ……」
「また訳わからんことを……」
僕は自分の思いつきに興奮してしまう。何でこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。テーブルに置いたケータイのバイブが鳴る。帰る時間だ。僕は部長たちに挨拶をして、お店を出た。
× × ×
『面白かったです! 次の話も楽しみにしています!』
僕はパソコンに表示された文章を見て、頬を緩ませる。
『小説家になろう!』には感想欄が設けられ、作者と読者が直接やり取りをすることができる。そこに初めて感想がついたのが数日前のこと。以降も好意的な感想がいくつかついていた。
見る目あるじゃないかこの人たち。僕はパソコンの前でうんうんと一人頷く。
僕が思いついたのは起承転結を入れ子構造にすることだった。全体の起承転結の中に一回り小さい起承転結を用意し、さらに小さいものを……というのを繰り返して、連載一回分の分量になるまで分割していく。マトリョーシカ人形のように、起承転結の中に一回り小さい起承転結がおさまっている格好だ。これなら全体の起承転結の形を維持しつつ、短いパートの中にも理論の効果があらわれる。
効果はてきめんで、すぐにアクセス数が伸び始めた。更新するごとに増えていくので、着実に読んだ人の興味をとらえられているんだという手ごたえがある。
アクセス数があがるとともに僕の調子もあがっていった。好奇心や部長への対抗心から始めたことだけど、良い反応をもらえると、素直に嬉しくなってしまう。起承転結で話を作ることに手馴れていき、実践を通して理論への理解も深まっていく。
「感情」とは感覚器官なのかもしれない、と僕は推測した。
では、感覚器官というものは何を媒介にして刺激を受け取るのだろう?
聴覚は振動を媒介に、視覚は光を媒介に刺激を受け取っている。
では、「感情」は何を媒介にしている?
映画を観て感動した場合のことを考えてみた。そこで感情を刺激したのは役者の演技なのか、流れている音楽なのか、美しい映像なのか。色々と要素が考えられる。
では、小説で感動した場合はどうだろうか。小説には役者も音楽も映像もない。そこあるのは文字だけだ。文字以外無いのだから、小説を読んで感動するということは、文字が感情を刺激しているとしか考えられない。
そして、文字というのはつまるところ「意味」の記号である。それを読んで心を動かされるということは、「意味」が人の感情を刺激しているのかもしれない。
「意味」こそが感情の媒介なのだ。
起承転結とはいわば感情を刺激する「意味」を効率よく配置する技術だと僕はおもう。
ファンタジー小説で魔物を倒しにいくときに、魔物を倒すことを中心にエピソードを構成していく。全然関係のない、たとえば遠い国で戦争が起こっていてこれこれこういう情勢でといった情報をいきなり入れたりしない。そのような関係のないエピソードを挿入すると、何がメインの筋なのか分かりにくくなり、意味が感情へと到達しにくくなる。そういった無意味を排除することで、しんとした夜に音がより遠くまで届くように、感情に届きやすくなる。
そうイメージするようになって迷うことがすくなくなり、どんどんエピソードを刈りこめるようになった。同時に、執筆ペースもどんどんあがっていく。プロットの転換点やストーリーの整合性など、僕は執筆の大部分をかなり作業的に行っていた。何度も繰り返し書いているうちにその作業も洗練されていった。それに比例して、読んだ人からの反応も良くなる。僕の隠された才能が開花したとかではなく、ここでは単に技術力があがっただけだ。
作業的な部分が熟練し技術力があがったことで、より読んだ人の感情に届くようになっている。才能やセンスといった先天的なものではなく、技術という後天的に獲得できる能力によって、作品の完成度がかなり左右されているのだ。
そのことは僕を勇気づけた。それまでは不意に手が止まることがよくあった。自分のヘタな文章や厚みのないキャラクターを読み返し、自分にはセンスがない、物語を構築する能力に欠けているのかもしれないと思った。
しかし、小説の大部分が技術で構成されていることが分かってくると、そういう風に思い悩むこともなくなった。技術とは経験を重ねれば重ねるほど向上するものだ。ならば、悩むより手を動かした方が良い。
自分でも気づかないうちに部長の言葉を気にしていたのかもしれない。物語というものは一部の特別な人間にしか作れないもので、型にはめるような僕のやり方は、神聖な行為を矮小化するものなのではないかという不安があった。
しかし、そうではないのだ。物語を作る能力は誰にだって備わっている。何十万もの人が登録し、物語が投稿される『小説家になろう!』がそれを証明していないだろうか。人間には元々物語を作る能力が備わっており、技術を磨くことで人の心を揺さぶるものが書ける。
