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第九話 自分の意味

 色んなことが同時に起きて衝撃が抜け切れないロレンスであったが、とりあえず目の前に差し出された水を一口飲み込む。

冷たい水に頭の中も少しは冷えたのか、平静とまではいかないまでも落ち着きを取り戻すことが出来た。

疲れからか思わず小さなため息を零していた所、じーっと水をくれた女性がロレンスを見詰めていた。

ロレンスは顔を引く付かせながらも愛想笑いの一つを返すと、女性は花でも咲いたかのような満面の笑顔になる。


 (この女性から色々と聞き出さないといけないんだけど……)


 内心でロレンスは困り果てていた。

こんなに友好的な笑顔を見せてくれる女性と自分との関係がどんなものかわからなかったから。

一体この体の持ち主はどういう人、いや、魔族だったのか。

あぁ、そうだ。魔族だ、自分は魔族になったのだ。

それも憂慮せねばならない事態だが、さてどうしたものか。

真実を話すわけにもいかず、そもそもこんな荒唐無稽な話、信じてくれるはずがない。


 (嘘をつくわけじゃないから……黙っているだけだから)


 自分に言い訳するように胸中で思い、ロレンスは自分が転生してきたという事実は話さないことに決めた。

それは今後も、という意味でもある。

もしも以前の自分との知り合いに会ったとしても正体を明かすつもりはない。

例えそれが戦場を共に駆け抜けたかけがえのない友であろうと。

生きがいを与えてくれた愛しき子供たちであろうと。

剣聖ロレンスはすでに過去の人なのだ。今更生き返ったといってどうする。

 すでに五年という月日が経っている。

それだけの時間が経てばそれぞれに気持ちの整理もついていることだろう。

前を向いて歩いている彼らの前にロレンスとして現れることは邪魔でしかない。

最期の手紙で伝えたいことは伝えたつもりだ。

ロレンスとして会えないことはとても寂しい……だけれど陰日向で彼らの未来を助けられるのならそれでいい。

彼は心の中でそう思っていた。


 「君の名前は……レン、でいいんだよね?」

 「…………!?」


 ロレンスが一息ついたタイミングを見計らい、女性はどこか緊張した面持ちでロレンスに名前を尋ねた。

一瞬、ドキリとしたもののレンの後に続く言葉はない。

女性のその態度は名前を聞くだけにしてはおかしくはあったが、早速自分の正体がばれそうになったことに焦っていてロレンスは気付かない。

 彼はあまり覚えていないが、最初の目覚めで自分の名前をぽろっと零していたのだ。

その時は口もろくに回らない状態だったので女性には微かにしか声が届かなかった。

ロレンスという名前の『レン』の部分しか聞き取れなかったわけだ。


 (いや、これはちょうどいいんじゃないか?)


 内心、ロレンスは思う。もはや以前の自分を捨てるというのなら、名前さえも変えなければいけない。

当たり前な話であるが、今の今までその事実に気付かなかった。

だが、と思いなおした。

この女性の勘違いを利用し、あまつさえ今度こそ騙そうとしているのだ。その事実だけでロレンスの胃がキリキリとし始める。

嘘をつこうと思っただけでこの有様である。

 これはしょうがない部分もあった。

彼は本当に嘘というものをついたことがなかったからだ。

小さな嘘さえも他愛のない嘘さえもつかなかったというのだから驚きだ。

仲間内でポーカーをした時など、ポーカーフェイスの出来ないロレンスが必ず負けていたものだった。


 「…………」


 声は時間が経ったおかげかもう出るようになっていた。

だが、はい、という一言を言うことが出来ない。言葉にしようとしても感情がストップをかけてしまう。

呆れるほどの正直さ。いやこれはもはや不器用という類ではなく病気だろう。

言葉には出来ずどうにか頷くことだけに留めたが、それだけでも精神的苦痛は計り知れない。

 へろへろになったロレンスに女性は「そう、レンで合ってるんだね……」と言った後に唇を結んだ。

その様子にロレンスはようやく気付いた。

さっきの質問といい、知り合いに対するものにしては変ではないか、と。


 (もしかしてこの女性とこの体の持ち主は知己の間柄ではない?)


