第十一話 巨人の真の力
超巨大ゴーレム、タイタンに積まれている人工知能はどんな命令であろうと最善の答えを導き出そうと、常に最適化され続けている。
事、戦闘における成長の速度はとてもつない早さであるといってもいいだろう。
刻一刻と進化を続けるタイタンは例えどんなに劣勢であろうと最後には勝利を掴み取る。
だが今回の小さな対象物は一体何なのか。
凄まじい演算速度を誇る人工知能にも未だに答えを見つけ出すことが出来ていない。
九十九パーセント以上。
始め、人工知能が出した勝率は万が一にも負けることがない確率だった。
機械である人工知能に驕りや油断といったものは一つもなく、無感情に正確に出した数字がそれであった。
未知数の相手なれどタイタンには機械的、または魔術的なセンサーが備え付けられており、戦う前から相手の戦力を測ることが出来る。
小さな子供、未成熟な体、魔力の量も並以下。
戦えば戦うほど勝率は百パーセントに近づいていった。
対象の武器では傷一つタイタンにつけることは出来ない。
半永久的に動けるタイタンに比べ、対象は生物である以上体力の限界は必ずくる。
内臓されている武器や機能を使うまでもなく、後はただただ追い詰めるだけの時間である。
「ふっ!」
打ち鳴らされた音は金属と金属がぶつかる音。耳に残滓を残すような甲高い響きは束の間空気を震わせた。
それによって生じた結果はまたしても変わることなく。
裂帛の気合を込めて打ち出された対象の攻撃はタイタンに届くことはなかった。
大量の汗が噴き出し荒げる息を飲み込みつつ、対象は反撃の腕を器用に避けて脱出する。
もう何度こんな光景が繰り返されてきたのか。
攻撃が無駄に終わり、その隙を狙って捕まえようとするも捕縛することは叶わない。
意味のない攻撃。変わることの無い光景。
傍から見ればきっとそう映っているに違いない。
だがしかし、タイタンは対象の推移を正確に読み取っていた。
対象の体力の消耗は著しい。それは見た目からも判断できることだった。
それに伴って戦闘力の減少が起こり、均衡が崩れるのは時間の問題である。
タイタンがシミュレートした結果はそんなもので、戦闘の終わりはもう少しのはずである。
はずであった。
「はぁぁああ!!」
交差するように繰り出された攻撃は、風を切り裂く鋭い斬撃ではあるものの分厚い装甲を貫くことは出来ない。
タイタンに内部に浸透するダメージはなかったが、ぶつかり合うことによって生じる衝撃が対象の体を貫いていた。
痺れによる硬直が一瞬だけ発生し、タイタンは真上から覆いかぶさるように手の平で包み込もうとするが、対象が地を蹴る方がはやかった。
ここでも変わり映えのしない光景だ、と判断することはタイタンには出来なかった。
何故ならば数分前の対象であれば、今の状況で捕縛することが出来ていただろう。
映像を進めては巻き戻すかのようなシーンを演じつつ、どうして未だに捕まえられないのかタイタンは思考する。
疲れによる戦闘力の減少は生物にとっては当たり前のはずだ。
だというのに、この小さき対象は時が経っても衰えることがない。むしろその力を上げ続けている。
スピード、パワー共に向上を遂げ、武器を振るう度にその鋭さは増していく。
不可解な現象…………否。
タイタンがこれまで行ってきた実験、戦闘結果をデータとして照らし合わせれば、答えは導き出される。
対象は己と同じなのだ、と。
戦闘の中で見違えんばかりの成長を遂げている、遂げ続けているのだと。
勝率九十九パーセントの残りの僅かな数字。
その数字がいつまで経っても埋まることがなかった理由が、そこにあるとタイタンは結論を出す。
だからこそ四十七回目になるシミュレートの結果はまたしても裏切られた。
本来ならばすでにそれだけの数、対象は敗北しているはずだったのだ。
高度な知能を持つタイタンにも行く末がどうなるのか、もはや予測はつかなくなっていた。
終わりの読めない展開に、しかし変化は予想もしていなかった所から訪れた。
くす、くすくすくす。
そんな可愛らしくも邪気の見え隠れする少女の声が、何処からか聞こえだしたのである。
ただし、その声は生物に向けられたものではない。
巨大ゴーレムであるタイタン……その中に内臓されている人工知能だけに直接声が届いていたのだ。
『お人形さん、お人形さん。遊びましょう。役者は集って物語の歯車はもう一度動き出すの』