僕は充実した気分で小説を投稿し続けた。何か霧が晴れたような感じだった。僕の作品は着実に読者数を増やし続け、アクセス数が数百を超える日も珍しくなくなってきた。最初の頃を考えると、すごい進歩だ。
ただ、これでもランキングには程遠かった。今の十倍二十倍のポイントが入ってもジャンル別のランキングにも入れないだろう。さすがに大手サイトだけあって簡単にはいかないようだ。
ただ、ランキング入りは一つの目標ではあったけれど、小説の技術を向上させそれに見合った良い反応をもらえるのが嬉しく、僕は楽しんで小説を書き続けた。
「……んん?」
アクセス数が伸び始めて数週間ほど経った頃。
小説を投稿し始め、目覚めてすぐにアクセス数や感想をチェックするのが日課になっていた。いつも通り布団の中でスマートフォンをごそごそといじっていたのだが、アクセス解析を見たところで文字通り飛び起きた。
「さ、3000……?」
見間違いかと思ってマンガみたいに目をこすってしまう。僕はスマートフォンを投げ出し、パソコンでも確認してみるが、やはり同じ表示だ。
な、なんで……? 僕は喜ぶより先に戸惑った。パソコンの前でじっと考え込む。一晩で十倍以上。意味もなくこんなに跳ね上がるはずがない。
もしかして……炎上したとか? 部長の言っていたことを思い出し、僕は不安になる。いや、でも、炎上するようなことはしていないし、小説の内容にも過激なところはない。
部屋をうろうろとする僕だったけれど、そこで布団の上に投げ出したスマートフォンにメッセージが着ていることに気づいた。
『やったねハラダ君!』
織本さんからだった。彼女も作品の動向をチェックしていたらしい。
僕は『ありがとうございます』と書き、続けて、何でこんなにいきなり人気になったか分かりませんとつけくわえる。
織本さんなら何か分かるかも……そう思いながら送信すると、送って一分もしないうちにメッセージが返ってきた。織本さんは尋常じゃなく返事が早い。
『スコッパーの人たちに紹介してもらったみたいだよ』
メッセージと一緒にURLが送られてくる。開いてみると、それは『小説家になろう!』に関する外部サイトだった。スレッド方式で、色んな人たちが『小説家になろう!』で見つけたオススメの作品を紹介しあっている。ランキングに頼らず、自分の感性にしたがって良作を発掘する人を「スコッパー」と言うらしい。嬉しいことに、その中で僕の作品も紹介されていた。僕はほっとする。同時に、『小説家になろう!』ぐらいユーザー数が多くなると、色んな文化が生まれるのだなと思った。
『この調子ならすぐにランキングに食い込めると思う!』
織本さんのメールに僕はまたお礼の返事をする。
それから数日ほど、僕の作品のアクセス数は大きな伸びを見せた。そして、織本さんの言う通り、ほどなくして異世界・日間ジャンル別ランキングの九十四位にランクインした。
× × ×
「乾杯~~!」
いつもの活動後のご飯。
今日は居酒屋に来ている。この前の文芸展の打ち上げを兼ねて、織本さんが大学近くのお店の予約を取っていた。
「いや~ついにやったね」
織本さんの言葉に、僕はコーラを飲みながら「はい!」と元気よく頷く。
今日は文芸展の打ち上げということになっているけれど、僕の中ではランキング入りした祝杯という気分だった。
日間ジャンル別ランキングにランクインした後、僕の作品はさらに爆発的な伸びを見せていた。あまりの伸びにちょっとビビッてしまったけれど、これは「日間ブースト」と呼ばれる現象で、ランキング入りするとよく起こることらしい。
今では一日のアクセス数は一万を超え、今朝見た時は、日間ジャンル別ランキングで80位まで来ていた。
「でも、これからが本番だからね」
浮かれている僕に向かって織本さんが釘をさす。
日間ブーストは一過性のもので、すぐにランキングが落ち始めることが多い。ここで読者をつかまないとあっという間にランキング圏外へといってしまう。
「はい、気を引き締めていきたいと思います」
口ではそう言いつつも、僕は楽観的な気分だった。今の僕は調子が良いし、日間ブーストの効果がなくなっても踏ん張れる自信があった。
僕は気分よくテーブルの料理を口に運ぶ。今日の食事会はいつになく楽しかった。基本的に文芸サークルは物静かな人が多いのだが、今日はお酒が入ってくることもあってみんな口数が多い。みんな頻繁に席を移動し、普段はあんまり話さない人とも話すことが出来た。
僕も場の雰囲気に感化されていつも以上に口数が多くなる。織本さん以外にも、僕の投稿作品を読んでくれている部員がいたようで、感想を言いに来てくれる。
