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第二話 魔王復活

 冬の朝というものは、寒さの中に清涼剤でも紛れ込んでいるように清らかな空気を持っている。

冷たいながらも空気はとても澄んでいて、深呼吸するだけでも気持ちがいい。

朝焼けはどうしても寂しくなる冬の景色に彩を与えるように頑張って輝いていた。

霜が降りるような冷たい朝。

ロレンスは庭に出てはそんな光景を堪能していた。

普段着である若草色の浴衣を着込みながら、少しも寒さを感じていないかのようにゆったりとして。

 老人にとって朝は嫌いではなかった。

何故なら希少な一日の始まりをその目にすることが出来るから。闇の中から光に照らされて本来の色を取り戻し息を吹き返す光景。

それはまるで生命の誕生のようだった。何度見ても心をうたれる。

それもこの時を逃してしまうと、明日にならなければこんな光景は拝めない。

これを希少と言わず何と言うのか。

ロレンスにとって最早それは長い長い年月をかけた習慣となっていた。

その光景を見る為だけに早起きし続けていたわけではないが、年を取ってからは専ら朝焼けを見る為だけに起きている。

今日も美しい光景を見られたことに感謝しながら、老人は背中側から誰かの気配が近づいてくることに気付いた。


 「ロレンスさまぁ……おふぁようございましゅ……」


 ぺたぺたと素足で床を歩く音を鳴らしつつ、舌っ足らずな言葉が家屋の方から耳に入る。

途中であくびを洩らそうとして必死に押し殺したのか、言葉としてはとてもわかりづらかったが朝の挨拶ということはわかる。

微笑ましさに唇を緩ませ、いつもの柔和な顔にそんな感情を潜ませながらロレンスは振り向いた。


 「おはよう、ノエル。今日もいい天気だよ」

 「ふぁー……そうですねぇ、今日もいい天気です……」


 無意識に出てしまったのだろう、変な言葉を洩らしてはオウム返しするノエル。

しょぼしょぼの瞳は夢うつつ。半開きになっている口からはもごもごと何かを喋っている。

兎のようなツーテールも解けてストレートに降ろし、その態度も合わさって普段とのギャップでかなり幼く見える。

いつもならきちっとしている服装も寝巻きのままで、ボタンが一つ二つと外れていて健康的な肌色が大胆にあらわとなっていた。

少女は見ての通り朝には非常に弱い。弱すぎるといってもいい。

おそらく頭の中は未だに夢の中にいるといってもいいだろう。

 そんな様子に苦笑してロレンスは縁側に立っている少女に近づいた。

女の子が肌を簡単に見せてはいけないと思い、ボタンを手ずから留める。

成すがままでいるノエルはぼんやりとその光景を眺めるだけで、特に口を挟むことはなかった。


 「ほら出来た。ノエル、挨拶もいいけど顔を洗ってきてはどうかな」

 「はーい……」


 言動もどこか退行しているようだった。間延びした返事をした後、ノエルは大人しく従って踵を返した。

ふらふらとした足取りは思わず不安に駆られてしまうが、顔を洗えばしゃっきりするだろうとロレンスは思った。

世話をしてやりたい気持ちがむくむくと湧いてくるのも確かなのだが、付いていきたい気持ちを老人はぐっと堪える。

 基本、ノエルとカイルには甘い態度を取るロレンスは巷で言う所の過保護な保護者だ。

本人は愛情故、と言葉にするが第三者から見ればダダ甘なだけである。

まぁそれでもこの三人の暮らしはうまくいっているのだから、他人がどうこういう話ではないのだろう。




 「朝は醜態を晒してしまい、失礼しました…………」


 しきりに猛省の態度を取りながら平身低頭する。

声も同じように沈みきっていて、真面目で溌剌だった少女はそこにはいない。

そこにいるのは、やらかしてしまった雰囲気を全身で表す土下座スタイルのノエルという女の子だけだった。

 時刻はあれからちょうど三十分経った、というところだろうか。

少女が必死に謝っているのは寝起きの一件のことだ。

居間の畳の上で正座をしては頭を下げっぱなしの少女を目の前にして、ロレンスは困った顔をするしかなかった。