「……なんだ?デカブツヤロウ、いきなり動きを止めやがったぞ?」
レンが距離を取り、愚直にタイタンがその後を追ってこようとした矢先のこと、静止画のように手を伸ばした形でゴーレムは動きを止めた。
オルファが言葉を発したのはタイタンが動かなくなってから少し後のことだった。
激しくなった息遣いを整えつつ、レンは油断することなくタイタンを見据える。
一方、モニター室でも騒動が始まっていた。
タイタンの状態を常に読み取ることが出来る装置が異様な数値を検出していた。
クレイトスの助手である研究員の一人が、悲鳴のような声をあげて事の重大さを報告する。
「大変です、クレイトス室長!!タイタンの魔導コアの出力が規定数値を超えて上がり始めていますっ」
「何?出力にはロックをかけていただろう。どうしてそれが効いていない?」
「わかりません。こちらから働きかけていますが、上昇が止まりません」
「制御が利かない……?人工知能の方はどうなっている!」
「ダメです、アクセスできません!!コマンド入力も拒否!それ所か戦闘モードに以降しています!」
思いっきり物に当たりたい気持ちを必死に抑え、ヒラーは役に立たない装置から目を離した。
不気味な沈黙を保つ不動のゴーレムは今となっては制御下を離れ、本格的な戦いの準備を着々と進めていた。
緊迫した空気が指し示す通り、それは危険どころの話ではない。今のタイタンならば、目の前にある強化ガラスだろうと無いに等しい。
のみならず、タイタンの持つ全ての力を解放すればグランレイクなど容易く消滅する。
膨大なエネルギーをその身に宿しているタイタンはそれでも止まらない。
このまま何も対策を取らないのであれば、未曾有の危機が訪れることは必至だった。
「クレイトス!一体何が起こっているの?あの大きなゴーレムに何かあったの!?」
「くっ……わからん。私にも何が起こっているかわからん!お前たち、コントロールの復旧に尽力しろ!」
「は、はい!」
「リリアーノ、貴様は観客室にいる野次馬連中の所に行って危険を知らせ、後に一緒に退避しろ」
「そんな危ない事態になっているのにレンとオルファを置いて逃げられるはずがないよ!」
「奴らの退避にはアリスを向かわせる。いいな、アリス」
ヒラーの後ろに控えていたアリスは怖がる様子などなく、ただ無機質に頷くだけだった。
モニター室を颯爽と出て行く彼女の後姿を見やり、ようやくテトラの止まっていた体が動き出す。
無論、それは危険を知らせに行くのではなく、アリスと共にレンとオルファを救い出しに行く為だった。
そんな彼女にヒラーは声を張り上げる。彼にしては珍しい大声で。
「リリアーノ!一刻を争う事態になりつつある今、何をして何を成すかが重要になる!貴様ではあの場に行った所で何の力にもならん!」
「ッッ!!君がそれを……!!」
「文句や恨みがあるのなら後で聞こう。だが今は私の言うことに従え。いや、従って……くれ」
「……………………」
唇の色が変わるまでに噛み締めたテトラは、振り向き様に強い視線をヒラーに浴びせる。
慌しくキーホードを叩き続ける音を背景に、二人の視線は交錯する。
この緊急事態において貴重な数秒間を消費し、それから先に目を離したのはヒラーだった。
もはや伝えるべきは伝えたと言わんばかりにテトラを置き去りにして、矢継ぎ早に部下たちへの指揮を執り始める。
「…………っっ」
背中を向けてしまったその姿に様々な思いがテトラの中に渦巻く。だがその言葉を口にすることは出来なかった。
投げかける言葉はきっともうヒラーには届くことは無い。
テトラはぎゅっと目を瞑って堪えた。彼女にだってこれ以上の問答は無為なものになるとわかっていた。
心を押し殺してテトラはモニター室を出て行く。
彼女の足が向かう先は実験場に続く階段ではなく、観客室へと続いている廊下だった。
一分一秒でも早く皆を逃がせば、それだけレン達を助ける時間も増える。
あまり体を動かすことは得意ではないテトラは、足がもつれそうになるのも構わずに走った。
ひたすら無心に、嫌な未来を想像しないように。彼女は必死に駆けていく。
時を同じくして、実験場の真ん中でタイタンに向き合うレンは身動きの取れない状態になっていた。
幸いにして身体の異常という意味ではなく、レンの直感によるものだった。
