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第三話 一本の鋼

 その言葉を耳にして、ロレンスは胸の中に渦巻いていた胸騒ぎの正体をついに知る。

やはりそれは悪いものだった、と苦汁の色を顔に浮かべながら。

温和な雰囲気を常日頃から崩さない老人にとって、その深い皺を寄せた表情はそれだけで深刻さを窺い知れる。

場の空気も張り詰めたように重く、事の次第さがわかるというものだった。

 魔王――。

それはこの世界、アレフガルドにおいて天族の天敵である。

魔族の王にして絶対なる権力者。魔神の神託によって選ばれた特別な存在。

その力は万の力に匹敵すると言われ、姿を目にするだけで恐怖を植え付けられる。

今回現れた魔王は復活した、とニコは口にした。

つまりはロレンスが十五年前に撃退したあの魔王が再び力をつけて舞い戻った、ということだろう。


 (僕が死力を尽くして倒したあの魔王、か……)


 そう思いながら、当時のことを振り返ろうとすると何かモヤがかかる。

激しい戦いの後遺症か、それとも歳のせいかと笑うべきか。ともかく、全てを思い出すことは出来なかった。

ただ事実として、ロレンスは魔王と十五年前に直接戦った。そして死闘の末に勝利を収めたということだけだ。


 「そうか……魔王が復活した、か」

 「……はい。巫女様が仰っていましたから確実かと」


 重苦しく返事をしたニコの顔が優れないのは、何も話の内容だけが理由ではない。それはロレンスもわかっていた。

確かに魔王の復活は天族存亡の危機に繋がるまでの大事ではあるが、それよりも差し迫った事がある。

 ニコは優しい青年だ。

歳若く、未熟な面も多々見えることがあるがまっすぐで気の良い男である。

だからこれから話す事に躊躇を覚えているのだろう。老人から思わず目を逸らしてしまうのだろう。

その心を察し、ロレンスは自ら踏み出すことにした。


 「二人を魔王討伐、ないしは防衛に参加させたいんだね」

 「っ!?」


 驚きに目を見開きながら顔を上げた青年に、ロレンスはあくまで柔和な笑顔で出迎える。

二人。それはこの家に置いて残すはノエルとカイルしかいない。

ニコよりも更に若く、幼いともいえる二人の子供。

それを戦場へと送り出そうというのだ。

正気である親ならば是が非でも止めようとするであろう事柄を老人はするりと口にした。そのことにニコは驚いていた。


 「は、い、いえ……その……」

 「ニコ。僕はあの子たちに剣を本気で教えた始めた時から覚悟していたんだよ」

 「ロレンス様……」

 「魔王に立ち向かうような大事でなくとも、いずれ僕が教えた力であの子たちは戦うことになると、ね」


 苦笑気味に老人はそう零した。

その顔には複雑な感情が宿っており、一概に言葉に表すことは出来ない。

後悔が滲んでいるのか、それとも悲しみに嘆いているのかわからない。

ロレンスは一つため息を洩らしながら、在りし日の思い出に浸り始める。





 ロレンスが剣を二人に教えるきっかけが出来たのはちょうど十年前だろうか。

その頃はボール遊びに夢中になるような年頃で、今のように喧嘩もせずに庭で二人仲良く無邪気に遊んでいた。

老人は縁側に座り、元気に走り回っている二人を見ては目を細めていたものだった。

 そんな中、ふとしたきっかけに二人はチャンバラごっこを始めた。

たわいもない子供のお遊びである。

落ちていた木の枝を剣に見かけて振り回したり、ぶつけあったり。

見た目からして危なっかしく、怪我をさせたくなかったロレンスはすぐにでも止めた。

