銀髪の双子は路銀がつきて喧嘩する
丸石が敷き詰められた舗装道路を二人組の少年少女らが歩いている。そして同時に顔を上げた。一人は汗だくで歯を軋ませ、もう片方は疲労の色すら見せない快活な笑顔で旅の中継地である機工都市ウェインスタを指差している。
シャツの袖で汗を拭うのはニック・ロブスタ。彼の引く荷車には、内燃機関が積まれている。もう一方、鼻歌まじりに長かった旅路を懐かしむのはポーラ・ダージリン。
彼女が汗一つかかないのは疲れを知らないのではなく、ニックの引く荷車に座っているからである。二人は同じ職工を師匠とする、所謂、姉弟きょうだい弟子の関係にある。
上下関係は言うまでもなく、ポーラは姉弟子としてニックの引く荷車の台で長旅を過ごしていた。
「もーうっ、いい加減下りてくれたっていいじゃんかっ」
「どっちかが見張ってないとだめでしょ。荷台からエンジンが転げ落ちたら責任とれるの?」
「それは、うん、そうなんだけど……」
「でしょう? 大体あんたは弟弟子なんだからお姉ちゃんの言うこと聞いてればいいのっ!」
「なんだよ年上らしいことなんてしてくれたことないじゃんか」
「なんか言った、ニック?」
「なんでもないよ」
旅路で幾度も繰り返されたやり取りにニック自身、飽いている。このあと引き手を変わってくれと言えば、ポーラは女の私に重い荷車は引けないと返すのだ。決まって喧嘩になるのだが、中継地を前にして気分を害すこともない。ニックは大人しく引き下がり、ウェインスタの象徴でもあるマケラン時計台を眺めた。
「ああ、そうだ。ピラト河沿いにピアッソン&フェロー社の缶詰工場があるらしいんだけど、あとで行ってみない」、とポーラは荷台から言う。
「またそうやって食べることばっかりにお金かけるんじゃないか。路銀なんてとっくに尽きてるのによくもまあ、そんなのんきなこと言えるよね」
「何言ってるの、食は大切よ。具体的に言うとお金よりもずっとね」
「味なんて何だっていい癖に、すぐ食通ぶるんだから」
「ニック、何か言った?」
「なんでもないよ」
遅々として進まぬ二人の荷車を、道行く人々は奇異と嘲笑の目で見ていた。
荷車に積んでいるものがエンジンのみであることと二人の格好にあった。積まれているエンジンは、空冷4ストローク6バルブのパラツイン(並列二気筒)エンジン。機工都市にあってさえ4ストロークエンジンにおける主流はシングル(単気筒)エンジンである。
二気筒と単気筒では、当然、二気筒の方が出力が出る。
しかし技術的に開発が困難である二気筒エンジンは、設計は可能であっても技術者からは嫌われていたのだ。
つまりひと目でニックの運ぶエンジンは到底まともに動くとは思えなかった。
そのような経緯もあって産業博覧会の長距離レースが開かれる日に、役立たずの動力機関のみを運ぶ発明家崩れの田舎者。道行く人々はみな、二人の姿に似たような視線を投げかけた。
ともに銀髪の褐色肌、いわゆる南部焼けをしている上にニックはノーフォークジャケットにニッカボッカーズ・ズボン、鳥打帽というみすぼらしい子どもか浮浪者かという風体で、ポーラも膝下丈のコートチュニックにシャルヴァル、目深のトーク帽の上からゴーグルを身に着ける職工にありがちなスタイルである。
異民族や異教徒への懐の深いといえども、着衣に礼節を求めるウェインスタには到底見られない容姿だ。
それらはしかも月末の質屋で揃えた一張羅と言った風情で、退屈な職人着よりもあか抜けてはいる。
が、それでも田舎者と揶揄されても仕方のない出で立ちであり、一目で貧乏人だということがわかる。産業博覧会のさなかでなければ関所すら越えられなかったことだろう。
しかしニックもポーラも身なりに気を使わない性質であったため、二人は街人の視線を気にすることなく、旅の中継地であるウェインスタのベルフォート地区にたどり着いた。
そういう面で、彼らは幸運とも言えた。
「ねえ、ポーラ。ここって本当にウェインスタかな」
「そうよ。私が間違うわけないわ」
「そうだよねえ、ポーラが間違うわけないよ」
「当たり前よ。私を誰だと思ってるのよ」
ベルフォート地区は祭りのような賑わいである。
道路は乗り合い馬車やオムニバスが走り、脇には郊外から運んだ野菜や果物を置いた棚が居並び、花売りが歩く。さながら市場のようである。
ニックが荷台を引けなくなるほどの混雑ぶりで、サウステン大通りには発明家たちが自慢の発明品を声高に講義している。