何かとてつもなく嫌な予感がしたのだ。
得てしてこういう時のレンの感はよく当たっていた。生死を分ける戦場の中で直感に助けられたことも数多くある。
その鋭すぎる直感でも誰とも知れない少女の声が発端だとレンが気付くことはなかった。
果たして、幕を開ける愉快で喜悦に富んだ言葉は、制御下を離れたタイタンへと囁かれる。
『神が望む饗宴のはじまり、はじまり』
その瞬間、目に見えない力場のようなものが実験場を包み込むのを、その場にいた全ての者が感覚として感じ取る。
ぶぅんと耳鳴りのような音が聞こえ始めたのだ。
わけのわからない感覚に不安を持つ者は幸せだっただろう。
ヒラーの部下と製作者である彼にはその力場の正体を正確に把握していた。
全員が全員、体に冷や汗を浮かび上がらせ止めるべきではない手を思わず止めてしまった。
一喝したヒラーの言葉によって我に返ることになったのだが、一番の危惧の念に襲われているのは彼だっただろう。
重力力場の全開放。
タイタンの機能の一つであるそれは言葉の通り重力に関係する能力だ。
この巨大なゴーレムは、本来なら動くことも無く自らの自重によって押し潰される運命にある。
装甲に使われているクロムシェルは金属の中でも軽い部類であるが、それでもあの大きさだとどれだけ工夫を凝らせようと、立たせることさえ不可能だった。
それを可能としたのは魔術だった。前述の重力力場である。
内臓された魔術式を新型魔導コアによって増幅させ、自らの体に適用して重量を軽くしているというわけだ。
通常モードであれば自重の操作だけに留まる。だが一度、力を解放すれば……。
「何か……空気が変わった?オルファ、君は何かわからない?」
「わからねぇが、まずい事になってるのは間違いねぇみたいだぞ。……レンッ!!」
オルファが大声で注意を喚起するよりも早く、何十メートルも距離を離していたはずのタイタンが忽然と姿を消した。
あの質量の物体が急に消えるはずが無い。そんな常識を打ち破り一体何処に消えたというのか。
もしもこの場でそんな思いに囚われていたのなら、次の瞬間にはその者は命を散らせていただろう。
タイタンは消えたのではない。ただ高速でレンの死角に移動しただけなのだ。
それがあまりに速かったせいで常人には消えたように見えるだけであり、レンには辛うじてその動きが見えていた。
咄嗟に体を前方に投げ出すレンだったが、背後から迫るタイタンの一撃はこれまでと比べ物にならない程に速い。
チリッとレンの後ろ髪を何かがかすったと思った直後、至近距離で爆発でもしたかのような轟音が鳴り響く。
吹き飛ばされるレンの体。軽すぎる彼の体は宙を飛び、まるで玩具のように地面を転がっていく。
レンの背後でタイタンが行ったことはその巨大な質量を活かした右腕の振り降ろしだった。
確実にレンの命を取ろうとする行動であり、捕まえようとする意志がそこには見えない。
ほんの少し、後少しでも遅れていたら彼の命はなくなっていただろう。
「なんだありゃあ!!俺には全然見えなかったぞ!?レンっ、大丈夫か!?」
「直撃は避けたから大丈夫……」
怪我の程度でいえば体のあちこちに痛みが走っていたがまだ戦える。
そのような意志の元で放った言葉だったが、オルファにはとてもではないが強がりにしか見えなかった。
「さすがにアレはやばい。明らかにこっちを潰そうとしていた。何かトラブルが起きたとしか思えねぇ」
「そうだね、そうかもしれない」
「早く逃げよう。さっきまでとは訳が違う。あのデカブツが本気を出していなかったからこそ、どうにか渡り合えていたんだろ?なぁ、レン」
確かに。
最初にやりあった時に、彼岸の実力の差などレンにはわかっていた。今の自分では絶対に勝てない、と。
それでも戦い続けたのは自分の価値を示す為、そして優しさに報いたかった為。
無言になったレンの前には暴走を始めたタイタンの姿。ゆっくりと体を起こしている所だった。
その足元にはどんな兵器であろうと傷一つつかなかったコーティングフロア。
今となっては無残にひび割れて破壊の凄まじさを表すだけとなっていた。
「ちょうどゲートは真後ろだ。あそこなら追いつかれる前に逃げられるかもしれねぇ」
「オルファ」
「なぁに、後は大人連中に任せておけばいい。こういう事態の為にいるような奴らだ!伊達に頭捻って引き篭もっているわけじゃないとこ見せてもらわなきゃな!