あの頃は今に増して過保護であったから、止めるのが当たり前だった。

子供たちが成長するにつれて少しずつ過保護が収まっていくのだが、それはまた別の話。

 ともかく、そんな二人から木の枝を取り上げることになんとか成功する。

だがそこは幼い幼い子供たち。

カイルは勿論ノエルでさえ、膨れっ面をしてご機嫌がたちまち斜めになってしまった。

これはまずい。理由を話しても子供たちは素直に納得しないだろう。

怪我をして痛い目を見ればわかるかもしれないが、そんなことはさせたくない。

じと目で子供たちに見られるつらい空間の中で、老人は無い知恵を絞って考える。

そうして思いついたのが、自分の剣技を見せれば気を紛らわせるのではないか、という妙案だった。


 「僕はね、昔はすごい剣士だったんだよ」

 「けんし?なにそれー」

 「剣をすごく扱える人って言うのかな……ううん、言葉にすると案外難しいな」

 「おじいちゃん、それってほんとう?すごいの?」


 くりくりっとした丸い目を輝かせて、上目遣いに老人を見上げる小さなノエル。

あの頃はノエルもロレンスのことをおじいちゃんと呼んでいた。とても懐かしい記憶だ。

剣士の説明は置いておくとして、論より証拠と言わんばかりに老人は二人に見せる事にした。

見せた後の二人の反応は劇的だった。


 「すごいすごい!おじいちゃんすごい!」

 「じーちゃんすげー!すげー!」


 二人の語彙の少ない賞賛の言葉は飾り気が無いからこそとても素直に聞こえる。

照れ笑いしながら年甲斐も無く頑張ってしまったことを恥じるロレンス。

実の所、ちょっといい所を見せたいという気持ちがあったのは秘密である。

その場はそうしてどうにかやり過ごしたのだったが……。


 「ねぇねぇじいちゃん。俺たちにも剣を教えてよー」

 「私も習いたい!」

 「ええ、急にどうしたの?」

 「おじいちゃん、けんせーっていうとてもすごい人だったんでしょ?」

 「えーと、それって誰に聞いたのかな?」

 「「ニコにいちゃん!!」」


 後日、そんな話に発展するのだった。

曰く、老人の剣技を見た事をたまたま家に来ていたニコに二人が話したら、ニコが実はロレンス様は……と老人の過去を話してしまったらしい。

別に剣聖だったことについて口止めしていたわけではなかったからそれはいい。

老人もいずれ何かの機会に話そうとは思っていた。

明るい話ばかりではなく、小さな子供たちではあまり理解できないかもしれないと話していなかっただけだ。

 だが、どうもニコは誇張というかかなり大げさに語ったらしい。

おそらく血生臭い話は抜きにして、それこそ詩人が歌うような英雄譚として熱弁したのだろう。

剣を教えて欲しい、と熱意溢れる子供たちの様子を見ればそれは歴然としていた。

ここにはいないニコに多少の恨みを覚えながら、老人は困った顔で固まっていた。


 「うーん……それは今すぐじゃないとダメなのかな」

 「俺は今すぐがいい!」

 「私も!」

 「どうしても?」

 「「どうしても!!」」


 ここで老人はふと気付く。熱に浮かされているとはいえ、子供たちの様子はあまりに真剣ではないだろうか、と。

こんなに強硬に我を通したことは今までなかった。

子供なのだから大なり小なりの我侭はあるとはいえ、何か他に事情があるのではないか。


 「ノエル、カイル。僕が剣聖だから剣を学びたい。それ以外に理由があるのかな」

 「りゆう?」

 「うん。剣をどうして教えて欲しいのか。それが僕は知りたい」

 「だって……」

 「……」

 「俺たち、戦災孤児だったんだろ?」

 「っ!?どうしてそれを……」


 まさかそれもニコが?