石炭の煤のせいで視界は悪い。しかも鯨油ランプの異臭に加えてスチームエンジンが噴き出す蒸気と錆びの匂いが立ち込めている。
二人がウェインスタについて聞いていたのは、職人と機械の街―――人は蒸気機関を動かす程度、働くのは機械ばかりだという噂であった。だが蓋を開けてみればこの人だかりである。
二人とも、同じ角度で同じ方向に首を傾げた。
「ねえ、ニック。ここって本当にウェインスタなのかな」
「ポーラが自分で間違うわけないって言ったんじゃないか」
「いや、でもウェインスタってこんなに活気があるって聞いてないし」、「僕だっておんなじだよ」、「私だっておんなじよ」
二人はウェインスタからさらに東へ行ったアボット教会の救児院で育った。旅の目的は里帰りのためであったが、遠回りして機工都市へと観光に来た日が産業博覧会当日であったのだ。
「お師匠は人より機械のほうが多いくらいだって言ってたはずだよ」、ニックはひとまず荷台の手すりを地面に置いた。
「人の方が多いじゃない」
「多いね。ということは、ここウェインスタじゃないんだよ」
「そんな馬鹿なことあるわけないわ。地図にそう書いてある」
「誰からもらった地図?」
「古物市で売ってた」
「ねえポーラ。それは不安しかないよ」
「うっさい、あんたは私についてくればいいのっ!」
「やっぱりまっすぐ帰ろうよ」
「い、いやよっ。絶対マリンウォール公園に行くんだからっ」
「あ、やっぱりそれが目的なんだっ!」
「いいじゃない、あんただって観たいって言ったでしょっ!」
「言ったかなあ」
「言った。絶対言った」
「ポーラ、すぐ嘘つくからなあ。ウェストハイドの時だって」
「なんか言った、ニック?」
「なんでも」
ジェームス・スチュワート卿が設計したマリンウォール公園を一目見ることがポーラの夢であった。1ペニー切手に藩王とともに描かれたマリンウォール公園は、誰しも一度は観てみたいと思う娯楽の名所。ポーラは1ペニー切手を使いもせずよく眺めていたのだ。
しかしマリンウォール公園まで行くにはベルフォート地区からデ・ウーヴ教区へと渡る職人橋を通る必要があり、この混雑ぶりではいつになるかわからない。ニックは疲労で地面にしゃがみ込んだ。
「ねえ、ポーラ。もう疲れたから今日はもうどっかに泊まろうよう……」
「ニックの泣き言聞くとろくな目に合わないのだけど」とポーラはやや逡巡する。そもそもバイクで半日という道程が長旅になったのもニックが車体を半壊させたせいだ。なんとかエンジンだけは残せたものの、彼には常に不運がつきまとっている。
しかしである。ニックの言ったとおり路銀はもう底をついている。まさか、とは思ったがニックは何も言わなかった。姉弟子の彼女が悪だくみをするときの笑みに抗議したとて、聞き届けてくれた試しはないのだ。
ニックは荷台の車に寄りかかるようにして座り込んだ。
「よし、じゃあ待ってて」とようやくポーラは荷台から降りて辺りを見渡す。
一瞬、顔を伏せて前へ駆け出すと、貸本屋に立つコート姿の男の肩にぶつかった。大勢を崩した男に何事かまくしたてると、ポーラはピラト河の方角へと走り去った。
ポーラが得意とする摺りである。
恰好が長旅もあって貧乏人とそっくりなせいで、妙にさまになっている。というより、彼ら二人は長旅で路銀が尽きるたびに、摺りで乗り切っていたようなところがある。
男もポーラを追いかけたが、人込みの上羽織っているリーファーコートが周囲に威圧感を与えるせいで、身体を竦ませる通行人とぶつかった。リーファーコート姿の男はポーラから目を切り、再び人だかりの中へと消えていってしまった。
―――リーファーコート姿の男は、名をサッスオーロと云った。
彼は昨日のウィンザー卿の夜討ちで逃げ出した、藩王の食客であった。グレース王女亡命の手引きをしている男でもある。
そして摺りに対する天罰というべきか、ポーラが摺りの相手を彼に見定めたことにより、二人の運命は少しずつおかしな方向へと向かうこととなる。
ニックはいなくなったポーラが戻ってくるまで車輪の脇で膝を抱えて顔をうずめていた。もうポーラが摺りをして半時ほど経っている。
荷車を停めるニックに何やら文句を言う者もあれば、台座を蹴る者もある。邪魔だと唾を吐きかける者さえいたが、ニックはそれらすべてから耳を塞いで両膝にじっと眼窩を押し当てて泣いた。
彼は泣き虫であった。