一発でデカブツを黙らせるようなすげぇ武器がわんさかあるだろうよっ!だから……」
「ごめん。それは出来ない」
「…………なんでだよぉ」
尻つぼみに情けない声となったオルファを責められる者がいるだろうか。
レンの足はけして後ろに向かうわけではなく、無謀にも前へと進み始めていた。
その先に自分では敵わない相手がいると知りつつ、臆する様子などなかった。
「死にてぇのかおめぇは!!お前はなぁ……お前はなぁ!一度死んでるんだぜ!?どうしてそう生き急ぐんだよぉ!!」
その言葉の真意が何処にあるのかはレンにはわからなかった。
この体の持ち主のことを言っているのか、それとも転生してきたことを言っているのか。
いずれにしてもその言葉だけでは彼を立ち止まらせることは出来なかった。
「ここで僕が食い止めなければあのゴーレムが暴れ続けてしまう。そうなったらどれだけの被害が出るかわからない。
対抗する為の準備も出来ないままにやられてしまうかもしれない」
「お前ならどうにかできるってのか?自惚れてんじゃねぇ!瞬殺されるのが関の山ってんだい!!いいから早く逃げろ!」
「オルファの言う通り、成す術もなくやられてしまうかもしれない。だけど、あのゴーレムだって逃がしてはくれないよ」
真の力の一端を見せたタイタンは待ち受けるように動きを見せていない。
だがレンには背中を見せたら最後、タイタンが容赦なく自分を殺しにくるとわかっていた。
背を見せて何もすることなく殺されるのは御免だった。
せっかくもう一度の人生を与えられたのだから、無謀だと、無駄だと言われようと前のめりで倒れる覚悟を胸に抱く。
「付き合わせるオルファには本当に申し訳ないけど、守れる可能性があるのならそれに縋りつきたいんだ」
「なんてぇ頑固頭だ……俺の言うことなんて一つも聞きやしねぇ……。
おめぇは本当に子供かってつっこみてーぐらいに達観してやがるし、本当にもう言葉にならねぇぜ」
「迷惑かけちゃうね。……本当なら君を巻き込みたくないけど」
オルファのレンの申し訳なさそうな声に言葉を被せた。
何処か諦めているようなオルファの声は、しかし少しだけ照れくさそうに笑いも含んでいた。
「それ以上言うない。全く、仕方のねぇ奴だぜ……付き合ってやるよ。どの道、それ以外の選択肢はなさそうだ」
「……ありがとう」
万感の意を込めたレンの言葉が終わるや、いよいよもってタイタンの間合いに差し掛かる。
これ以上進めば確実な死地。不気味な沈黙を保っている巨人も後数歩進めば、その力を遺憾なく使ってレンを叩き潰そうとするだろう。
まっすぐに歩みを続けるレンは最後に一言だけ零した。
それに対するオルファの言葉も短く、だがだからこそ二人にはそれだけで事足りていたのだ。
「行くよ」
「おうっ!!」
研究者たちと魔王の娘、側近であるミアにとってその光景はどう映っていたのだろう。
神話の再現とでも言うかのような戦いは、事ここに至っては壮絶な争いに発展していた。
完全なる攻守の逆転。
いくらレンの速度が舌を巻くような速さとはいえ、全力を出したタイタンにとって対応できない速さではない。
競り合うまでもなくパワーの差は歴然とし、射程の違いはいかんともし難いものがある。
防戦一方になるのは必然であったが、そこは体格の差でカバーするレン。
タイタンに比べれば豆粒のような少年が巧みに動けば早々に捕まることはない。
だがそれ以上に避けられない場面というのもは必ず出てくる。
直撃さえ一度もないものの少しでもかすれば吹き飛ばされ、ぼろ雑巾のようにレンが転がっていく。
一つ、また一つと傷を増やす少年の姿は傷だらけで、あまりに悲惨だった。
これは本当に機械人形同士の演習なのか……?と誰もが疑問を頭に浮かべていた頃、入り口であるドアがけたたましい音を立てて開けられた。
思わず部屋中の人々が視線を向けた先に、銀色の髪の女性……テトラが必死な顔をしてそこにいたのだった。
研究員の一人が声をかけようとしたが、その前にテトラは切羽詰った声を発した。
「皆!今すぐ逃げて!あのゴーレムが制御下を離れて暴走してしまっているの!!」
その言葉に驚きの感情を抱いていない者はこの部屋にはいなかった。
一気に騒然とする場の中、テトラに詰め寄って事の真相を聞こうとする者たちが押し寄せてきた。
