エピローグ
一か月後。
僕は特に意味もなく生きていた。
投稿していた小説は何とか完結させた。無理のある終わり方になったけれど、感想を残してくれる人がわずかながらいた。
アパートは引き払うことになった。小説に熱中しすぎて、バイトを辞めてしまっていた。家賃が払えず、実家に戻ることになった。
みっともない話だが、引っ越しの費用は父さんに出してもらうことになった。
お金がなくてどうしようもいかなくなり、久々に電話をかけると、父さんは、それ見たことか、とでも言いたげな口調で僕に説教した。バイトで一人暮らしなんてすぐに音をあげると思っていたよ。実家に帰ってきてもいいがちゃんと就職しろ。
口うるさく言われて、やっぱり実家に戻るのやめようかな、と思った。けれど、父さんの声はどんどんくぐもって、しまいには泣き始めた。
ずっと音信不通だったので、僕がどこかで野垂れ死にでもしていると思っていたようだ。普段は感情をあらわにしない父さんの嗚咽を聞いて、自分がどれだけ心配をかけていたかを知った。僕は父さんにひどいことを言ったことを謝った。そして、これからきちんと仕事を探すと約束した。
「よしっ」
僕はがらんどうになった部屋を見渡して、一息つく。こうして片づけてみると、僕の部屋は物が少なかった。
後は引っ越しの日を待つだけだ。いつもだったらインターネットをして暇をつぶすところだけど、もうインターネットの契約は切っていた。
僕は久しぶりに外に出ることにする。近くの本屋に行くことにした。
何を買うでもなく本棚を眺める。そうしていると、何だか胸がわくわくするようだった。今までは物語の研究材料として見ていなかった。しかし、こうしていると、物語を研究する以前、純粋に物語を楽しんでいた頃のことを思い出した。
僕は本屋を見渡す。そこには多種多様な物語があった。やはり、僕のやり方は間違いだったと思う。無意味なものを排除していっては、これほど様々な物語は生まれてこなかっただろう。
何冊か気になる本があったけれど、よくよく考えてみるとお金がなかったので立ち読みだけして帰った。ただの迷惑な客だが、充実した気持ちだった。
「あ! あ、あのぉ……!」
店を出たところで、かすれた声が聞こえた。
ビクッとして僕は振り向く。何かと思ったら、そこには部長が立っていた。駐車場の隅に設置してあるベンチの前で、おどおどとしながらこちらを見ている。
「お、お久しぶりです……」
予想外のことに、僕までおどおどとしてしまう。
しばらく、二人でおどおどしていたが、これではいけないと思ったのだろう。部長は気合を入れるように自分の頬を軽く叩く。そして、ころころとビー玉のように揺れていた瞳の揺れが徐々に小さくなり、最後にはしっかりと僕を見据える。
「小説、読んだ」
まだぎこちなさはあったけれど、部長はいつもの尊大な口調になっていた。
「読んでくれたんですか」
「しょうもない小説だったけれど、最後は良かったんじゃない? 魂が感じられたかもね」
部長はいくつか寸評をくわえてくれる。相変わらず偉そうな感じだったけれど、またそういう態度を取ってくれるのが嬉しかった。
僕は申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになり、泣いてしまいそうになる。泣かずにきちんと言葉でこの気持ちを伝えたいと思ったけれど、うまく言葉にできない。この時ばかりは自分の語彙のなさが恨めしかった。
「本当にすみませんでした……ありがとうございます……」
僕は泣くのをこらえるのに必死で、それしか言うことができない。
それから、僕たちは近況を話した。僕はもうすぐ引っ越すこと、地元で仕事を探そうと思っていること。
部長もサークルの近況を話してくれる。僕が引き起こした一連の騒動は何とか丸くおさめてくれたこと。部長がサッカを目指して新人賞に投稿を始めたこと。四年のハラダさんがネット上での攻撃的な言動がもとで炎上して書籍化の話がなくなったこと。
一通り近況を話し終えて、僕はベンチから立ち上がろうとする。そこで部長が「あ、ちょっと待って」と言う。
「何ですか?」
「いや、う~ん、今日は良い天気ね」
部長は目を泳がせる。
はぁ、と僕は生返事をして空を見上げる。確かに今日は雲一つない晴天だった。だから何だというのだろう。いや、部長の目にはこの光景にさえも何か豊かな意味を見出しているのだろうか……。
そんなことを考えていると、一人の女性がやってきた。
「お、織本さん……」
織本さんは走ってきたようで、呼吸を荒げている。
僕は部長の方を見る。部長は目をそらす。最初にスマートフォンをいじっていると思ったら彼女を呼び出していたのだろう。別に深淵な意味を見出しているのではなく、ただ、引き止めてだけだったのか。
「あ、こ、こんにちは……」
また辛辣な言葉をなげかられるのではないか。そう思いながら、僕はびくびくしながら挨拶をする。
織本さんは無表情のまま頷く。織本さんはもとの顔立ちが整っており、そうしていると、めちゃくちゃ怖かった。
彼女は何も言わなかった。僕も何か言わなければと思う。僕はつい起承転結に従って話すことを整理しようとするが、それが終わるより早く、部長が僕の背中を叩いた。
「魂から言葉、紡いでいけ!」
また精神論を言っているよこの人。そう思う僕だったが、最後ぐらい部長の言うことを聞いてみるのも良いだろう。僕は心に浮かんだ言葉をそのまま口にする
「ま、また……僕の小説を読んでくれませんか」
声が震え、みっともない声を出す。魂というものが本当にあるとしたら、僕の魂はみっともないものだ。その声なのだから、みっともなくて当然だった。
織本さんはツンと顔を逸らす。そして、一言、
「私、忙しいから」
「はい……」
僕は悄然とする。
それもそうだ。図々しい話だ。
そう思っていると、彼女が顔をあげる。
「……でも、まあ、少しぐらいだったら読んであげてもいいよ」
僕は顔をあげる。
そして、みっともないほどにぼろぼろと泣いてしまう。
了