マケラン時計台の、帝国教会の鐘を真似た音色が正午を告げていた。その頃には道行く人の数はずいぶん減っていた。
ウェインスタには畑も牧場もない。ゆえにラバル地方から朝方に運ばれる大量の食料品がウェインスタの人々の腹を満たしていた。サウステン大通りの混雑ぶりは日常で、しかも産業博覧会の当日とあれば早朝における人込みはひどいものである。
そんな中で、早く帰りたいとニックが思うのも仕方のないことで、しかしそのとき彼は頭を叩かれた。顔を上げると、立っているのは姉弟子のポーラである。
「ほら、ニック。いつまで泣いてんのよ。さっさと行くわよ」、ニックは耳に慣れた声に伏せていた顔を上げた。
「……何泣いてんのよ」
「だ、だって」
「そんなんだからバイク壊すのよ。ほら、これあげるから」
ポーラはニックの右袖を手に取った。美しい細工が施された赤いカフリンクス。Yシャツの袖を止めるための留め金である。ニックは目元を拭って、それをまじまじと見つめた。
「綺麗……」
「そうでしょ。あの男、結構な金持ちね。こんないい装飾品つけてるんだから」
袖のほつれたノーフォークジャケットから覗く赤い輝きはニックの心を虜にした。
「ありがとう、ポーラっ!」
「あ、いや……そんなに有難がられても……人のだし」
しかしその輝きを見る者がもう一人。
その後ろで、ぐっとニックの肩越しに赤いカフリンクスを覗きこんでいる老人がいる。ギルドのピンバッヂを胸に着けたフロックコート姿の老爺は、両手いっぱいに広告が印刷された藁半紙を抱えて二人に話しかけた。
「おや、坊ちゃんらはカーレースに参加するのかい?」
「……う、ううん。違うわ」とポーラは驚いた様子でその老爺を見つめた。
「おやあ、積み荷はエンジンだからと思ったんだけどなあ。んなら発明家連中の一味か。だったら宿は早めに探したほうがいいよ。最近、何かと物騒だからね」
「どうかしたんですか」
「はい、宣伝」
老人は一枚の藁半紙をニックに手渡した。内容は、老人が商会長を務める使用人ギルドの広告とテイラーメイド(衣服仕立て屋)のファッションプレートである。
「立て続けに人殺しが起きていてね。レース参加者ばかりを狙う奇妙な犯人で、ブロー・ノイズ氏などと呼ばれとるらしい」
ポーラはなんて嫌な名前だろうと眉をひそめた。
ブロー・ノイズ。エンジンブローによる騒音は、エンジンの破壊に繋がる。原因はいくらでもあるが、内燃機関に携わる者ならば不快な名前である。どうやら、職工らが恐怖するそのエンジンブロー音と殺人者をひっかけたあだ名らしい。
「よかったら、うちのギルド商会の会館に宿泊所があるからそこを借りるといい」
「え、いいのっ」とどんぐり眼で叫んだのはポーラであった。
「そりゃあ、そうさ。そんな物を身に着けてるんだからね」
老人はニックの袖についた赤いカフリンクスを顎で示してウィンクした。
「へえ、これってそんなすごいものなんだ。なんだか、可哀そうなことしたね」
「ちょっとニック、黙りなさい」とポーラはニックの脇腹を肘でついた。
赤いカフリンクスをニックがあまりに喜んだので、質に入れるべきかどうか悩んでいたのだ。しかしそれをつけていることで宿が見つかるなんてそんな都合の良いことはない。
二人は赤いカフリンクスがシン藩王家に縁を持つ者の証であることを知る由もなく、巡ってきた幸運としか考えていなかった。
「大事に持っておかなきゃね」
「そうだね。会ったらちゃんと返そうね」
しかしポーラはうん、とは言わなかった。彼女は少々、金にがめつい。ニックを無視して、満面の笑みでギルド商会長の老人に話しかけた。
「ねえ、おじいさん。カーレースにはいっぱい車が出るんでしょう」
「そうだよ。各国が速さを競うんだ。そりゃあ見ものだよ」
「ついでに場所を案内してくれない?」
ポーラはフロックコートの袖を引いた。しかしポーラの申し出に顔を青くしたのはニックである。
「えっ、ちょっと待ってよっ。エンジンはどうするの」
「あと少しだから、ね。ニック、頑張って」
ポーラはずり下がるゴーグルを所定の位置(額の上)に戻して、満面の笑みで老人の後ろを歩く。
二人とも、自身の持つカフリンクスに目を奪われて、その老爺の袖にある同じ赤いカフリンクスの輝きを見逃していた。いや見たとしてもその天衣無縫な性格が疑いを抱くことはないだろう。
もしそのカフリンクスの意味を知っていたならば、彼らの旅路はもっと楽だったに違いない。