いくら早く逃げてとテトラが口にしようとも、混乱の最中にいる彼らには届かない。
収拾がつかない事態にますます悪化の傾向が見えかけたその時、雷が轟くかのような声が部屋中に響いた。
「静かにせんかッッ!!」
キーンっと耳に残響を残すその声を発したのは、この中で一番の年下である魔王の娘、ユーリ・ディスクライナその人であった。
一喝された皆はその一言でびくりと身を竦める。
目を丸くして驚いたのはテトラも同じで、その少女が人の輪の中から掻き分けるように出てくるまで声を出すことも出来なかった。
「え、あ、あなたは……」
「今はそんなことはどうでもよい。それよりも急ぎの用があるのじゃろう?」
「は、はい……。ありがとうございます」
無論テトラとてその人物が誰なのかは理解していたが、あえてその立場に目を背けることにする。
今もレンたちがあの場所で戦っているのだ。すぐさまにでもここにいる人たちには避難をしてもらって、憂慮の種を減らしてもらった方がいい。
そうテトラは思い、話の続きをしようとしていた時――
「……え?」
彼女の目の前、強化ガラスの向こう側から巨大な拳が迫っているのを見たのだった。
「ッハァ、ハァ……」
肩で息をするレンの姿は満身創痍といっても過言ではない。
剣を支えにしてどうにか立っているものの、立っていること自体が奇跡であるかのように傷だらけだった。
オルファの柄を握る手も、幾度とないタイタンとの攻防によってすでに感覚が薄れてしまっている。
疲労はすでに限界近く。全力で戦ってなお相手の方が強いのだから休む暇もない。
唯一変わらぬものがあるとすれば、それは少年の瞳に宿る光だけだっただろう。
その光を支えに、後ろに守らねばならない者たちがいると強く思い、レンは何度でも立ち上がる。
「右だ!!レン!」
言葉少なに少年のサポートに徹しているのは知能ある剣オルファだった。
ある程度自分の意志で動くことが出来るオルファは、レンの動きに合わせて刃を走らせる。
本来のレンならばそれは余計な手助けでしかなかったが、少しずつ追い詰められ力を削がれている少年とって今や必要不可欠な力だった。
それは二人にとっての初めての実戦であるというのに実に息が合っていた。
だが、それでも届かない頂というものは存在している。
それは彼らの目の前に悠然と立ちはだかっていた。
「――――!!」
声無き咆哮を上げて羽虫を振り払うが如く、タイタンが地上にいるレン目掛けて手の平で打ち払う。
単純な攻撃ながらそれが高速かつ巨大な質量を持つのなら、立派な技となる。
若干鈍くなっている体でレンはどうにか避けることには成功する。
反撃の一つでも入れられる場面であったのだが、もはやそんな元気も残っていなかった。
「レン!?」
そんな疲労の蓄積がいよいよもってレンに牙を剥いた。
最悪のタイミングで足が言うことを利かなくなり、もつれて転倒してしまったのだ。
回避の直後ということもあり、タイタンとの距離は大して離れていない。
巨人から見ればほんの少し手を伸ばせば届く距離であり、その巨大な手がレンを押し潰さんと振り注ぐ。
(間に合わないっ)
必死に攻撃の範囲から逃れようと身を捻る。
だが体の一部がどうやっても間に合いそうも無い。瞬時の判断でレンは左腕を犠牲にすることを選択した。
片方の腕だけならばまだ剣を振るえる。死ななければまだ戦える。
襲いくる痛みに覚悟を決めながら、しかし、その時が訪れることはなかった。
「え?君は……」
すんでの所でレンを救った者がいたからだ。
目にも止まらぬ速さでレンを掻っ攫うと、颯爽とタイタンの魔手から逃げ延びる。
その者の腕に抱えられた少年は束の間、呆然とその顔を見上げていた。
無表情でいて瞳は冷たく、彼を無言で見詰めている少女の顔。
ヒラーの機械人形であるアリスだった。
「どうして君がこんな所に……」
「レン様。貴方を逃がすようにご主人から命令されました」
「クレイトスさんから……やっぱり何かあったんだね」
言葉の少ないやり取りを交わし、アリスから降ろしてもらったレンは事情を察する。
どうやら緊急事態が起こっているらしく、研究員たちの避難誘導も始まっているみたいだった。
ほっとする間はないが、幾分かレンの心の重しが取れる。
動向を見届けるように動きを止めたタイタンを尻目に、ちらりと視界の端で確認する。
