八話
「そこまでだっ!!」
小屋の戸板が勢いよく開けられ、日に焼けた厳つい男たちが大勢なだれ込むように踏み込んできた。
そしてお清が呆気にとられている間に、股間を盛り上げてにじり寄っていた男は入ってきた男たちによって取り押さえられた。
「いつの間にか姿が見えないと思ったら、やっぱりここだったか!!」
「この女は領主様に献上する人魚だから手を出すなと言っていただろうが!!」
「妻の様子がおかしいと思っていたが、やっぱりてめぇが手を出してやがったか!! この畜生め!!」
「漁に出ている間に人の女に手を出すなんて、なんて最低な野郎だ!!」
男たちはその場にあった網で男を縛り上げ、口々に罵りながら殴る蹴るを繰り返した。
縛られている男はなす術もなく暴行を受けていたが、やがて目を爛々と輝かせて「なんて刺激だ…」と呟き恍惚の表情を浮かべていた。
その光景を床にへたりこんだまま眺めていたお清の肩に、ボロではあるがほかの男にくらべてやや身なりの良い男がそっと節くれだった手を置いた。
お清がその男を見上げれば、男は気づかわしげな顔でお清を見ていた。
「娘さんがこれ以上は見ちゃいけねぇ。さぁ、一緒に行こう」
そう言って呆けたままのお清の腕をとって立ち上がらせた。
そして背中を押し、いまだ暴力の続いている小屋からお清を連れだした。
お清は促されるままに歩いていたが、いまだ何が起きているのかわからずに口を開けて間抜け面をしていた。
しかし男は若い娘が手癖の悪い漁師に手を出されかけた衝撃か、もしくは目の前で暴行を見たために我を失っているのだと思い、痛ましい思いで見ないふりをしていた。
そして女の気でも紛らわせようと、前を向いたまま独り言のようにぽつりぽつりと語り始めた。
「俺はこの村の長の息子だ。海から流れ着いたあんたがあんまりにも別嬪だったから、人魚だと皆が言いだしてな。人ではねぇあんたが恐ろしいやら気味が悪いやらと、外にあんたを寝かせていたんだ。まさかあいつが手を出すとは思わなかった。年頃の娘さんをあんな所にひとりで寝かせといて本当にすまなかったな…」
お清はようやく思い出したように口を閉じて男のほうに向きなおった。
「あの変態にも言われたんだが、わしは人魚なんかじゃねえ」
「あぁ、そうかもしれんな。しかし、あんたを人魚としてここの領主様に献上することにはかわりない」
男はお清を家のほうへと案内しながら海をにらんだ。
「ここ最近、嵐が通ったせいで海に出ても魚がなかなか獲れなくてな。領主様に収める年貢もなけりゃ俺たちの食い扶持にも困るありさまだったんだ」
そして隣を歩くお清へと目を移した。
「あんたが浜辺に流れ着いた日、あんたと一緒に魚もたくさん打ち上げられていた。なんでか知らんが川魚が多かったがな。獲れた魚は当分の食い扶持にまわして、あんたを年貢の代わりに収めることにしたんだ」
「……」
男は美女が泣き崩れるか、勝手なこと言うと怒り出すかと思っていた。
しかし隣を歩く美女からは反応がなく、思わず男はうつむいている美女の顔を覗きこんで息をのんだ。
美くしい娘はそっと目を細めて憂いていた。その悩ましげな顔は、触れれば零れ落ちてしまう朝露のように繊細で儚いものであった。
男がその美しい顔に見入っていると、ふと美女が顔をあげて男を見つめた。
その黒々と濡れた瞳に男が魅入られたとき、美女の口がうっすらと開いた。
「その領主様とやらは、良い男かのう?」
「は?」
男は美女が何を言ったのかわからずに思わず聞き直した。
「だから、その領主様は良い男かのう?」
「……。あ、あぁ…領主様のことを聞いているのか…あぁ、うん…」
