第十三話 魂に宿るもの
ばちばちと火花が断続的にでもあがるような音が響いた。
それはマギ・ロアーの砲身部分から鳴り響く、濃縮された魔力同士がぶつかり合う音だった。
すでに発射された光の本流は止まっており、それは残滓に過ぎない。
本来なら魔力同士がぶつかったとしても、視線に捉えきれるほどの放電現象を目の当たりにすることはできない。
ありていに言えば、それほどまでに集められた魔力が膨大だったということだ。
「どうだ!?やったか!?」
魔力の放電に身を引きつつ、引き金から手を離した男は操縦席の横から身を乗り出した。
操縦席に窓や扉といった上等なものはなくフレームだけで取り囲んだお粗末なものだったが、一刻でも早く状況を確かめたいこの状況では幸いだった。
だが果たして男にとってそれが本当に幸運だったのだろうか。
「あ、あ……」
何故ならば男の目線の先には未だに巨人の姿は存在していたから。
巨人の斜め後方の壁には大穴が空いていた。つまり、それは外れてしまった、ということ。
男はそれ以上の言葉を続けることも出来ず、ただ意味のない言葉を呟くことしかできなかった。
マギ・ロアーの砲撃が強力無比なものであったのは、特殊な素材で出来ているコーティングフロアをいとも簡単に抉っていることからも明らかだった。
融解した床が熱によって赤くなり、光が走った跡には赤熱の道が出来上がっていた。熱量はまだ失っておらず白い煙が立ち昇っている。
その向こう側で未だ健在のタイタンは二つの足を地につけていた。
だがしかし、無事というわけでもない。
いくらタイタンが強固な装甲を持つとはいえ、マギ・ロアーのあの一撃を直撃されてしまえばひとたまりもない。
一度直撃してしまえば一瞬の内に消し飛ばされてしまうだろう。
人工知能は光の奔流が放たれた後の僅かな時間を使い、その結論に至った。
即座の防衛行動をとるのにコンマ一秒も掛からず、全エネルギーを重力力場に注ぎ込み盾のようにして両腕に纏った。
纏わり付いていた少年のことは一切無視をして反転。そして腕を前に持っていきバツの字に交差させた。
腕に纏った重力力場は重なることで更に強度を増し、目に見えぬ巨人の大盾はここに完成した。
その大盾で光の奔流を受け止めきったのは見事としか言うことは出来ない。
だがタイタンは一つ誤算していた。
マギ・ロアーの一撃はタイタンが予測していた以上の威力をもっていたのだ。
タイタンをもってしても受け止めることは出来ず、どうにか力の方向を逸らすことしか出来なかった。
更に無視の出来ない損傷も受けていた。両腕の装甲は剥がれ落ち、フレームの部分が半分以上も露呈。
出力を限界以上に引き出さなければ大盾を維持できなかったことにより、防いだ直後にオーバーヒート状態に陥った。
重力力場は最低限のものしか維持が出来なくなった。機敏な動きはもはや出来ないだろう。
復旧には短くない時間がかかる。タイタンは見た目以上の深手を負っているのだった。
しかし、操縦席に座っていた男の顔は明るくない。
「もう、おしまいだ……」
無力感に苛まれ嘆く男の言葉は正しい。
重力力場をある程度無効化に成功できたのは行幸ではあるが、それも時間が経てばいずれ回復する。
求めていたのは機能停止、もしくは深刻な損傷だったはずなのだ。
マギ・ロアーは必殺の一撃であるが故に装填に多大な時間がかかる。
先ほどの一撃でタイタンはマギ・ロアーを脅威とみなしただろう。もう一度撃てる機会はないに等しい。
それ以前の問題として、魔力を注ぎこむ魔族がここにはもういないのだ。
倒れ込んでいる魔族たちはこの光景を見ずに幸せだったのかもしれない。
見なければ男のように絶望することなかった。
そして意識をなくしたまま、恐怖に怯えることなく死ねるのだから。
「諦めるな!!」
絶望の淵に立たされたそんな男の正気を取り戻したのは、凛と声を張り上げた子供の声だった。
グランレイク研究所には子供というものは存在しない。
常勤しているのは大人の研究者に研究所を護衛するガードマンぐらいなものだった。