ガラスのような窓がある部屋に人影がいくつか見えていた。
慌しく動き出している最中らしく、今まさに避難しようとしているみたいだった。
レンの体に活力が湧き始める。戦いを無駄に終わらせない為にももう少し時間を稼ぐ必要がある。
アリスには逃げろと言われたが、素直に従うわけにはいかなかった。
せめてあの人たちが逃げるまでは引くわけにはいかない。
改めて決意を固めるレン。何処にまだそんな力が残っていたのかしっかりとした足取りで地に立つ。
オルファを握る手の平にも力が戻る。そんな頼もしい相棒の姿にオルファを苦笑を洩らしながら付き合うことにしたのだった。
「アリス、もう少しだけ待ってて。もう少しだけ時間を稼いだら僕も君の言うことに従うから」
「……状況判断。私ではレン様を止めることは困難。強制的に連れて帰ろうとしても危険が増すだけだと判断しました。
従ってアリスもレン様を手伝います」
「おめぇさんが?そんなちっこい体でやれるってのかい?」
「イエス。私は機械人形です。それにちっこさで言えばアリスはレン様と同じかと思われます」
「く……はっはっは。こいつはいいや!クレイトスが産みの親にしては洒落がきくお嬢さんだ!気に入ったぜ!あんたは俺が守ってやる!」
「僕がオルファを振るうんだけどね……。その様子だと言っても聞きそうになさそうだ」
「ご安心ください。自分の身は自分で守れます」
確かにあの身のこなしならレンが世話をするまでもないかもしれない。
それでも見た目は小さな少女である。お節介だと思われようと、レンはこの子も守ろうと堅く心に誓う。
転生してきたばかりの剣聖と、お喋りな剣と、無愛想な機械の少女。
一人と一体と一振りの剣で挑むのは見上げるほどの巨人。
生死を分ける戦いを前に、不思議な巡り合わせによって生じた思いがレンの背中を後押ししてくれていた。
そんな思いを嘲るような笑いが小さく漏れる。
それはタイタンにしか聞こえない、姿さえ見えない少女だった。
巨人を手の平で操るかのように言葉を重ねた少女は、とびっきりの喜びを称えた声色で囀る。
『舞台を佳境に差し掛かるの。さぁ遊びましょう。もっと遊びましょう。貴方の力を私に見せて?』
「ッッ!!??」
瞬間、実験場の全てを包み込む特殊な力が形成された。重力力場が開放された時の比ではない。
それは範囲内の重力を何倍にも増し、行動を阻害させる重力の操作によるもの。
タイタンの能力である重力力場を広げて強化することで可能となる、重力制圧という能力だった。
弱い者であれば自らの自重によって押し潰されてしまう。殺傷能力も秘めた怖ろしい力である。
広範囲に及ぶこの能力はタイタンのみが制限を受けることなく自由に動くことが可能となる。
身動きがとれなくなった者など巨人からすれば蜘蛛の巣にかかった獲物と同然だった。
レンは突然の重圧にオルファを杖にしながら片膝をついて堪えた。
少年の体が軽いのも一つの要因ではあるが、大人であれば成す術もなく地べたに這うことになることを考えれば驚嘆すべき事実である。
レンの傍らにいたアリスも両手、両膝をついてどうにか耐えていたが、ギギギという音を体から鳴らせて無事とは言い難い。
顔を上げることさえ難しい有様だったが、レンは力を振り絞ってタイタンを見据える。
絶対の好機だというのに、しかし、タイタンは少しも興味を抱いていないかのようにそっぽを向いていた。
その視線の先には……部屋の中で避難を始めようとしている人の姿。
あそこには重力制圧の力が及んでいないのか、身動きすら取れていない者はいなかった。
だがそれ以上に危険な物に見つめられているとは知りもしなかっただろう。
「ま……て、お前、の……相手……僕、だ……!!」
レンは声すら出しづらい重力の中で必死に声を張り上げる。
全身の筋肉を振り絞っても立ち上がることすら叶わない状況に、懇願めいた気持ちを込めながら人々の方へ歩き出した巨人へと語りかける。
無情にも、その全てがタイタンに届くことはなかった。
いっそ呆気ないほどにタイタンは部屋の前にまで辿り着き、悠然と拳を振り上げては、寸分違わずにその拳を――。
「やめ……ろぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!!!」
叩き込んだ。