 気にしてないからいいよ、と許すのもおかしい話だ。老人にとっては失礼でもなんでもない。

家族の油断した顔を見たとして、それを無礼だと思う身内がいるだろうか。

厳格な家庭ならそうかもしれない。

だが、ロレンスにとってはそんな表情も嬉しいと思うのだ。

この場所で、この三人で過ごして安心を覚えているから。だからそんな表情が出てしまった、ということなのだろうから。

 しかしノエルの気持ちもわからなくはない。

ロレンスとてノエルが自分に対して尊敬の気持ちを抱いているのは知っている。

そんな人物に自分の情けない姿を見せてしまった。落ち込んでしまうのも無理はない。

それにしては大げさな気がするが、それだけ少女が老人のことを敬愛しているということだろう。

 少女の気持ちを汲めば、ただ一言許しの言葉を言えばいいだけの話だ。

だが、だがである。

ノエルが尊敬の気持ちを抱いているように、ロレンスもそれに見合うように正しくありたいと思っている。

するとここで厄介なことが発生する。老人の中で正しい人というのは嘘をつかない人間なのだ。

たかが小さな嘘、されども嘘は嘘。

相手を思いやっての嘘だろうと、ロレンスはつきたくないというのが正直な所だった。


 ……まぁ一連の心境を言葉に表すと上記の通りである。

騒動といえば騒動ではあるが、ロレンスは困った顔をするものの内心、非常に落ち着いている。

実はこのやりとり、初めてというわけではない。

十日に一回ぐらいの割合でねぼけたノエルが顔を見せることがあるのだ。

今日に限っては覚えていたからこのような事態になっているが、ノエルで言う所の醜態を晒したことを忘れている時もある。

無論、そんな時はスルーするのが定例である。

 だから頻度としては一ヶ月に一回程度だろう。

長年一緒に暮らしているのだから、ロレンスにとって慣れ親しんだイベント、ともいえる。

こういう時の対処方法はすでに心得ている。

ロレンスは顎から垂れた白い髭を擦りながら、似合わないしたり顔を作ってから声を出した。


 「朝のおかずは焼き魚がいいな」

 「え?」


 さすがにその言葉には顔を上げたノエルは、ロレンスの表情を見てはっとする。

得意げな顔をしては難題――ロレンスにとっては――を言うのは、許しの合図であったから。

これなら嘘をついているわけではない。

現に老人は魚が食べたいと思っていたし、ふと我侭を言ってみたくなったのだ。

それを少女が許してもらう為のものだと思うのは勝手である。

 これがロレンスが出来るギリギリの対処法であった。

時にはそんなことでいいんですかっ、と食い下がれることはあるがその時はその時である。

今回は若干納得していない顔をしながらも大丈夫なようだった。


 「昨日仕入れてきた新鮮な魚がありますからそれでいいですか?」

 「うん、いいね。薄く塩で味をつけてくれると尚いいよ」


 ここで注文を一つや二つつけるのがロレンス的にポイントとなる部分だった。

普段はあまり料理についてはとやかく文句をつけない性分であるから、我侭を強調できる。


 「はい!お任せください!!」


 元気良くそう返事をするノエルにようやくロレンスは胸の内でほっとした。

落ち込んでいた少女は何処へ行ったのか、すでにすっくと立ち上がっては台所に飛ぶ勢いで去っていってしまった。

ノエルに入れ替わるようにしてカイルが居間に顔を見せる。

少年は順番として最後という形になったが、別に起きてきたのが遅いというわけではない。

この二人が早いだけであり、カイルも他の子供と比べると早い時間に起きているといえるだろう。

そんなカイルはノエルのいやにはりきっている様子に、なんだこいつは、という顔をあからさまにした。


 「じいちゃんおはよう。ノエルどうしたの?」

 「おはようカイル。ん、いや……ちょっと僕が魚が食べたい、と言ってね。朝ごはんの品に加えて欲しいと言ったんだよ」

 「ふーん、そっか。それならノエルなら頑張っちゃいそうだなー。でも魚かぁ」

 「肉の方が良かったかい」

 「ううん、魚も好きだけで骨取ったりするのがめんどくさいんだよなー」