そう驚いた矢先、慌ててノエルがカイルに向かってそれは秘密にしなきゃって言われたでしょ!と怒っていた。

思わず口を手で押さえたカイルだったがすでに後の祭りだった。

戦災孤児。

その意味をこの二人は理解しているというのだろうか。


 ……これは後から本人に直接聞いた話だ。

話を聞きに行ったロレンスがニコを訪ねると、彼は顔面蒼白になってしまった。

早速話を聞けば、どうやらノエルとカイルが戦災孤児であると言ったのも話の弾みだったらしい。

夢中で話している最中、意味をよく考えないで喋ることなんてままあること。

それも当時は少年だったニコに細かい配慮を求めるのも酷というものだ。

 自分の話はともかく子供たちのことに関しては問い詰めなければ、とわざわざ老人が訪ねに行った結果がそれである。

しきりに頭を下げてはすみません、すみませんと涙ぐみながら謝るニコ。

幼さが残る顔立ちの彼に、それ以上責めることは出来なかった。

子供たちに秘密にして欲しいと頼んだのも、ロレンスに嫌われたくなかった為だろう。

彼も天族の英雄である剣聖に憧れていた数多の少年の一人だったのだから――。


 ロレンスは動揺をひた隠しして声を振り絞る。

実の子供、いや孫のように思って育てていた二人だ。それが実は血の繋がりも何もない、と知れてしまったのだ。

動揺しないはずがない。

もっと後に、二人が大人になってからならば心の準備も出来ていただろうに。

準備がいるのは無論二人だけではなく、ロレンス自身も含んでのことだ。


 「……孤児だと知って驚いたかい」

 「ニコにいちゃんに孤児の意味を教えてもらったけど、よくわかんなかった」

 「そうか……」

 「でもでも、おじいちゃんは私たちのおじいちゃんだよね!」

 「ノエル……」

 「だから俺たちが孤児だろうと、何にも変わんないって思った!」

 「カイル……」


 ありのまま、自分の心のままにそう言葉にする子供たちに思わず目頭が熱くなるロレンス。

だが泣く姿は見せている場合ではない。話はまだ途中なのだから。

そうは思いつつも、思いっきり鼻にきているロレンスなのであった。


 「ぐすっ……そ、それで、どうして剣を教えて欲しいと思ったんだい」

 「うん。俺たちがいた村は戦争でなくなっちゃったんだろ。だからもし俺がそこでじーちゃんみたいに強かったら守れると思った」

 「私たちが村を魔族から守れると思ったの、おじいちゃん」

 「君たちは弱くてもいいんだよ。僕が守るから」

 「じーちゃん!じーちゃんばっかに守ってもらったらきっと疲れて倒れるかもしれないから、手伝いたいんだ!」

 「私もおじいちゃんの手伝いがしたい!……ま、魔族のことは怖いけど」

 「へん!俺は怖くない!ノエルの弱虫ー」

 「う、うるさい!カイルのバカ!バカバカ!」


 思えばこの時からだろうか。気弱だったノエルがカイルとまともに喧嘩し出したのは。

それからロレンスがいくら説得しようとも二人はけして首を横に振らなかった。

意地を張っているだけだと思っていても、数日経っても、一週間が経っても、そして一ヶ月が経っても変わらない。

毎日のように言ってくるのだ。剣を教えて欲しい、と。

これは一時の気の迷いではない、とその目で訴えてくるのだ。

 そうしてロレンスはある決断をする。

悩みに悩み抜いて出した一つの答えは二人に剣を教えることだった。

ただし、それは基本的な動きのみで剣技は教えない。

剣技、俗にアーツと呼ばれるものは所謂必殺技のようなものであり、子供の二人にとってはあまり負担が大き過ぎる。

だからそれはずっと後、数十年後になってもその思いが変わらなければ、と二人と約束を交わすことになったのだった。





 「…………様?ロ……ス様?ロレンス様っ!?」

 「……ん?あぁ、すまない。少し物思いに耽っていたんだ」

 「はぁ……そうですか」

 「ニコ。君が僕のことや二人の出生の秘密をばらしたときの事を思い出していたんだよ」