もしも子供がいたとすれば、それはマギ・ロアーの砲撃に巻き込まれた少年ただ一人のみだ。
ばっ、と顔を上げた男の視線の先に死んだはずの少年が確かにいた。
信じられないものでも見たかのような思いに駆られ呆然とする。少年はそんな男を視線で射抜いていた。
男は自分の人生の中でもこれほど力強い瞳を見たことがなかった。
瞳は語っている。雄弁に、心に訴えるように。少年が言葉にした以上のものを。
折れ掛けていた男の心に芯が戻る。それは目の前の巨人と戦うにはあまりにか細いもの。
だが直接立ち向かうことが出来なくとも、恐怖という名の鎖から解き放たれるには十分だった。
男は少年に向かって一度頷き、操縦席から飛び降りた。
マギ・ロアーはもう使えない。潔くこの研究所の最大の兵器を切り捨てる。
男は周りに魔力切れで倒れ伏している者たちを安全な場所にまで運んでいこうとしていた。
タイタンが暴れれば何処にいようとも無駄であろうが、それでも男はこの場所にいてはダメだと思っていた。
あの少年が巨人と戦うには周りに他の者がいては邪魔になる。
普段の男ならば失笑しそうなことを考えながら、倒れていた魔族の一人を背中に背負いゲートへと走って行く。
マギ・ロアーの一撃でも倒せなかった怪物に、あんなに小さな子供がどうするというのか。
救助をしながら頭の片隅でそう考える。
しかし、男の目にはあの瞳が焼きついている。
何かとてつもないことを成し遂げてくれそうな、そんな期待を抱かずにはいられない瞳の色が。
「これで大丈夫かな……」
「一体何が起きやがったんだ?レン、お前どうやってあの砲撃を」
レンはマギ・ロアーの周りに倒れていた者たちを助け起こしている男を見てほっ、と息を吐く。
そんなレンにオルファはあの回避不能なタイミングでどうやって避けられたのか、訊ねようとしていた。
光の奔流が目の前にまで迫っていたのは確かだった。
どんな手を使っても、例え魔術を使ったとしてもあれは間に合わなかっただろう。
「その話は後、だね」
「おい話を逸らすな……ッ!?」
問い詰めようとしたオルファは思わず口を紡ぐ。
ぎぎぎ、とブリキが動くような鈍い動きでタイタンが首を動かしたのだ。
マギ・ロアーを見ていたその頭が不気味にレンの方へと向いた。
はっきりとした敵意が自分に向いていることにレンは気付く。
オルファを構えるレンに、ずしん、と鈍重ながらも確かに歩みでタイタンが行動を再び開始する。
「このデカブツ!まだやろうっていうのか!ホネホネになってる癖に生意気なやつだぜっ」
「ダメージは受けているようだけど、あの様子ではまだ戦えるみたいだね。……アリス、もう動ける?」
「……はい、レン様。どうやらあの押さえつける力もなくなっているようです」
いつの間にかレンの傍にはアリスが控えていた。
影のようにひっそりと佇んでいたアリスにオルファは内心どっきりしていたのだが、それはおくびにもださない。
「兵隊の皆さんももう立てますね」
「……あぁ」
立ちながら短く返事をする隊長。続くように隊員たちもそれぞれ立ち上がる。
後ろを向いたわけでもなく、タイタンだけを見据えている少年に彼らは畏怖を感じた。
何が変わっているというわけでもない。少年の姿はぼろぼろなままで、立っているのもやっとな程だ。
小さな背中は彼らとも一回りも二回りも違う。
タイタンと戦っている姿を目にしても、彼らは共に戦う仲間としてではなく保護対象と見ていた。
それなのにどうしてだが、今は彼の背中が大きく見えたのだ。
彼らの誰しもが巨大な壁が立ちはだかっているような安心感を覚えた。
この背中の後ろにいるならば、あの巨人の攻撃も届かないのだと。
だから少年からマギ・ロアーを運んできた者たちと一緒に退避してくれと言われた時、反対する者は誰もいなかった。
迅速に行動を開始する隊員たち。
あっという間にその場にはレンとオルファ、タイタン、そしてアリス以外の人々はいなくなった。
タイタンはまるで邪魔者がいなくなるのを待っているかのように、何も手出しはしてこなかった。