 結論付けるにはまだ時期尚早だが、そう考えられる節があるのも確かだ。

もしそうならば自分から何か質問してもおかしくはないだろう。


 「あ……の……、貴方の名前と……ここはどこなんですか?」


 自分の声の若さに違和感を感じながらロレンス……いやレンは思い切って女性に話しかけた。

その言葉に一瞬だけ女性は寂しそうな、それでいて悲しそうな表情を覗かせる。

小さい棘が刺さったかのような痛みがレンの胸に走る。

それが果たして自分の感情によるものなのか、この体の持ち主のものなのかは定かではなかった。

やはりこの女性と自分とは全くの無関係ではないのだろう。


 「私はテトラ。テトラ・リリアーノ。そしてここはグランレイク研究所の中だよ」

 「えっと……ここは魔界なんですか?」

 「うん、そうだけど……どうかしたの?」


 目をぱちくりとさせて不思議そうに女性、テトラは魔界以外にどこかあるの?と言いたげに首を傾げるのだった。

彼女にとってそれは当たり前な話だ。

例えばレンだって天界にいた時に「ここはどこですか」と誰かに尋ねられたとしても天界とはすぐに答えないだろう。

知っていて当然な事だったのだから。


 「やっぱり魔界なのか……」

 「??」

 「あ、えっと、何でもないです!そ、それでリリアーノさん、他にも聞きたいことがあるのですが……」

 「待って。私のことは名前でいいしさん付けもなし。ついでに敬語もなし!堅苦しいでしょ?」


 そう言って柔らかな表情でテトラは笑った。

むぅ、と唸りそうになったのはレンだった。

彼は初対面の人に気安い言葉遣いをしたことがない。なかなかどうして、親しくなった間柄でもそれは難しかった。

例外としては家族であるノエルとカイルぐらいだったか。

あれがレンの出来る最大限の気安さだった。

 確かに今のレンは若い。

手足の長さ、声の高さ、筋肉の付き方、肌の質感……。

諸々のことを考慮するとおそらくノエルやカイルと同い年ぐらいなのではないか、とレンは検討をつけていた。

実際は鏡でも見ていないとわからないが、その予測は的外れではない。

 だからレンは一生懸命に子供の時はどんな喋り方をしていたのかを思い出す。

……思い出そうとしたのだが、何せ何十年も前のことである。

レンは早々に諦めると、自分ではなくカイルの言葉遣いを真似る事にした。

若々しい喋り方には気恥ずかしいものがあるが、無視するよう努める。


 「はい、いや、う、うん。わかったよ。テトラさ……て、テトラ……」

 「うん、よろしい。それと続きを話すのも食事をしながらがよくないかな?ちょうど昼時だしね」


 それにはレンも賛成だった。

食事、という言葉を聞いた瞬間に自分のお腹がぐぅと鳴ったのだから現金なものである。

体の調子を確かめるようにしながらベッドを降りると、レンはテトラの後をついて行くようにしてこの部屋を出たのだった。




 魔界の料理といってもそこまで奇抜な物がなかったのがレンとしては意外だった。

なるほど、色合いは魔界のイメージに沿った暗い物が多い。

例えば形はまんまトマトであるのだが、色は赤ではなく紫色をしていたり、真っ黒なスープが出てきたりと実にらしい。

確かにテーブルの上に並べられた料理の数々は見たこともない物ばかりだったが、どれ試しに、と口に含んでみるとうまいの一言が自然と漏れる。