 「はっ!?あ、いえ、その、す、すみません!その節は本当に申し訳ありませんでした!!」


 話の途中だというのに勝手に沈黙して昔のことを思い出していたのはロレンスだ。

それを何故か許されたはずの昔の過ちを持ち出されて非難されるニコが哀れだった。

あの時のように猛然と頭を下げるニコに、冗談が過ぎたことを今更思い知るロレンス。


 「冗談だよ、すまないねニコ。ぼーっとしていたのがつい恥ずかしくて」

 「ろ、ロレンス様ぁ……勘弁してください」

 「でも、あの頃のことを思い出していたは本当さ」


 居間のテーブルの上にはすっかりと中身がなくなった湯のみだけが残っていた。

話しながらいつのまにか飲んでしまったのだろう。意外と時間が経ってしまっていることをロレンスは知る。

深刻そうなニコとロレンスがいつまでも話しこんでいたら、蚊帳の外にいる子供たちが心配してしまっているだろう。

話を切り上げ言葉を残しながらロレンスは立ち上がる。

その背中に追い縋るようにニコが声をかけた。


 「ロレンス様!」

 「わかっているさ。王の命令だろう。前に話したことがある。でももう一度だけその内容が聞きたい。王はなんと?」

 「はい……。剣聖の弟子を城に連れて来い、と」

 「連れて来い、か」


 魔王の討伐、もしくは襲撃に備える為に連れて来い、という内容ではなかった。

一度、二人と話をしてそれから決めるということだろう。

ロレンスは王の人となりを知っていたから、強制させるような命令は出ないとわかっていたが思わずほっとする。

人間、追い詰めれば心変わりなど簡単にするものだ。

それが人類規模の問題になるというならば尚更だろう。

自分の意思を殺してでも国の為、人の為、非情になるよう育てられるのが国の頂点に立つべく者なのだから。


 「そうか、良かった。でもね、ニコ」


 敷居の扉に手をかけたままロレンスは振り向くことなく言葉を続ける。

ニコはその瞬間、空気がぴしりとひび割れるかのような錯覚に陥る。

別段、何かが起こったというわけでもない。さっきまでと何も変わらないというのに。


 「僕はあの二人の意志を尊重したい。大事にしたい。僕の家族なのだから、例え血の繋がりなんかなくとも」

 「はい……」

 「だからノエルとカイルが行くのも嫌だ、と言ったのなら無理強いはしたくない」


 ごくり。

我知らずにニコは唾を飲み込んでいた。

老人にも変わっている様子はない。この老人とは十年来の付き合いであるニコでさえ変化はわからない。

だというのにこの空気は何だというのだろう。


 「だから、王の命令だろうと僕は聞き入れない」


 国のトップの命令に背くこと、それはすなわち国を相手に喧嘩をすることと同義である。

魔王という大義名分がある以上、国民も例え英雄が相手であろうと味方になることはないだろう。

個人の我侭を聞くべき事態ではないのだから。

 それでもこの老人は至極落ち着いていた。

けして感情に振り回されているわけでもなく、淡々と当たり前のように話しているのだ。

ニコには狂気に侵されているのではないかと疑わんばかりの冷静沈着さだった。

何かに圧倒されるようにニコは声が出せない。


 「それでも国が、人が戦えと強いるのならば。その時は」


 そうして最後の言葉を告げる老人を目にして、ようやくニコはそのことに気付いた。

それは長い付き合いの中で一度としてみることがなかった老人のある一面であることを。

 その姿を見ることが出来たのは、戦場の最中。

後姿は堂々と、背中から幻想するのは味方を絶対に守る守護の盾。

常勝無敗にして不殺を貫く男の姿。

味方ならずとも敵にも知れ渡るその名声はアレフガルド全土に広がっている。

彼の名を天族は何と褒め称えているのか。

敵である魔族は何と恐れ戦いているのか。


 「まずは僕を倒してもらうしかない。そう皆に伝えて欲しい」


 ただの老人ではない。

その姿こそ、その背中から語る気迫こそ、稀代の英雄たる剣聖ロレンスの姿そのものだったのだ。






 ニコが家屋を後にしてからしばらくして。