「……クレイトスさんたちもようやく逃げたようだね」
「そのようです。でも何故わかるのですか?レン様は私みたいにセンサーを搭載しているのでしょうか」
「センサーが何なのか僕にはわからないけどたぶん違うよ。それより君も逃げた方がいい」
「それは否定します。ご主人に命令された通り、貴方を逃がすまでは離れません」
「アリス……」
「レン、無駄だぜ。こいつらは一度命令されたもんは命令した本人にしか取り消せねぇ」
レンは困ったようにアリスを見詰めた。
無表情である彼女の顔はそれでもぴくりとも動かず、体も同じようにその場に留まっていた。
と、その時、ずしん、と一際大きく地面が揺れた。
音の発生源を見れば、タイタンが物凄い勢いでレンたちに向かって突進してきているではないか。
それは重力力場が最大限に発揮していた時と比べるとあまりに杜撰。
しかし十メートル以上もの巨体が迫り来る光景は原始的な恐怖を呼び起こす。
その場からパニックになって逃げ惑ったとしてもおかしくはない。
「レン!ここはやべぇぞ!」
「レン様、退避行動を推奨します」
オルファは焦りながら、アリスは淡々とそうレンに進言する。
徐々に大きくなっていくタイタンの姿を前にして、レンは静かにオルファを下段に構えた。
その有様はまさしく自然体であり、こんな状況でなければゆったりとリラックスでもしているかのように見えるだろう。
「レン!?」
「レン様?」
動かないレン。
アリスは機械的な思考で危険だと判断し、即座にレンを引っ掴んでも回避しようとする。
レンの腕をとるアリスだったが少年はびくともしない。
アリスの力は見た目とは違い、フルパワーであれば魔族十人以上の力は出せる。
起動実験でテーブルの上に乗った魔族たちを、その足場ごと軽く持ち上げて研究者たちを驚かせたりしていた。
そのアリスを持ってしてもレンは動かない。
まるで根付いた大樹のよう。いくらアリスが引っ張ろうとしても無駄だった。
「あ……」
それはオルファの声かアリスの声だったか。
そんな声とレンたちを覆うほどの影が重なった。上を見れば大きな足裏。
すでにタイタンはレンたちの元へと辿り着き、その足で踏み潰そうとしていたのだ。
いくらタイタンが鈍重といえど、足を下ろす程度であれば一息の間もいらない。
回避不能。アリスは即座にそう判断した。
主人の命令を遵守するならばレンを突き飛ばすべきだったが、それも間に合いそうにない。
くそっ、と罵倒するオルファ。それでも最後まで命令をこなそうとするアリス。
「……ふっ!」
少年は鋭く息を吐く。それはとある呼吸法の一つだった。
内に秘めている力を瞬時に引き出す、発露と呼ばれる武技。
全身の気を活性化させ身体能力を一時的に増す技である。
この技は気を扱う者たちにとって基本中の基本といえる技だった。
コツさえ掴めば簡単に習得でき、やろうと思えばそれこそ小さな子供でも使うことが出来た。
しかし、この武技を用いて荒れ狂う海をも割って鎮めたという逸話を残した人物は一人しかいない。
その瞬間だけを待ちわびたかのように、凝縮された時の中で少年は美しい弧を描いた。
絶対的な危機を前にして、ただ一刀。剣戟は閃く。
アリスたちが気付いた時にはタイタンは重苦しい音をたてて仰向きに倒れていた。
「……は?」
呆気にとられてオルファは間抜けな声を出した。
自分が振るわれた事にも気付かず、何が起こったのかもわからなかったからだ。
まさかタイタンの踏み下ろしを、こんな小さな少年が真下からの切り上げで跳ね返したとは誰も思わないだろう。
「は?あ?はぁん?い、いやいや。こいつはどうなってんだ??」
「オルファ。僕は思い出したんだよ」
「おん?何をだよ。ってか何が何だよ!?」
「自分が何者なのかを思い出した。それがさっきの答えだよ」
わけのわからないことを言うレンにオルファは動揺する。
ついに頭がいかれちまったのか、とも心配するがそんな様子もない。
少年の瞳は凪いだ海のように静かだった。それはいっそ恐ろしいほどに。