見た目から嫌ってしまうにはあまりに勿体無いおいしさだった。


 「どう、おいしい?」

 「うん!」


 これには素直に頷くことができるレン。お腹がすいていたのも手伝って、皿を空にしていく速度は増すばかり。

これほどの食欲を感じたのはいつ以来だろうか、と彼は鳥のような肉にかじりつきながら思う。

まさしく食欲旺盛という有様で手が止まることはなかった。

料理してくれた人の腕がよかったのもあるだろうが。

そんな素晴らしい料理を作ってくれたテトラは微笑ましいものでも見るようにレンを眺めていた。


 「すげぇ勢いだな。おいおい。これ料理足りるかぁ?」


 席についていたのはテトラだけではなく知能ある剣オルファも同席していた。

初めオルファのことを紹介された時にはレンも驚いたものだったが、とある理由から動揺は少なかった。

 多少言葉遣いが独特な所があるが、レンはオルファのことを気に入っていた。

挨拶を交わした後はぶっきらぼうながらも自分の体のことを心配してくれたからだ。

他人に優しくなれる人……剣?に悪い奴はいない。レンの持論である。


 「大丈夫だよ。また作ればいいんだから」

 「あ、えっと、ごめんなさい……」

 「子供が遠慮しないの。ほらー、オルファが余計なことを言うから……」

 「俺のせいか!?おぃぃ小僧!申し訳なさそうな顔して手ぇ止めてんじゃねぇぞ!ふざけるなよごめんなさい!もっと食べやがれぃ!」


 怒っているのか謝っているのか。オルファの口ぶりがあまりに面白くて、レンは堪えきれずにくすりと笑ってしまう。

テトラに子ども扱いされるのは慣れないが、お言葉に甘えて食事を続ける事にした。

 お腹がちょうどいい按配になったのは皿を追加で五、六枚は増やしたあたりだろうか。

積み上げた皿の数は実に塔と称してもいい程であり、自分がやったことに関わらず彼はその光景を見て軽く驚いた。

それでもまだ腹八分目なあたり、食べようと思えばまだまだいけそうだった。




 (言語、身体能力は共に異常なし……と。健康状態も悪くない。精神面も良好……うん、何年間も眠っていた割には上々だね)


 レンの満足そうな横顔を見ながら、テトラは研究者としての顔を見せる。

起きたばかりのこの少年のことをつぶさに観察した結論。それはこれならば私が何か特別なことをしなくてもいい、という判断だった。

今のところは、という言葉がついて来てしまうがそれは仕方ない。

何せ彼の覚醒は百年に一人の逸材だと言われるテトラ・リリアーノにとっても予想だにしない出来事だった。

 感情としてはこの少年が目覚めたことは嬉しい。

それはずっとずっと願ってきたことで、彼女の悲願でもあったことだから。

だが研究者としてなら首を傾げるしかない。

様々なアプローチをこの少年にしてきた。それは全て無駄に終わり、実を結ぶことはなかった。

 運命の日、その時にテトラは何かしていたわけでもない。いつものように研究資料をまとめていただけだった。

突然のけたたましいアラート音に慌てて振り返ったら、その先にあったのは信じられない光景。

カプセルの向こう側から、培養液に満たされた海の中から彼が手を伸ばしてきたのだ。

それはまるで唐突に、突然に訪れた神の恩恵のようだった。


 (オルファはお前の努力の成果だって言ってくれたけど、原因も何もわからないんじゃ……そんな風には思えないよね)