居間には皆が集まっていた。言わずとも知れたロレンス、ノエル、カイルの三人だ。

ロレンスが呼びに行かなくとも、二人は自分から老人の元へと集まっていた。

真剣な空気であったのを悟っているのだろう。

事情は知らずとも、話の内容が軽くないものであるのはわかっている様子だった。


 「ロレンス様。ニコさんは何と言ってきたのですか」


 と、前置きなしに訪ねたのはノエルだった。

カイルはどうやらノエルに話す事を任せたらしい。どちらかというと口弁が立つのは少女の方なのだから仕方ないだろう。

何と言ったらいいか、ロレンスは一瞬だけ迷う。

しかし言い様が他に無く、王の話もあることから避けて通れることではない。

ロレンスはありのままを伝える事にした。


 「魔王が復活した、と」

 「え……」

 「じいちゃん?復活したってどういうことだよ!」


 テーブルを勢い良く叩き上半身を持ち上げて興奮するカイル。

カイルの抑え役であるはずのノエルでさえ、あまりの衝撃にその役割を忘れてしまっていた。

幼い彼らには受け止めきれるものではなかったのだろう。

ロレンスはカイルを落ち着かせるために声をかけた。


 「カイル、座りなさい。まだ話には続きがある」

 「けど!」

 「カイル」


 声を荒げる少年に有無を言わせない口調でロレンスはいさめる。

ただ名前を呼ばれただけだというのにその効果はてき面で、不承不承ながらも少年は座りなおした。

ノエルは呆然としていたが、それでも話を聞くことは出来るようで目線は老人に注がれていた。

それを見届けてからロレンスは話を続けることにした。


 「魔王の復活。ニコから告げられたことからもこれは確実だ。巫女から神託を受けたと言っていた」


 何も魔王が何処かに現れて災厄をもたらした、という話は今の所ない。

ではどうやって復活のことを知ったのか。

それはロレンスの言葉の中にあった巫女の神託のおかげだ。

 この世界、アレフガルドには神という存在が確かにある。

迷信やまやかしではない純然たる事実として存在するのだ。

その声を神託として受け取るのが白き巫女と呼ばれる女性の役目である。

神託は往々にして大事を予言するものが多く、外れたことは無い。

 では何故ニコがそのことを知っていたのか。

彼は王城務めの兵士でありその足の速さが評価され、連絡係として北から南、西から東へと駆けている人物だ。

王城は白き巫女との関係も深く、真っ先に神託の内容を告げられる。

つまりニコが神託の内容を知っていたとしても不思議ではない。

あの純朴な青年が嘘をつく道理はなく、従って真実であろう。


 「魔王が復活……。だとしたら、また魔族が攻めて来るかもしれないってことですか!?」

 「そうだね。その可能性は低くない」


 あくまで毅然と話す老人だったが内心は心の痛みでもがいていた。

何故ならこの二人が戦災孤児となった原因は、二十年前を皮切りにする魔族の大侵攻によるものだったのだから。

戦火は広がり続け、大切な人を亡くした人も多い。

戦は予想外に長期化し、五年もの間終わることは無かった。

今もその傷跡が残っている土地もあるという。

 この話を知って子供たちが平静でいられるわけがないのだ。

老人にとってはとても心苦しく、だがそれでも話を続けなければならない。ニコが伝えようとしたことをロレンスが口にしなければならない。

それこそが力を与えてしまった者の責任であり、王と勝手に約束をしてしまった自分への罰なのだから。

どんなに口が重たくなったとしても、言わなければ。


 「来るならきやがれってんだ!返り討ちにしてやる!」

 「そんな息巻いてる場合じゃないでしょ!戦争になるかもしれないってことだよっ」

 「それがどうしたってんだ!俺たちが守ればいいだけの話だろ!!」

 「あんたそれ本気で言ってるの!?たった一人に何が出来るって言うのよカイルッッ!!」

 「ノエルこそ、どうしてそんなに及び腰なんだよ!?未だに魔族が怖いってのかっ!!」


