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第八話 時の代償

 夢。夢を見ている。

草葉がさわさわと心地よく鳴り響く草原の真ん中で、ロレンスはたくさんの人々に囲まれていた。

当然のように老人はその人たちのことを知っていた。

今まで出会った人たち。

名も知らぬ、この手で助けることが出来た命。

 涙を零しながらもう一度家族に会えると感謝の言葉を言ってくれた男性は、にこやかに微笑み。

町を救ってくれたことを喜んでいた老夫婦は、手を取り合いながらこちらを優しく見守り続ける。

言葉は拙くとも精一杯のありがとう、という言葉を呟いたあの日の小さな女の子は、ロレンスに花の冠を贈ってくれた。

あぁ、それだけでロレンスの全てが報われる。

身を粉にして戦った意味があった。自分が目指している道は間違っていないのだと思うことができた。

しかしそれはロレンスという人物が歩んできた全てではない。

 世界は暗転する。

周りは暗黒と言える程に暗く、その闇の中に浮かぶ様々な顔たち。

その顔を知っている……それは己の不甲斐なさ故に救えなかった者たち。

どうしてもっと早く着てくれなかった、と子を亡くした母親は叫ぶ。

親の墓の前で泣き叫ぶは幼い少年。誰も応えることのない慟哭は悲しく響く。

言葉さえなく行き場のない恨みの視線を向けるのは、故郷を、家族を失った人々。

皆を助けたいといくらロレンスが願ったとしても、絶対に悲劇に見舞われる人々は存在していた。

その全てを自分が受け止めるのは当然なのだ。少なくとも老人はそう思っていた。


 ロレンスには救える力があった。誰が立ちはだかろうと退ける強さを持っていた。

その力に人々は希望を持ち、未来を託した。

英雄という名の願いが自分たちを救ってくれる、と。

だが所詮は人一人の力。その両手で手を差し伸べられる人数なんて高が知れている。

その事実に目を背けて、救われなかった人々は英雄に憎しみを抱いた。

どこかで筋違いだと薄々気付きながら、それでも抑えきれない怒りをぶつけるしかなかった。

 ロレンスに彼らを救う力はない。すでにもう終わってしまったことなのだから。

己に出来る限りのことをしたとしても、彼らの瞳の中の悲しみは消えることはない。

何が英雄か、何が剣聖か。

英雄ならば差し伸べられた手を全て掴み取れ。剣聖ならば降りかかる災厄を悉く切り払え。

ちっぽけな自分にはあまりに不釣合い。老人は常にそう思って過ごしていた。

今だって苛む人々の視線を受けながら、救えなかった悔しさに唇を噛むことしか出来ない。

 だがそれでも、それでもと。

本物の英雄を目指し、闇を切り裂き光をもたらす剣聖であらんと生きてきたのだ。

それは無駄なことだったのだろうか。いつのまにか周りにいた人々はいなくなり、応えてくれる者はいない。

だから問おう。己に。

刀を振るうことしか能がない自分に出来ることは何なのか。生涯を通して考え続けたことをもう一度。


 (僕が出来ること……力だけではダメだった。ならどうすればいい)


 いくら戦いの最前線に身を置いたとしても、局地的なものでしかない。

その場を勝利に導いたとしても戦争が終わることはなかった。

戦争が始まってしまえばそう易々と止めることなんて出来ないのだ。

結局、長い時が経ち多大な犠牲を払わなければ終息することはなかった。

それもきっと一時的なものでしかない。

 女神パンドラは言っていた。

すでに戦う理由さえも忘れてしまった戦だ、と。

ならば例え一つの戦争を終わらせたとしても、いつか再び始まってしまう。

その戦いに終わりがあるとすれば……それはきっとどちらかの破滅だけだ。

魔族か滅びるか、はたまた天族が滅びるか。


 (そんなものは誰も望んでいない。だから僕が両者の架け橋に……)


 それは可能なのだろうか。

天族と魔族ではろくに言葉を交わすことすら難しい。

何故なら相手の言葉がわからないのだから。

天族には魔族が発する声は意味不明な言葉の羅列にしか聞こえない。逆もまた然りだろう。

 それでも試してみるしかない。ロレンスはようやく気付いたから。

確かに起きてしまった戦は止められない。

たった一人では何も出来ない。だったら。


 (戦いを終わらせるのは勝ち負けだけじゃない。戦いそのものを起きなくすればいい)