 複雑な気持ちを抱えているのはオルファには秘密である。

もしかしたらそれさえ見越している気付かない振りをしているかもしれないが。

それに……少年の名前はレン、と言うらしい。そのことも彼女を悩ませている種の一つであった。




 複雑な気持ちを押し殺して、でもレンが元気な姿を見ていることに幸せを感じていたテトラ。

その幸せも無粋な乱入者によって長くは続かなかった。

厄介者を振り切ったと思っていたのに、しつこいあの男が追ってきていたのだ。


 「邪魔をするぞ!リリアーノ!!」


 ちっとも悪いことをしているとは思わない強引なドアの開け方をして、厄介者がその姿を現した。

その者の名はヒラー・クレイトス。

頬骨が浮き上がるほどの痩せ顔にやぼったげな眼鏡を乗せ、金色の髪を無造作に垂れ流す。

年齢はテトラと同じぐらいなのだが、その風貌から年上に見られることがままある。

常にギラつく瞳が周囲を寄せ付けない孤高の男だった。

彼もまた魔族を象徴するかのような浅黒い肌をしており、ここグランレイクに属する研究者の一人である。


 「クレイトス……何でここまで来るのよ。研究室はお互いに不可侵にするって約束でしょう?」

 「ふん、お前がいつまでも隠すから悪いのだ。だが約束をしていたことは確か。謝罪しよう。許せ」

 「ぜんっぜん悪いと思ってないでしょうに」

 「リリアーノ、貴様は頭がいいのだからさっさと切り替えろ。それで、件の者はこいつか?」


 研究者としては優秀なのは確かなのだが、己のペースでどこまでも突き抜けるこの男がテトラは大の苦手だった。

今もこうして強引に研究室に飛び込んでくる辺り、好きになれない。

だがここまで来たからにはこの男は簡単には引き下がらないだろう。

ぽかんと二人のことを見上げているレンには悪いが、紹介せざる終えない。


 「そうよ……。この子がMFプロジェクトにおける集大成。名前はレンって言うのよ」

 「……貴様、名をつけたのか?」

 「違うわ。この子が自ら名乗ったの」

 「何?だが私が聞き及んだ情報によると、素体は貴様の……」

 「クレイトスッッ!!」


 テトラは鋭く叱咤することによって先の言葉を封じた。

彼女にしては大変に珍しい大声に、さすがのヒラーも口を閉ざす。

そのままヒラーのことを睨みつけるテトラだったが、この男もそれだけでは終わらなかった。


 「なるほどな……まぁそれはいい」

 「…………」

 「鬱陶しく睨まなくてもそのことについてはこれ以上何も言わんから安心しろ。しかし……本当に生きているな?」

 「当然でしょう。レンが死んでるように見えるの?」


 テトラはヒラーの傍にはいたくもないとでも言うように離れると、レンの後ろ側に周ってぎゅうっと抱いた。

彼女の豊満な胸が背中で押し潰されて、果てしない柔らかな感触をレンに教えてくれる。

状況も状況なだけに一体どうすればいいのかわからず、カチコチにレンは体を固めてしまった。

彼の頭の上で不満にぶすっと顔を膨らませているテトラは、そんな少年の様子に少しも気付かなかった。


 「事実は事実としてありのままに受け入れる……ふん、確かにな。そいつは呼吸しているようだ。だがそれだけだ」

 「何ですって?」


 剣呑な空気が辺りに漂い始める。

喧嘩を売られたと感じたテトラは瞳を窄めて視線の力を強くした。

それだけ、とはどういう意味なのか。事と次第によってはヒラーを叩き出さなくてはならない。

だが一貫しているヒラーにとって、テトラがどうこうしようとその態度は揺らぐことがなかった。


 「私は前々から言っていただろう。貴様のその研究は意味がない。価値がない。無駄だ」

 「なっ……」

 「……ずいぶんな言い様じゃねぇか、えぇ?クレイトスさんよぉ?」

 「知能ある剣、か。物風情が私に意見できると思っているのか?道具は道具らしくただ黙って振るわれていればよい」

 「いいや、黙っちゃいないね!レンのことが無駄だとっ!?その無駄にでけぇ脳みそでよぉぉぉーーーっっっく考えろ!!わからないなら始末に終えねぇな!!