 なるほど、確かにカイルはおいしい料理にはすぐに齧り付きたいタイプであり、事前に準備がいるような食べ物はもどかしいのだろう。

ロレンスはなら僕が骨を全部取ってあげようか、と過保護力を存分に発揮しようとしたがすんでで思い留まる。

さすがにそれは行き過ぎではないかと自分でも思ったからだ。

ふむならば、と考え付いた言葉をロレンスは口にした。


 「剣捌きの練習にもなるからちょうどいいんだよ、魚はね」

 「え、なんで?」

 「柄を握る時、力を強くしたり弱くしたり調節するだろう。繊細な力加減がいるんだね。魚の骨を取る時にも通じるものがあるんだよ」

 「うーん?そうなの?……でもじいちゃん、骨取るのすげーうまいもんな」


 深く突っこまれれば困ることになる思いつきであったが、うまくいったようであった。

まぁこれも嘘ではない。

指使いが巧みであれば剣の強さに比例するのは確かである。

例えば拮抗するような鍔迫り合いの最中。

絶妙なタイミングで手元を弱め、相手を引き込みバランスを崩させて切り込む。

間違えばそのまま殺されてしまうような時にこそ活路を見出すことも可能になる。

……と大げさに言ってはみたが、魚の骨取りがそこまで役に立つかは微妙だ。

しかし塵も積もれば山となる。日々の小さな出来事が糧となるのは間違いない。

 そんなことを話していれば台所から魚の焼けるいい匂いが漂ってきた。

食欲をそそる香ばしい匂いに、思わず鼻を鳴らして嗅いでしまうのは仕方ないといえるだろう。

めんどくさいと口では言いつつもやはりカイルも魚の味は好きなのか、匂いを嗅いでは悩ましいため息をついた。

カイルと一緒にここで話しているのもいいが、ノエル一人に全て任せるのは忍びないと思い、ロレンスは立ち上がる。

食器の用意ぐらいはさせてもらえるか、と台所へと歩いていく。

 と、その時になって玄関口に備えられている呼び鈴が鳴った。

どうやら珍しい客人らしい。

この家屋は人里離れた場所に建てられており、人が訪れることは滅多にない。

友人や知人であれば時たま来るのだがその程度だ。

しかもこんな朝早くというのは大変に珍しい。

 おや、とロレンスは思いつつ自分が出ることにする。ノエルは料理に忙しいだろうし、カイルでは対応に困るだろう。

一応台所にいる少女に声を掛けつつ、ロレンスは玄関口へと向かった。

来訪者が知らせる国中を震撼させる出来事が、まさしく嫌な胸騒ぎの正体だったということは露知らずに。




 訪れた軽装の鎧を着込んだ青年ニコを居間に通して腰を落ち着ける。

玄関口で、いつも連絡係としてこの家に訪れる、気心が知れたニコが来てくれたのは嬉しいことだったのだが。

その顔を見た時、ロレンスはただ事ではない事情を抱えていることを知る。

ここで話すことではないと思い、挨拶も程ほどにこうして居間へと迎えたということだ。

 どうぞ、とノエルが熱いお茶を向かい合ったロレンスとニコに出してくれたが青年は口をつけることはなかった。

厳しい表情で頑なな態度を崩さずに湯のみの中を注視していた。

一体、その中に何を見ているのか。

ロレンスは静かにお茶に口をつける。待つつもりでいた。

あまりに思いつめていて、問い詰めるのも逆効果だろうと老人は思っていた。

 茶を二人に出したノエルは長居もせずに居間から出て行く。

ノエルとカイル、二人には席を外してもらうことにしていた。

ニコとは二人共仲良くしてもらってはいるが、今は遠慮してもらう方が正しいだろう。

戸を閉めてノエルが出て行ったのを皮切りに、ニコは顔を上げてロレンスの目をしっかりと見た。

切実な思い、苦悩や葛藤。ニコの瞳の中には色んなものが見えた。

この時点で老人は悟る。ついにその時が来てしまったのか、と。

 果たしてその直感は、言葉としてはっきりと現実になる。

ニコは閉ざされていた口を重苦しく、ただ懸命に言葉を外に出すように振り絞る。

短くも重い言葉を、この幸せな生活が激変してしまう一言を発する為に。


 「ロレンス様……魔王が、復活しました」

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