 売り言葉に買い言葉。ヒートアップする二人。

ロレンスが束の間躊躇している間だというのに、急加速で口喧嘩を始めてしまった。

やはりこの二人にとって魔族という存在は見逃せないものらしい。

いつもならばどこか遊び心が入っている喧嘩をするというのに、今日に至っては互いが真剣に争っている。

 そんな二人を見て老人は最早先延ばしをするべきではない、と悟る。

こんなに争っている愛しい人たちの姿をいつまでも見ていたくはなかった。


 「ノエル、カイル。聞きなさい」

 「ロレンス様……?」

 「じいちゃん?」


 けしてその声は大きくなかったというのに、二人の喧嘩はぴたりと止まった。

老人の声が悲しみに染まっていたからだろうか。今にも泣き出しそうな苦しみに満ちていた。

二人が静かになったのを見計らってロレンスは顔を上げ、言い放つ。


 「王から……いや、王と僕は約束をしていた。火急な大事には手助けして貰いたい、と」

 「…………」

 「それが今なんだよ。王が君たちを呼んでいる。僕の弟子として力になって欲しいと」

 「私たちが?」

 「俺が王様の?」

 「ただし、これは僕と王が勝手にした約束だ。二人に強制させることは出来ない。

  それを念頭に置いて、自分たちの意志で決めて欲しい。行くのか、行かないのか」


 そう一気に言い切るとロレンスはふぅぅ、と深いため息をついた。

全身から疲労が吹き出るような感覚に陥っていた。精神的にとても疲れていたのは事実だが、体まで緊張で強張っていたらしい。

 とても難しい問題だと思う。

まだ十五年――ロレンスが二人を廃村から助け出した時から数えて――、生きただけの少年少女である。

なのに急に魔王が復活して、二人には力になって欲しいと言われても困惑するだけだろう。

当然のように彼らは互いの顔を見合わせては厳しい表情を作っていた。

 こんなことを突き詰めてしまった老人の心境とはいかほどか。

少なくとも穏やかでいられないのは間違いない。

家族としてならば二人には行って欲しくない。誰が好き好んで死ぬかもしれない場所へと行かせるものか。

だがしかし剣聖としての立場なら……。

彼らには戦う力があり、それを腐らせておくなど考えられない。ノエルとカイルならばたくさんの命を救えることだろう。


 (それでも……危険な目に合わず、生きていて欲しいと思うのは卑怯なのかな)


 いっそ自分が戦場にいけるのならばそうしたい。

だが剣もろくに扱えないこの体では足手まといになるのは目に見えている。

高齢、ということもあるが昔に負った傷が今でも響いているのだ。

 だから二人には手ずから教えていたというわけではない。

型を見て間違いがあれば口にするだけ。後は体の鍛え方を少し教えたぐらいだった。

それでもノエルとカイルは老人の予想以上に強くなった。ただの子供であれば、こうして王から要請など来ないのである。

それは本当に嬉しい誤算だったのだろうか、今ではもう老人にはわからなくなっていた。


 「じいちゃん」


 急かす様なことなく静かに目を瞑っては口を閉じていたロレンスだったが、真剣なカイルの声に目を開かれる。

少年は胡坐をかくことをやめては正座をし、姿勢をまっすぐに伸ばして老人を見詰めていた。

その視線の強さは意志の表れであろう。心に決めた者が有する、揺ぎ無きまなざし。

傍らに同じように佇むノエルとてそれは同じだった。


 「ロレンス様。私たち、決めました。王様の下へと行って自分たちが出来ることをしたいと思います」

 「早急に決めなくてもいいんだよ。考える時間は貰っているから」

 「いいえ。私は私たちと同じような目に合う人たちを見たくありません。私たちにはロレンス様がいました。

  けれど、他の人にもそんな優しい人と出会えるとは限りません。だからそんな人たちを、危機から未然に守れるというなら守りたい」

 「俺は……小難しいことはわからない。だけどこの場所を、俺たちの居場所を奪うような真似をする奴がいたら、絶対に許さねぇ!