  こいつは生きているっ。呼吸をしているっ。それがすごいことだって何でテメェにわからねぇんだ!!」

 「…………ただ喋ることしかできない鉄クズが」


 静かな憤怒にヒラーの顔が赤く染まっていく。

一触即発の空気の中、レンは自分のせいでこんなことになっていると感じていた。

二人が自分を庇って怒っていることはとても嬉しい。だが事情も弁えず、このヒラーという男を自分も一緒に怒っていいとは思えない。

この男は理路整然としていて利なら利と断ずるのだろう。レンはそう感じていた。

つまりこの男には自分を無駄だという確かな理由があるのだと思ったのだ。


 「クレイトスさん。教えてください。どうして僕は無駄なのですか?」

 「……ほう」

 「レン!?君はけして無駄なんかじゃないよ!その男が言っていることは聞かなくていいっ」


 テトラが驚きに体を離してレンの顔を覗きこむようにするが、少年は安心させるようににっこりと笑った。

その表情にテトラはたたらを踏む。

大人びた笑顔を見せるレンに二の句が告げられなかった。


 「リリアーノ、貴様は邪魔だ。私は今こいつと話しがしたい。……レン、とか言ったな?お前は本当にそれが聞きたいか?」

 「はい」

 「いいだろう。そもそもお前はここが何処か知っているか?」 

 「グランレイク研究所ですね」

 「その通り。魔界でも有数の研究所であり、その研究の全ては魔界の為でならなくてはならん。

  魔界を繁栄に導き、よりよい未来を手繰り寄せる為の場所なのだ。例えば……アリス」


 呼び声と共にヒラーの影から飛び出したかのようにすっ、と一人の少女が現れる。

全身をスーツに包んだ無機質な表情を晒す女の子。

髪は藍色で少女を象徴するかのようにきっちりと切り分けられ、肩口までの長さの髪は寸分違わず揃えられていた。

肌の色は白。透き通る、というよりも血も通っていないかのような白さで生命というものを少しも感じられない。

こじんまりとした体格はこの部屋の中でも一番小柄だろう。

総じて彼女の印象はまるで人形のようだ、とレンは思った。


 「こいつの名前はアリスという。機械人形だ」

 「機械人形……?」

 「そうだ。言われた命令を着実にこなす。どんな命令だろうと、例え汚れ役だろうと淡々とこなす命なき者」


 レンは信じられない面持ちでアリスを見る。

確かに人形のようだ、とは思ったがまさか本当にその通りであったとは思わなかった。

少年にまじまじと見られているというのにアリスは瞬きさえしなかった。


 「様々な場面でこのアリスは活躍することだろう。それにアリスは機械だから疲れない。

  メンテナンスという手間はあるだろうが、我々が休む時間と比べれば微々たるもの。労働力としては格別であることは疑いようがない」

 「…………」

 「アリスの有用性を説明したのは自慢ではないぞ。然るに、貴様はどうなのだ、と私は言いたいのだ。

  貴様には何が出来る。アリスと違い命はあるだろう。それで?他には?何か出来ることは?

  ここまで言えばわかるな。ただの子供でしかない貴様に即戦力となるものはない」


 だから無駄である。そうヒラーは断じているのだ。

なるほど、彼が言っていることは間違ってはいない。この目の前のアリスよりも自分が役立てるかなんてわからない。

何が出来るかもわからない。レンとして生まれ落ちたばかりの少年にとって反論する言葉は持たなかった。

将来性を見て欲しいと言っても無駄だろう。

彼は言った。即戦力、と。主眼としているものがそれならばレンがアリスに敵う部分はないに等しい。

 けれど。

けれど、とレンは思うのだ。ならば、はいその通りです、と引き下がれるものだろうか、と。

自分に価値がないと思うのは簡単だ。きっと努力するよりは楽で、重荷を背負ったりもしないだろう。

だが、そこで諦めたらこの人たちはどうする?