何処までも深い海、または底の見えない水面を見て吸い込まれそうになる感覚を覚えたことがないだろうか。
オルファはレンの瞳を見て、そんな感覚を覚えていた。
『ついに貴方は目覚めたの。素晴らしいわ、素晴らしいことだわ』
唐突に響くその声はタイタンにしかやはり届かない。
少年たちはタイタンを見据えるだけでその声に反応している様子はなかった。
まるで拍手でもするかのように歓喜に満ち満ちていた声は、次には少しだけ困ったような声を出す。
『でもどうしようかしら。今のお人形さんでは役不足。貴方のダンスの相手を務めるに至らないの』
タイタンはその身を起こすことすら苦労をする有様だった。
フレーム剥き出しの両腕を支えに体を起こすことは、腕に過負荷がかかりすぎる。
下手をすればフレームが曲がってしまうかもしれない。
いかに重力力場に頼っていたのかが知れる。
倒れ込んだ巨人をレンは警戒していた。
体を起こそうと試行している無様な姿を見ようとも油断はない。
だからレンは得体の知れないものを感覚的に感じ取った瞬間、アリスを腕に抱えてその場から飛び去ったのだ。
『だからちょっとだけお手伝いするわね。さぁ、一緒に踊りましょう?お人形さん』
「な、なんでい!?デカブツ野郎、気味悪りぃ動きしやがって怖っ!!いや、怖くない怖くない。どっちかってーと、きもっ!」
オルファが自分に言い聞かせるように騒ぎ出す。
三人の目の前で、寝転がっていたタイタンが両腕など使わずに不気味に立ち上がったからだ。
それは胴体を紐で括りつけ誰かに引っ張ってもらったかのよう起き方だった。
四肢を成すがままに揺らして身を起こすその姿は人形のようで、傍から見ているとなんともいえない気持ちの悪さを感じた。
レンは一旦距離をとってからアリスの体を降ろした。
中身は機械である少女の体はずいぶん重みがあったものの、発露を使っている状態のレンには軽いものだった。
少年は首を回して鋭く視線をタイタンに走らせる。
巨人は起き上がってからしばらく微動だにしなかった。直立不動に立ったままで尚更それが不気味に映る。
何もしてこないからこその緊張感に、オルファはないはずの喉を鳴らした。
動くに動けない状況に先に一石を投じたのは巨人の方だった。
巨人は前触れなく四つんばいになり獣のように駆け出した。重力力場があった時以上にそれは素早く、奇怪な動きだった。
地鳴りを上げて猛然と迫り来るタイタンに少年はもう一つの武技を発動させた。
気を練り込みながら足の裏に溜め込み、移動すると同時に気を開放させる。
その繊細な工程を流れるようにこなし、レンはアリスを腕の中に抱きこみながら巨人の背後へと駆け抜けた。
その速さたるや瞬き一つの間に懐に飛び込まれる。故に瞬歩。
マギ・ロアーの砲撃をすんでの所で回避したカラクリもこれだった。
巨人は獲物を見失い、四つん這いのままに急制止する。
きょろきょろと頭を動かして探している姿は妙に生き物臭く、なんとも奇妙だった。
「あぶねぇ!!……って、ぉお?いつの間にかデカブツ通り過ぎちまったぞ?」
「タイタンが通り過ぎたのではなく、私たちが通り過ぎた、といった方が正しいです」
無感情に言いながらアリスは上目遣いでレンを見上げた。
機械人形の彼女にはどうやら見えていたらしい。並々ならぬ動体視力だ。
レンはそのことに多少驚きつつも再度彼女の体を降ろした。
「どうやら私は足手まといにしかならないようです」
アリスは続けて二度もレンに助けられたことに気付いたようだ。
実際、タイタンやレンの超人的な速度を見ることは出来ても、即座に反応できる力は少女にはなかった。
淡々と悔しがる様子もなく、そう結論付けたアリス。
そんな彼女にレンは微笑んだ。
「足手まといなんかじゃないよ。僕は君のおかげで助かった。ありがとう」
「私が力になれたのは最初だけです。貴方を退避させるという命令も遂行できそうにありません」
「これはたぶん僕にしか出来ないことだから、逃げることは出来ない。……ごめんね、我侭を言って」
「いえ……でもレン様、貴方に勝算はあるのですか」
