3
「――今回の来場者数は去年の三倍ですね」
文芸展が終わって最初の活動。
部員の一人が戸惑った様子で来場者アンケートの結果を発表する。
「来場者アンケートではハラダ君の作品がダントツで評価を得ていました」
それを聞いた僕は得意げに胸を張る。
前に座っている織本さんがこっちを見て、やったね、と唇だけ動かして笑顔を見せる。
僕は照れ笑いをして頷く。何でこんなに人が来たのか最初は不思議だったけれど、あいさつ回りにきていた他サークルの部員が僕の作品を読み、他の部員に勧めてくれたようだった。部員数の多いサークルだったため、そこから口コミが広まったらしい。
「う~む、文章が下手なのに何でこんなに分かりやすいんだ……?」
「キャラもテーマもスカスカなのに、一気に読んでしまった……」
先輩たちが僕の作品のコピーをめくりながら、狐につままれたような顔をしている。
褒めているのか貶しているのか分からないが、何にせよ、より自分の理論に確信を持つことができた。あの作品は起承転結を意識して書いた。その構造がみんなの心をとらえたのかもしれない。
「ちょっと待ちなさいよ。私の作品に票は入っていないの?」
アンケートを聞き終えた部長が不服そうな声を漏らす。部員は困ったように頭をかいて、
「え~っと……部長の作品には一つも入っていないですね……」
「嘘でしょっ。私が魂を削って書いた作品に一票も入っていないって」
「すみません、このアンケート、正確無比です!」
頭を下げる部員に向かって、部長がブチ切れる。
「大体、おかしいでしょうが。なんでハラダの書いたこんなペラペラな小説が大人気なのよ。こんな空疎な小説じゃ人の心は震わせられないわよ」
「アンケートに書かれた感想を読み上げます。心が震えた、マジで泣いた、サイコー……」
「ウソだろおい」
「は~い、じゃあ、ご飯食べに行く人~?」
活動の時間が終わり、織本さんが手をあげる。文芸サークルでは、活動後、ひまな人たちで晩御飯を食べに行くのが恒例になっていた。今日はほとんどの部員が参加して十数人ほどになった。この人数になると、食べる場所は大学近くのファミレス一択になる。
「ジョイフルに行くわよ~~」
ファミレスに着くと、織本さんが席が空いているか確認しに店に入る。この時間は他のサークルも活動を終えて混み合う。ただ、今は運よく他のお客さんが出るところみたいで、全員入れそうということだった。
「ただ、全員同じテーブルは無理みたい。二人だけ別の席になっちゃうね」
「じゃあ、もうちょっと席が空くのを待ちましょうか。みんな一緒がいいでしょ?」
「あ、いいよ。私、ハラダ君と話したいことがあるから、私とハラダ君は別の席に行くね」
「えっ」
僕はびっくりする。部長もびっくりした様子で、
「えっ、なに話したいことって」
「うん、ちょっと文芸に関係することでね」
そこで他の部員が部長の背中を押す。
「これでいいんですよ部長」
「これもまた文芸の一ページです」
「ハラダ、文芸に華を咲かせてこい!」
部長たちは奥の席に消えて行き、僕と織本さんだけになる。
「ハラダ君は何にする?」
窓際の席に座ると、織本さんはいつもと変わらない調子でメニュー表を開く。
僕はどぎまぎとしながら、「あ、ポテトで……」とメニューで一番安いポテトを指さす。
「あれ、前もポテトだったよね。お腹すかないの?」
「いや、まあ……」
僕は言葉をにごす。実のところ、金欠なのだった。外食する余裕なんてないのだが、活動後のご飯にはつい来てしまう。
「お金のことなら気にしなくていいよ。おごるよそれぐらい」
「いや、そういうわけには……」
「いいよいいよ。私も一年生のときはたくさん先輩におごってもらったよ。ハラダ君も先輩になったときにたくさんおごってあげればいいよ」
結局、僕は安い丼ものを注文する。
注文を終えた僕は、そわそわとして、意味もなくメニュー表をいじる。
二人だけで座っていて気恥しさがあったし、先日のこともあった。文芸展のとき、変なことをしゃべりすぎてしまった。あの時は先輩が興味を持ってくれていると素直に信じていたけれど、変人だと思われたんじゃないかと後から不安になっていた。
「あ、あの~……この前は変なことを言ってしまってすみません」
「変なこと?」
織本さんはきょとんとする。
「あの起承転結がなんとかって……」
「あー、そのこと! そうそう、私、その話がしたかったの」
予想外の食いつきに今度は僕がきょとんとしてしまう。
「あの理論、もっと試してみようよ。文芸展で大好評だったじゃない」
「え、はぁ……そうですね。また何か行事があったら書いてみたいと思います」
いつになくはしゃいだ様子の織本さん。文芸展で好評だったのは嬉しかったし、また何か機会があれば試したいという気持ちはあった。