 元凶をなくしてしまえばいいのだ。

それが何なのかはロレンスにもわからなかったが、誰も傷つけない為にはそうするしかない。

傲慢だろうと綺麗すぎる理想と言われようと、誰もが幸せな未来を掴み取りたい。

 そんなことは無理だと鼻で笑う者に問おう。何故、それが君にはわかるのだろう。

可能かどうかだなんて誰にもわからない。

不可能があるとすればそれは自分が諦めたその時だけだ。

我を通せ、己を信じぬけ。

老人が歩んできた道はきっとそんなものばかりだったのだから。

死んだとしても、生き返ったとしても、最早その生き方は変えられない。

 さぁ、だからそろそろこの夢を終わらせよう。

ロレンスは意識的に目覚めることを選びとる。

夢の世界はぽろぽろと崩れて光が満ちていく。あの光の先に始まりが待っている。

ここは喜びと後悔が一緒くたになった世界。一時、浸ることが出来る泡沫。

いつまでも過去に引き摺られていてはいけない。

忘れてはならない思いを胸に秘め、手を伸ばす。

目覚めよう。そして始めよう。もう一度の人生を。





 天井に伸ばした手に暖かなぬくもりに包まれていた。

ロレンスが目覚めて一番最初に感じたのは誰かの体温だった。

意識がまだはっきりとしない中、彼がふいっと横を見れば一人の女性が立っていた。

白衣に際立つ浅黒い肌。銀色の髪は流れるような長髪。

どこか幼さが残る顔に反してアンバランスな豊満な体。そんな女性がベッドに横たわるロレンスを優しい眼差しで見守っていた。


 「起きたんだね。おはよう」

 「ぁ…………」


 愛情さえ感じさせるその声に、ロレンスはろくに声を上げることも出来なかった。

どう反応すればいいのかわからないのもあったが、実際に声を出すことが出来なかったからだ。

脳は声を出すことを命令しているのに、肝心の言葉が喉に詰まっているかのように出せない。

あまりにもどかしくて、懸命に声を出そうとしてもうめき声程度しか上げられなかった。

そんな時、女性はそっと手を伸ばして唇に指を添えて、小さく頭を振る。


 「無理をしちゃだめ。まだ目覚めたばかりなのだから」


 言いたいことも、聞きたいことも色々あると言うのに、そんな労わるような笑顔を見せ付けられてはロレンスに抗う術はなかった。

強張っていた体から力を抜くと、ようやく違和感に気付く。

この体は一体どういうことだろう、と。

 ロレンスは当たり前だが転生というものをしたことがない。

だが、人というものは赤ん坊となって産まれてくる。

当然、自分もそんな風になるのだとばかり思っていたのだが、少し体を動かしただけでも赤ん坊ではないとわかった。

子供……それも少年といえるような体つきをしている。

幸い女の子になっていなかったのは朗報であったが、それでも今の事態は十分驚きに値する。

戸惑いを覚えてうろたえていたロレンスに、女性は別の意味だと勘違いしたのか笑顔を見せた。


 「大丈夫。もうちょっとしたらきっと声が出せるようになるからね」

 「…………」


 そうやってずっと手を包み込んでくれる女性。

そもそもこの女性は一体誰なのか。わからないことばかりだった。

何やら今の自分のことを知っている風なので、何もわからず仕舞いということにならないだろう。

 だがそれは逆に下手な態度を取れないということでもある。

もしも自分が誰かの体を乗っ取っているのならそれは許されないことでもあるし、この女性に対してもそうだ。

 いやまさか神がそんなことをするはずが、という思いを抱えたロレンスを残して、女性は不意に握っていた手を離した。

一瞬、どうしようもない寂しさを覚える。

この体の持ち主が自然と感じてしまったのだろうか、抑え切れない思いが顔に少しだけ出てしまった。


 「そんな顔をしないで。水を持ってくるだけだから、ね?」


 鋭敏にその気配を察した女性がすまなさそうな顔をする。

年の頃が二十そこらに見える女性に、外見はともかく中身は八十を越える老人が寂しいなどと思ってしまった。

恥ずかしくて思わずロレンスの顔は赤く染まる。

そんなロレンスを女性はおだやかに眺めてから、ドアの取っ手に手をかけてこの部屋から出て行ってしまう。

またどこか寂寥感が募るが、無視に務める。


 (優しそうな女性だったな……)


 しばらく時間を置いた後、ロレンスはそんなことを思いながら体を起こした。

若干、体の動きがどうにも鈍い気がする。まぁこの体は元々自分のものではないのだから当然かもしれない。

目覚めた瞬間には頭の中もぼんやりとしていたが、今になってようやくすっきりしてきた。

 すると途端に気になるのは今の自分が置かれている状況である。

何がどうしてこうなったのかさっぱりだった。

 その疑問に応えるように唐突に頭の中に声が響く。

この声はついさっき聞いた覚えがある女性の声。

ぞくりと体を震わせるその声は相変わらずで、何とも言えないような感触をロレンスにもたらした。

だがこの状況下ではまさしく神の助けであった。


 『我が愛しき人の子……私の声が聞こえますか?』

 (その声は女神パンドラ様!?)