自分を庇ってくれたお喋りな剣、そして自分を守る為に矢面に立ってくれた女性を見捨てられるはずがない。

あぁ、これも同じだ。

救えるものがあるのならば手を伸ばしたい。この手で掴めるものがあるのなら全て、全て。

剣聖であった頃と何も変わらない。自分の価値を証明することで、彼女らの思いに報いることができるのならば。

 レンの瞳の中に揺ぎ無き光が宿る。

人間の王族が惚れ込んだといわれる、誰であろうとくじくことが出来ない意志の光。

その眼光を見初めれば、例え地平を満たさんばかりの軍であろうと怖気づくと詩人に謳われた英雄の証。

 この部屋にいた誰しもがその光に畏れに近い感情を抱いた。

驚きに目を見張るテトラも、真っ向から目の当たりにして眩むような感覚を覚えたヒラーも、知能ある剣でしかないオルファでさえ呆気に取られていた。

そして命のないアリスでさえ反応するようにぴくりと体を震わせたのだった。


 「レン、貴様は一体……」


 レンは椅子から立ちあがると、呟くように言葉を零すヒラーの前を横切りながらオルファの元へと歩いた。

そして一言、オルファへと声をかける。


 「君の力を貸して欲しい、オルファ」

 「………………お、おぉ?俺に出来ることなら何でもやるが……」


 いつもの覇気がオルファにないのは未だに先ほどの衝撃から抜けられていないからだろう。

レンは構わずにオルファの柄を握る。

すらりと鞘から事もなげに引き抜く動作は淀みなく、熟練の剣士そのものであった。

 オルファの刀身はそこまで長くはないものの一メートル程度はあるようで、レンの身長の半分以上は容易く超える。

大人であれば重さも剣としては普通で扱いやすいが、子供であるレンにとっては荷が重い。

それでもどうにか持てているだけでも大したものであった。


 「レン、君は何をしたいの……?」


 理解不能な行動をしているレンにテトラは怪訝な表情でそう尋ねた。

後ろから声をかけられたレンはオルファを鞘に戻してから振り向く。

そうしてレンはヒラーさんに自分の価値を示したい、とテトラに頷きながら言ったのだった。





 そこは実験場と呼ばれるところで新開発された魔術や発明を試す場所だった。

長方形の広いフィールドをあらゆる衝撃に強い特別製の壁が囲み、万が一の事故も許さない。

事実この実験場では防壁が破壊されたことなど一度もなく、中にさえ入らなければ安全は確保されているといっていい。

 だが、そんな実験場の真ん中でぽつんと一人、少年が立っていた。

一振りの剣を携えている以外はただの子供にしか見えない。

この広い空間の中では尚更その小さな体躯は豆粒のように見えた。


 「レンっ!」


 テトラの叫ぶ声は少年には届かない。

何故なら彼女がいる所はモニター室と呼ばれる場所であり、壁と同程度の強度を誇る強化ガラスの向こうに少年はいたからだ。

ガラスに張り付きながらテトラは何度も叫ぶが、レンがこちらを振り向く様子はない。


 「落ち着け、リリアーノ。そこからでは絶対に声など届かん」

 「クレイトス、今からでもいいから止めて!こんなことしなくてもいいでしょう!」

 「……ふん。貴様もわかっているから止めなかったと思ったのだがな」


 ヒラーは腕を組みながらガラス越しにレンを見る。

相変わらずこちらに視線を向けてもいない。その様子にヒラーは少しだけ安心していることに気付いた。

もしあのような瞳でもう一度見られたら無様な格好を晒さないか自信がなかったからだ。


 「何のことを言っているの」

 「わからない振りはやめろ。お前もあいつの瞳の中に何かを感じたのだろう?だから止めなかった」

 「…………」


 レンは自分の価値を示したいといった。オルファという武器をもって。

つまり強さを証明したいというわけだ。

普段のヒラーだったら子供風情が何を、と冷笑するに留めるが、あの目を見てからでは事情も違う。

ヒラーはレンという少年に大きな興味を抱いた。今だかつてこのような目をした者など見たことがない。

もしかしたら、とヒラーは思い少年の企みに乗ったわけだ。

テトラもあの場面では反対すらしなかった。彼女も似たような思いを抱いたに違いない。


 「でも君は一体何をするつもりなの?レンと何を戦わせるつもりなの?」

 「そんなものはすぐにでもわかる」

 「ご主人、お茶です」


 口論する勢いで白熱している二人の間に入るようにして、アリスがカップとソーサーをトレイに載せてやってきた。

抑揚のない声ながら少女の声は鈴なりのように美しい。

その声に感動する素振りもなく、なんともない顔をしながらヒラーはソーサーごと受け取る。

 アリスの存在に今の今まで気付かなかったテトラは驚き、そして気まずくなったのか顔を背ける。

そんな彼女にもお茶を用意されていてトレイにはもう一人分残っていた。

一向に引き下げないアリス。時間だけが着々と過ぎる中、ずずず、とヒラーが茶をすする音が聞こえる。

しばらく無視をしていたテトラも根負けしたのか顔を歪め、おずおずと横目で見ては危なっかしい手つきで受け取る事にした。

ん、んん……と咳をつきながらテトラはカップを傾ける。


 「あ、おいしい」


 そのテトラの呟きを契機にしたわけではないだろうが、ズズン、とまるで地震でも起きたかのように部屋全体が震えた。

危うくカップの中身を零しそうになるテトラだったが、ヒラーはというとすでに飲み干しているのかその手に茶はなかった。

テトラが目を白黒とさせる中、地震の震源である物体がその姿を実験場に現す。


 「嘘、でしょう……」


 それは身の丈十メートルはあろうかと言わんばかりに巨大で、実験場のゲートを屈んでは大地を揺るがしてその存在を知らしめる。

天井ギリギリまでに伸びたそれは硬い金属で出来ており、体に足と手、そして頭がつけられている人型。

顔は目の部分から魔術光と呼ばれる赤い光が漏れ出て、不気味に怪しく光っていた。

俗に言うゴーレムと呼ばれる存在で、しかも土くれで素材が出来ていない特別製。

魔工技師ヒラー・クレイトス傑作のメタリックゴーレム、通称タイタンと呼ばれる超巨大ゴーレムだった。

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