  ここが大好きだ。じいちゃんがいるこの家がとっても大事なんだっ」


 どうやら老人が思うよりも子供たちは自分なりの考え方をしっかりと持っているようだった。

二人の成長に嬉しさと同時に寂しさも感じるロレンス。

旅立つ雛鳥を見送る親鳥の感情とでも言えばいいのだろうか。

その翼で空を羽ばたこうとするのを老人は止めることはできない。

 だが二人は戦場というものを知らない。ただの勝ち負けがあそこに転がっているわけではない。

覚悟を確かめるようにロレンスは厳しい言葉を叩きつける。


 「ノエル、カイル。守るということはずっと難しいものだよ。それこそ相手を傷つけることの方がよっぽど簡単だ。

  命のやり取りをすることだってある。そんな中で守りたい者を守れるかな」

 「そんなことわかってるっ!だから俺は……」

 「わかってない。あの空気を君たちは知らない。戦う前の覚悟なんて砂塵となってしまう戦場。それを経験したことがない君たちではわからない」

 「じゃあ……一体どうしろって言うんだよ、じいちゃん……」

 「一本の鋼を持ちなさい」

 「鋼……?」

 「折れることの無い、心の芯を貫く鋼を持ちなさい。どんな事になろうとも欠けることのない鋼を持ちなさい。

  意志の強さが君たちを助ける。切り開く道を教えてくれる」

 「心の鋼……」


 剣のようにまっすぐに伸びた意志という名の鋼。それを子供たちには持っていて欲しかった。

時には悩むこともあるだろう。疲れて立ち止まることもあるだろう。

先行きが見えなくて迷子になることだって。

でもそんな時に光が差し込むきっかけとなるのは、きっと心の中にある自分の意志。

そして。


 「もしもそれでも駄目だったら周りの人を頼りなさい。一人で抱え込むことなんてないのだから」


 そう、頼ることは間違いではない。

ロレンスはある人物の顔を思い出しながら、少しだけ寂しそうに笑った。

彼女は今もあの戦場にて一人で戦っているのだろうか――。


 「うん……わかったよじいちゃん。じいちゃんの言葉、ずっと覚えておく」

 「心に刻んでおきます、ロレンス様」


 寂寥感のある老人の表情には気付くことなく、二人はしっかりと頷くのだった。

これでロレンスが言いたいことはもうなくなってしまった。

後は残った時間、彼らに最後の教えをするだけであった。

言葉では語りつくせぬ、家族としてではなく剣士としての最後の務め。


 「ニコには考える時間として一週間待ってもらっているんだ。その時間を準備にあてたいと思っている」

 「一週間……結構長いなー」

 「城に行くのだから旅支度がいるのよ。色々と準備しなくちゃ」

 「うん、それも必要だね。でもそれとは別に僕が二人に教えたいことがある」

 「え?」

 「ロレンス様、それは一体……」


 言うよりも早く、老人は和室の方へと足を運ぶ。そして長い間、誰にも使われることがなかった二振りの刀を手に取る。

一振りは長刀。ずっしりと重く片手では持つのも苦労しそうな月光という名の名刀。

二振り目は短刀。驚くほどの軽さでありながら振り抜けば影さえ追えない言う由来から月影という。

 兄弟刀とも呼ばれるその二振りを腰に差しながら、ロレンスは庭に降り立つ。

その様子を家の中から覗いていた二人は困惑顔だった。

ロレンスが刀を手入れしている姿はちょくちょく見るのだが、こうして腰に差している姿を見るのは初めてだった。

だから彼らは老人が何をしたいのかさっぱりわからない。

老人に声を掛けられるまで、立ち尽くすしかなかったのだった。


 「ノエル、カイル。残された時間を使って僕が直接君たちに剣を教える」

 「じい、ちゃん……?」

 「君たちは体裁きや構えは驚くほどの速度で体に馴染ませた。それに伴って体作りもちゃんとしてきた。

  今ならば剣技を教えても問題ないだろう」

 「それは本当ですか!?ロレンス様!直接手解きしていただけるなんて夢のよう……」

 「ただし、生半可な気持ちでは挑まないことだ」


 ノエルの喜びの声を遮るようにしてロレンスは冷や水をかける。

そこにいるのは優しい老人では最早なかった。

鞘から取り出さぬまま、月光を両手に握ったロレンスから感じられる気迫は並大抵のものではない。

二人には一分の隙さえ見つけることができぬ不動の構え。

寄らば瞬きのうちに切り殺されてしまう、そんな威圧感が漂っていた。


 「覚悟があるのならばそこにある木剣を手に取りなさい」


 家の壁には二本の木の剣が立てかけてあった。

ノエルとカイルが腕を磨くために打ち合いに使う物で、真剣を持たない二人には愛刀といえるもの。

長年、剣の練習をしていたから木の剣はすでに三代目となっているが、手に馴染むぐらいには使い込んでいた。

得物を手にすればどんな相手だろうと負けない。それだけの自信を二人は抱いていた。

 だが、一歩たりとて足は動かない。