 驚きに目を見開き、つい辺りを見回しているもののパンドラの姿は見当たらない。

声だけはしっかりとロレンスには届いていて、実に妙な感じだった。


 『確かに聞こえているようですね』

 (パンドラ様、僕は一体どうなってしまったのでしょうか?この体は誰のものなのでしょうか……)

 『落ち着いて聞いてください。全てちゃんとお話しましょう』


 あくまで淡々と話す女神のその声にロレンスもなんとか平静を取り戻した。

そうして一言も見逃さないように女神の話を聞いてみると、その内容は驚くべきものだった。

 この体は魂の消えかかった持ち主のもので、何も起きなければ一生目覚める可能性はなかったという。

では肝心のその持ち主の魂はどうなったかというと、なんとロレンスと融合を果たしていた。

いつの間にかそんな大それたことになっていたとは露知らず、しかし実質元のロレンスと何も変わらないらしい。


 (僕が僕であるのは確かに喜ぶべきことなのかもしれない……だけど)


 ではあの銀色の女性はどうなのだろうか。

あの女性はきっと元の持ち主のことを思っている。でなければあんな視線をこちらに向けるはずがない。

何ともいえない気持ちに陥ってしまうロレンス。

確かに神様の言う通りなのであれば、この体はロレンスが来なければずっと眠ったままだった。

だからと言って自分が奪い取っていいものではない。


 『剣聖ロレンス。貴方が気に病むことではありません。本来なら目覚めることのなかった肉体。

  それを貴方が使ったとして誰が責めるというのですか』

 (…………)


 女神の言うことはどこまでも現実的で合理的であった。

だが人の感情という面から見ればあまりに非情。

神にあるまじき、と考えるのは不遜なのだろうか。いや、むしろ人の感情に寄らないその考えこそが神である証なのか。

ロレンスは到底納得はできないものの、今更なかったことにすることは出来ない。

すでに持ち主の魂はロレンスと一体化してしまっているのだから。


 『付け加え、貴方とその体の持ち主の魂の融合に些か時を使ってしまいました。咎があると言うのならまさしく私にあるのでしょう』

 (……いえ、パンドラ様は何も悪くありません。僕が望んだもう一度の生ですから僕に責があります。

  でも、時を使った、というのはどれぐらいなのでしょうか)

 『アレフガルドの時間にして五年です』

 (…………え?…………五年?)


 これには呆然としてしまうロレンス。

つまりロレンスが死んでから五年という年月が経ったということだ。

彼にしてみればついさっき転生を終えたという感覚しかなかっただけに衝撃は大きかった。


 (で、では、戦いは、戦争はもう起こってしまったのですか!?)

 『いえ、今の所アレフガルドにて大きな戦は起きていません。多少の小競り合いはあるようですが、それを除けば平和といえるでしょう。

  ですがこれは嵐の前の静けさ。剣聖ロレンス、貴方が一刻も早く解決しなければなりません』

 (はい、それは承知の上です)


 戦争が始まっていないことにほっ、と胸を撫で下ろし、しかし安心するのも束の間に気を引き締める。

他人の体だとか、魂の融合だとか、五年が経ってしまっているだとか面食らうことも多々あったが。

何よりも成し遂げなければいけないのは戦争の可能性を摘むことである。

具体的な案はまだ浮かんではいないが、どうにかしなければならない。

そう決意を新たにしている所に、女神は最後の爆弾を投げつけて別れの言葉を告げた。


 『我が愛しき人の子。魔族となって新たな第一歩を踏みしめるのです。貴方の未来に幸があらんことを』

 (はい!女神様!僕は魔族となって戦争を…………?え、ま、魔族?)


 奮起しながら声を張り上げようとしたが、気になる言葉を見つけてロレンスの言葉は頓挫する。

聞き間違いでなければ魔族となって、と女神が口にしたからだ。

しかしその問いも空しく、女神の圧倒的な気配が遠ざかっていく感触がした。

答えが得られないことに途方に暮れてしまうロレンス。

そんな時にようやく部屋の扉が開かれ、女性が水差しとコップを盆に載せて戻ってきた。


 「お待たせ。途中でちょっと厄介な人に絡まれて……あれ?どうしたの?そんなに私のことじーっと見て」


 ほがらかに話していた女性が、見詰められていることに小首を傾げながら不思議そうにする。

ロレンスは女神に言われていたことを心の中で復唱していた。

魔族、魔族……。

今更な話なのだが、この女性の肌の色と髪の色は天界で一度として見たことがない。

各地を転々としては様々な種族と戦場を共にしたロレンスが見たこともない種族。

そんな者がいるとすればそれは……。


 (ここは……魔界、なのか?)

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