「――物語とは意味の連なりなのかもしれません」
僕はまたつい調子に乗ってしまい、その人たちに向かって僕の理論を話してしまう。
「なるほどなぁ」
以前とは違って、みんなは興味津々で聞いてくれる。部長の手前、みんな興味のない振りをしていたのかもしれない。みんなが聞いてくれるから、僕は気持ちよく頭の中身を吐き出してしまう。
「印象にのこる物語って、無意味な部分を排除して、意味だけを抽出してるんじゃないかっていうのが僕の考えです。この形式は何かに似ていると思いませんか? それは『記憶』です。たとえば、19950312といった意味のない数字の羅列は覚えにくいですよね。でも、それがたとえば誰かの誕生日だったとしたら覚えやすい。意味があると記憶に残りやすいんです。物語というものは記憶の形と似てるようにおもうんです。当たり前の話、僕たちの脳がそういう風に物事を記憶するからこそ、似た形式の物語は印象に残りやすいとも言えるんですけど」
「……酔っぱらいのたわごとね」
部長の声だ。隅の方の席でチューハイを飲んですわった目をしている。
「インターネットにうつつを抜かすのもいいけどね、あんたは文芸部員なんだから、まずはきちんと活動に出なさい」
「ああ、すみません」
一瞬むっとしてしまったけれど、それについては僕が悪かったので素直に謝る。小説を書くのに熱中するあまり、今日の活動に一時間ほど遅れてしまっていたのだった。
いつもだったら烈火のごとく怒られるところだけれど、部長はため息をついただけで、それ以上は何も言わなかった。僕の作品がインターネットで人気を博すようになってから、部長はあんまり口うるさく言わなくなった。変な話だけれど、これはこれで物足りなさがある。
「あれ……ハラダ君、もしかして、飲んでるの!?」
飲み会の幹事として料理の注文をしたりせっせと働いていていた織本さんが足を止める。最初はソフトドリンクを飲んでいたけど、どさくさにまぎれて僕はチューハイを飲んでいた。
「あ、でも、ちょっとだけですよ」
「一年生は飲んじゃダメだよ!」
織本さんはグラスを取り上げる。
僕はその後も上機嫌で小説のことについて語りあった。いつも以上に口がよく回る。お酒のせいもあるだろうけれど、今の僕は言おうとしていることを瞬時に起承転結に変換して話すことができた。そうやって話すと、みんなの反応も良い。
十一時をまわり、僕はふらふらになりながら帰った。
× × ×
キーボードを打つのがもどかしいほど、話の展開がばんばん思いつく。思いついたアイデアを起承転結の形に落とし込むスピードもどんどん速くなっていく。そのうちに、起承転結の形に落とし込む作業自体必要なくなった。意識せずとも、思いついた瞬間にはアイデアが起承転結の形に整形されているのだ。
柔らかい土をスコップで掘るように、僕の作品はサクサクと順位をあげていった。勢いはとどまることを知らず、すぐに総合ランキングにもランクインするようになった。このまま一気にトップランカーになるぞ――そう意気込む僕だったけれど、総合ランキングにランクインした途端、順位の上昇は急激に緩やかになった。
それまで二けたペースで順位があがることも珍しくなかったのに、まるで硬い岩盤に突き当たったかのようだ。総合ランキングは300位からスタートし、何とか200位まで順位をあげたが、ときには順位が下がることさえあった。
決して僕の勢いが落ちたわけではない。ランキングの指標となるポイントは上がり続けている。だが、僕と同じかそれ以上のペースで、周りの作品もポイントをあげているのだ。
総合ランキングの上位になると、既に書籍化、アニメ化までされているような作品がいくつも連載している。言い訳のようだけれど、実力の差はもちろんとして、こうなってくると知名度も重要な要素となってくる。
何日も200位前後をうろうろする日々が続く。
僕は一度、休息を入れることにした。ここからが本当の勝負どころ、気力を充実させて望まないといけない。
パソコンから離れてシャワーを浴びる。それから、カップ麺をすすりながら、作品についている新規の感想に目を通していく。ざっと目を通すだけでも二、三十分ほどかかった。何だか感覚がマヒしていたけれど、僕みたいな一般人の書いた作品をこれだけの人が読んでくれて感想までくれるなんてすごい話だ。
感想欄に一通り目を通すと、次にマイページのメッセージボックスを開く。作品の感想欄は誰でも見れるようになっているが、こちらのメッセージボックスは僕にしか見れない。メール機能みたいなものだ。ちょっとした応援のメッセージはこっちのメッセージ機能で送ってくる人が多い。
「んん……?」
メッセージボックスを開いた僕は変な声を漏らしてしまう。