それはどれだけ自分の自信が脆いものだったのかと、目の前にいる一人の剣士によって思い知らされたからだった。

二人が動かないと見るや、老人は再び口を開く。


 「この程度で挫けるならば所詮その程度の覚悟。守りたい、などというのは夢物語。願うだけに留めるべきだ」


 挑発ともいえるその言葉に真っ先に動いたのはカイルだった。

素足のまま庭に飛び降りては立てかけてあった木剣を手に取ると、猛然とした勢いで老人に切りかかる。

気合の込められた声を発しながらの愚直な上段からの斬撃。

少年の顔に宿っているのは怒りだった。

認めて欲しい人に認められない憤りを剣に込めた一撃は、とても子供が振るような剣速ではない。

 だがそんな一振りもロレンスにとっては児戯に等しい。

足裁き一つ、たった半歩横に移動するだけでカイルの剣は空を切る。

かすりもしなかったことに驚愕する前に、少年は反射的に身を捻りながら木剣の腹を前に出す。

ガッ、という鈍い音と共に斬撃が襲い掛かってきていたのだった。

後一秒でも判断が遅れれば直撃したであろう。

しかしながら防御したとしても、その一撃は重かった。

軽くない衝撃が剣を支えていた両腕にかかり、その場で留まることも出来ずに押し出されては地面を滑る。

とてもそんな怪力をあんな細腕の老人が放ったとは思えない。信じがたい光景だった。


 「じいちゃんって……こんなに強かったんだ……」


 あれは剣技でも何でもないただの一撃である。

それがもしあの力から放たれる剣技を使われれば、どれほどの威力になるのかも検討がつかない。

 語る口はなし、と老人は少年に声を掛けることはない。

カイルもそれ以上は言葉にしなかったが、再び切りかかることは出来なかった。

衝撃による手の痺れがとれず、また不用意に突っこんでも意味はないとわかっていたから。

 攻め込む気がないと見ると、ロレンスは無防備にもカイルに背を向ける。

本来なら絶好の機会なのだろうが、カイルにはそれでも隙という隙を見出すことが出来なかった。

そして老人は少女へと語りかける。


 「ノエル。君は諦めるかい」

 「ロレンス様。私は!」

 「そう、諦められるはずが無いね。だったらそこに立っている理由はないだろう」

 「ッッ!!ロレンス様、手合わせ願います!!」


 疾風となったノエルはカイルよりも更に速く地を駆ける。

流れる風と共に、いや、風よりも速く。空気の壁を破らんばかりに疾走する。

そうして懐に飛び込むや否や、対応のしにくい地を這うような下からの切り上げを放った。

ノエルの得意技でもあるこの一撃は、カイルが相手ならば勝負を一瞬でつける奥の手だった。

 それを初撃から迷うことなく選んだノエルの判断は正しい。

力の差がある相手ならば出し惜しみするなど愚の骨頂。

全力で最初の一撃でけりをつける。相手の力を出される前に倒せば何も問題ないのだ。

例え大人の剣士が相手であろうと、ノエルのこの一撃を完全に避けることなど不可能に近い。

それが普通の相手ならば。


 「そんな!?」


 老人は尋常な相手ではなかった。

これも紙一重。後ろに一歩後ずさるだけで空しい空振りに終わらせる。

相対した時からノエルは遠慮するつもりなんてなかった。カイルのあの一幕を見ればそんな気もうせるというものだった。

だから今の切り上げは本気中の本気。当てるつもりだった。

なのにロレンスには届きもしない。

 反撃を警戒して急いで態勢を整えようとするものの、老人の行動の方が絶対的に速い。

剣を使うまでも無く、押し出すような体当たりによってノエルは文字通り吹き飛ばされる。


 「……まだ剣技を教える段階でもないみたいだね。何なら二人同時でも構わないよ」


 それは誇張でも、かといって嘲りでもなかった。

事実、例え二人が一緒に切り込んだとしてもロレンスは対処できる自信がある。

戦場の中でなら一対一など願っても得られる状況ではなかった。

四面楚歌、三百六十度が敵だらけだったのだ。それがたった二人。なんとも容易いことではないか。

 そして子供にしては卓越してるとはいえ、二人はまだまだ未熟。

悔しそうに顔を歪めている本人たちにもそれはわかっていた。


 「ノエル……いくぞ。じいちゃんはとんでもなく強いけど……」

 「わかってるわカイル。剣技のことは考えないで、まずはロレンス様に認めてもらう」

 「……三」

 「……二」

 「一」

 「「零!!」」





 それからの一週間。寝る間も惜しんでロレンスの手合わせは続いた。

何十回、何百回とも打ち合い、古びた家屋から剣撃が鳴り止まぬ日はなかった。

剣聖としての顔で接するロレンスに、必死に食い下がるノエルとカイル。

濃厚な時は瞬く間に過ぎていく。

そうして三人が過ごす最後の一週間の末日、それが二人の旅立ちの日となった。

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