頭を振っていた巨人はようやく自分の背後にその姿を見つけることが出来た。
歓喜でもしているかのように全身を震わせて、巨人は向き直る。
異様な行動をとるタイタンに正確な数値を当てはめることは難しい。
しかしアリスの計算では戦力差は広がっていると見ていた。
不可解な力を使っているレンだが、踏み下ろしを見事に切り返したあの一撃でさえタイタンは傷ついていない。
刻一刻と体力が減っていくレンに対してタイタンは半永久的に稼動することが出来る。
それをどうやって覆すのか、いくらアリスがシミュレートしても敗北の二文字しか導きだせなかった。
「我が身、地に屈したとしても心は死を選ばない」
「え?」
「僕の戦う姿を見て思いついた詩の一節らしいよ。本人としては歌われることなんて気恥ずかしいだけなんだけどね。
でも僕はその言葉通りだと思うんだ。戦いは自分で負けと認めない限り、終わらない」
「よく……わかりません」
レンは苦笑する。その言葉にアリスが理解を示すことはないだろう。
何故ならそれはレンが剣聖だった頃に吟遊詩人が歌ったものだったのだから。
続きはなんだったかよく覚えていない。
彼の生涯を歌ったものだったのだが、あまりにドラマチックで自分のものとは思えなかったのだ。
ただこの一節だけはしっくりと自分の中に浸透した。
それ以上の言葉をレンはアリスに告げることは出来なかった。
武技が使えるようになったといっても完全ではない。これから確かめていくしかないのだ。
「ふぅー…………」
全身の力を虚脱させ、気を巡らせる。この体には馴染みがなかったものを更に慣らさせていく。
タイタンと戦う内に目覚めた気の力は、魔族の体でも拒絶反応は出なかった。
それよりも以前に何故、天族のみが使えるという気をこの体でも使えるのだろうか。
気とは天族に宿る力だ。魔族の魔力と同じく、強力な力でありながら謎も多い。
その力の秘密を探るように数多の研究者は仮説を立てた。
血筋、あるいは種族によって違うのではないか。
人間族に特に多く気を扱える者が生まれるが、しかし他種族にいないというわけでもない。
ならば環境か。
劣悪な環境ならば発現しやすいのかとある種のテストも行われたが、はっきりとした結果は出なかった。
または……もしかしたら……。
様々な仮説が生まれては消えていった。未だ確定的な説というものは存在していない。
しかし今ここに、その答えがある。魔族の体でありながらその魂は人のもの。
そう、気とは魂と共にあるもの。強き魂にこそ揺るぎない力が宿る。
それは生まれ変わりを果たそうと変わることの無い強さだった。
「いってくるよ」
「……」
アリスはその言葉に無言で返した。
いってらっしゃい、とでも言うべきだったのか。アリスには判断がつかなくて、何も言えなかった。
元々返事を期待していなかったのだろう。
レンは少女の目を持ってしても一瞬の内に振り切られる速さで駆けていった。
その後姿をアリスは最後まで見届けていたのだった。
タイタンは自ら獲物が飛び込んでくることに喜びを覚えていた。
ただ淡々と人工知能で計算やシミュレートを繰り返していた時とは違う。
巨人には確かに感情というものが生まれていた。
それはあの声に与えられた歪な力による影響だったが……それを理解することはできなかった。
目の前の敵を倒す。巨人の頭の中にあるタスクの全てはそれだけに注がれていたから。
小さき者とそびえたつ者とが激突する。
巨人は四肢を地面についたままで体を支えていた右手で前方をなぎ払った。
重力力場が正常に作動していた時以上の素早い攻撃。
風を切り裂き迫り来る轟音を耳にしながら、レンは後ろでも横でもなく前に進むことを選択する。
加速しながらレンは飛ぶ。重力をものともしない軽やかな跳躍。
巨人の上を易々ととった少年はその勢いのままに、巨人の背中に上段からの空中斬りを叩き込んだ。
装甲が前方のものより薄いだろうと思い狙った背後だったが、目論見は外れ剣は弾かれる。
落胆する様子もなくレンはそのまま巨人の背中へと着地し、息をつく暇もなく再度飛んだ。