織本さんは首を振って、
「次の行事を待ってたら半年も先になっちゃうよ……それより良い方法があるよ。ハラダ君は『小説家になろう!』というサイトを知っている?」
名前ぐらいは聞いたことがあった。今、人気の小説投稿サイトだ。誰でも投稿でき、人気の作品がいくつも書籍化されている。その中から、アニメ化された作品も多い。今では毎クールのアニメの中に『小説家になろう!』発の作品が必ず何作かあるぐらいだ。
「そこにハラダ君の小説を投稿してみようよ」
「えっ」
「『小説家になろうっ!』に投稿すれば、もっと多くの人に読んでもらえるよ。あの理論だったら絶対に人気が出るよ」
僕は思ってもいなかった提案に戸惑ってしまう。
インターネット上に自分の文章を公開するのは抵抗があった。顔も知らない人から心ない言葉を浴びせられたら泣いてしまうかもしれない。
「この前、文芸展で書いた話、まだまだ広げられそうじゃない? あれを改稿して出してみるのはどう?」
織本さんはいくつか改稿案を話し始める。すっかりやる気だ。そういえば、織本さんは出版社への就職を希望しており、ゆくゆくは編集者になりたいと言っていたなと思い出す。その血が騒いでいるのかもしれない。
どう答えたらいいものか、僕が困っていると、「インターネットは怖いところだぞ~」と耳元で声がした。
「わっ、びっくりした」
いつのまにか部長がテーブルの隣に立って、僕たちの話を聞いていた。部長は織本さんの隣に無理やり座ると、まくしたて始める。
「あんたの下手くそな文章をインターネットに公開したらボロクロに叩かれるに違いないわ。炎上よ炎上」
「もう、変なこと言わないでよ部長」
「うちの部員も一人、インターネットに人生を狂わせられたからね……」
「あれはハラダ君が悪いでしょう……あ、ごめん、紛らわしいね。もう一人、ハラダっていう苗字の部員がいるんだよ」
「ああ、はい」
僕は頷く。四年生にもう一人、ハラダという苗字の男子部員がいるのだ。一、二度しか顔を合わせたことはないけれど、同じ苗字なので印象に残っていた。
話を聞くと、そのもう一人のハラダという人は、親のコネで既に就職先が決まっていたらしいが、SNSで就職先の悪口を書いていたことがバレてしまい、取り消されてしまったらしい。
「自業自得だよ。何で悪口書くかなハラダ君……あ、ダメな方のハラダ君の話だからね」
織本さんが念を押してくる。
そのダメな方のハラダさんは再度就職活動をすることになり、最近はサークル活動に全く出ていないようだ。文芸展のとき、受付当番の人が来れなくなって僕が代わりに出たことがあったけど、あのとき来れなくなった人というのもそのハラダさんだった。
「え・ん・じょう! え・ん・じょう!」
部長は手を叩きながら、はやしたてる。
何だこの人は……と思っていると、テーブルの上に置いていたスマートフォンのアラームが鳴った。午後十時ちょうどを示している。
「あ、すみません、僕、電車の時間があるので」
「あ、分かった。じゃあ、またね」
部長を無視して、僕は急いで立ち上がる。
全く部長にも困ったものだ、店を出ながら思う。
ただ、インターネットに小説を投稿する話はうやむやに出来たので助かった。さすがに炎上することはないと思うけど、やはり抵抗があった。
ファミレスの外に出ると、夜気が肌にひんやりと冷たかった。
あれ、今日、こんなに涼しかったかな? そう思ったけれど、そこにきてようやく自分が高揚していることに気づいた。
頭の中ではやめておいた方が良いと結論が出ていた。起承転結の理論は思いついて日が浅く、不完全な部分が多い。もっとじっくりと練り上げていくべきだ。
だが、同時に織本さんの言葉に感情を刺激されている自分がいた。やろうと思えば、今すぐにだって全世界に自分の作品を公開することができるのだ。起承転結の理論がどこまで通じるのか、試すことができる。
いや、でもなぁ……と自分の感情をなだめようとしていたところで、脳裏に部長の言葉がよぎった。
『そんな空疎な小説じゃ魂は震わせられないわ』
部長の言うことは半分当たっている。
仮に人間に魂というものがあるとしても、僕の作品にそのようなものは宿っていない。書くのは大変だったけれど、色々とプロットを考える作業が大変だったというだけで、そこに僕の魂は宿っていない。
でも、文芸展ではあれだけの人の心をとらえられた。必要なのは魂や才能といった抽象的なものではなく、確固たる理論と技術なのだ。
部長の子憎たらしい顔を思い出す。そのときには僕の心はすっかり決まっていた。
「小説に魂が必要なのか……試してみようじゃないか」
僕は月を見上げて、ひとり呟く。そして、小説を書くために早足で帰路を歩いた。