タイタンが纏わり付く羽虫を蹴散らすかのごとく暴れ始めたからだ。
「はえーよ。はえーよお前たち!全然俺がついていけねぇよ!?」
「こんな動き回っている時に喋ると舌を噛むよ」
「舌なんかねぇよ!ついでに目もねぇけどな!周りのことは感覚的にわかってるってだけだけどなっ!」
後ろに瞬歩で下がりつつ、オルファの言葉に冗談で返すレン。
仮の相棒となってくれた剣のそんな物言いに少しだけ心が安らぐ。
張り詰めている緊張感はなくなっていないが、心に余裕というものが出来た気がした。
オルファはそんなレンの様子を見て、内心、胸を撫で下ろした。
何故ならさっきまでのレンの顔が、その雰囲気があまりに別人と化していたから。
とことん無茶をする相棒だと思っていたが、少し前のレンからは死への怖れがなくなっていた。
あの砲撃を避けた時もそうだ。自分の身なんてどうでもいいと、そんな風に思っているようにオルファは感じたのだ。
言ってもきかない強情な性格だということは、短い付き合いでなんとなくわかった。
なら少しでも剣としてだけではなく、彼の相棒として手助けしようとオルファは思ったのだ。
そうしてオルファはやけっぱちのように叫ぶ。全く、冗談じゃねぇや、と思いながら。
「お前さんが何者かなんて、わかってるようでわからなくなった俺だけどなっ!
今は俺がお前の剣だ!お前の道を拓く為の武器だ!存分に振るいやがれぃ!!皆を守って見せろぃ!」
もしもこの喋る剣に顔というものがあったなら、苦虫を百匹は噛み潰したような顔をしていただろう。
そしてそんな顔をしながらも最後には笑っていたはずだ。
オルファの柄を再度強く握りながらレンはありがたいと思った。それと共に申し訳ない、とも。
オルファにも、そしてテトラやクレイトスたちにも心の中で詫びる。
自分が言い出したことでこんなことになってしまったこと。そして不信感を抱かせていることも。
今のレンが持っている力は子供が持っているにしてはあまりに異常だから。
こんなことにならなければ剣聖の力を見せることはなかったかもしれない。
しかし同時に眠っていた力も表に出てくることはなかったかもしれない。
縁とは、機会とは、複雑にして怪奇。何があるのかその時になってみなければわからない。
(それがわかったのは随分歳を重ねた後だった。その時、その時を一生懸命に生きるしかない)
こうして魔族になったことも、暴走する超巨大なゴーレムと戦うことも同じだ。
どんなことが起きようと、自分を忘れずに邁進するしかない。
「――!!――――!!!」
声なき声が聞こえた気がした。それは獣のように四足となって疾駆するタイタンのものだっただろうか。
本能だけでひた走る巨人は自らの重みで体を軋ませつつも、敵を倒すことだけを選び取る。
ただまっすぐに突っ込むだけでは無駄だと学んだのか、ジグザグに進路をとっていた。
思考する獣を前にして少年は剣を持ち直し、ずっしりと構える。
長年培ってきた力は自然な構えとなって現れた。
すでに何千回、何万回と繰り返してきた型。間違えることの方が難しい。
地の型と呼ばれるそれは、己の中の気を高める効果があった。
レンの中にある気が爆発的に高まる。
気を高める速度が鮮やか、というよりもはやそれは神業に近い。
常人であれば一生かかっても辿り着けない領域にレンは瞬く間に辿り着く。
その体をもって放たれる斬撃は何もしなくとも必殺となるだろう。気が充満するだけで身体能力は高まるのだから。
ならば、武技を使うとすれば。
獲物を仕留める為に襲い掛かるタイタン。少年の姿はすぐに巨体の向こう側に消えていく。
覆いつくされた影の中で少年は一文字に剣を振るう。
交差する両者。タイタンは少年を踏み潰すことなく過ぎて行き、そのままバランスを崩して盛大に転倒した。
剣を振るったままの格好で制止するレン。その背後に何か大きな物が落下した。
どぅん、と大砲でも打ち上げたかのような音を響かせて姿を現したのは、タイタンの右足。
ざっくりと恐ろしいほどに綺麗な断面を覗かせて、地面に横たわっていたのだった。