男はもう一度お清の言葉を聞き、一拍おいてようやく意味を理解した。
(この女、潮風に吹き飛ばされそうな風貌のくせに意外と逞しいな、おい…。もしかしたら、本当に人間ではなく人魚なんじゃ……)
そんなことを考えていた男は、思わずお清の求めるままに領主の評判を伝えようとした。
しかし口から出かかった言葉をすんでのところで飲み込んだ。
知らないほうが良いこともある。
男はそっとお清に知られないようにため息をつくと、「人の話を聞くより、自分の目で見たほうが納得できるだろうさ」とだけ言った。
男はお清の反応をうかがったが、美女はふうんと言っただけだったのでそっと胸をなでおろした。
「んで、領主様ってのは良い男なんか?」
「あんた、さっきの話を聞いとらんかったんかい!!」
お清はどこまでもお清である。
男とお清は漁村を歩いていたが、見えるのは見慣れた土壁と茅葺の家ではなく先ほどいた物置小屋と変わらないような粗末な小屋が多かった。
そんな小屋に比べればほんの少しましな程度の家に連れていかれ、お清は離れの小屋に入れられかんぬきをかけて閉じ込められた。
男は申し訳なさそうにかんぬきをかけた扉の外から声をかけた。
「明日領主様のお屋敷に行くまで、あんたにはここにいてもらう。ここならあんたを人魚と信じ切っている村人が手を出すこともできねぇ」
男の声にお清はしばらく考えていたが、ふと扉のほうを見ながら尋ねた。
「領主様ってのは……」
「あんたいい加減にしろよ!!」
お清は(以下略)
次の日の朝、お清は小屋から出された。
寝起きの働かない頭のまま、男に連れられてとある小屋に連れていかれた。
そして男は入り口に立つと、お清の背中を軽く押した。
「男の俺はこの中には入れねぇ。後のことは女衆に任せているが、あんたを人魚だと恐れている女もいる。何かされそうになったら大声を出して俺を呼べ。掟をやぶっちまうが、助けにはいってやる」
お清は半分寝ていたので男が何を言っているのかわからなかった。
が、小屋の中から漂う常人にはわからないほどの微かなにおいを嗅ぎ分け、本能的に女たちがいることを察して意気揚々と入っていった。
「おぉ!」
お清は広がる光景に目を覚ました。
薄暗い小屋の中には妙齢の女たちが頭に手ぬぐいをし、上半身をむき出しにして豊かな乳房をゆっさゆっさと露わにしながらお清のほうを見ていた。
中には萎んだ乳を垂れ下げた老婆も何人かいたのだが、お清の目にはちっとも映っていなかった。
「こ、これはわしと良いことをしようと集まった女子たちか!?」
興奮して鼻息を荒くしながら叫んだお清に、誰一人として答える女はいなかった。
皆険しい顔をして、ニタリニタリとほくそ笑んでいるお清を遠巻きに眺めている。
女たちはお清の美しい姿に心を奪われ、そして人魚かもしれない美女の妖しい発言に恐れをなしていた。
漁村に伝わる話には『人魚は若い女の姿を保つために、人間の女の生き肉を喰らう』というものがあり、助平心ににやけているその顔が、まるで餌である女たちがたくさんいることに喜んでいるように見えたのだ。
しばし小屋の中は、痛いくらいに緊迫した空気が張りつめていた。
が、一人の恰幅のよい女がのっそりとお清の前に進み出た。
女の顔にはややしわが目立つが、体格もよく肉付きもよい女の乳房はまるで大きな瓜のようにぶるんぶるんとその存在を主張していた。
この漁村の女衆のまとめ役である。
漁に出た男たちの留守を預かる、胆の太さと気配りの必要な役目を負っている女であった。
まとめ役の女は人魚の世話など本当は恐ろしくてしたくはなかったが、旦那が留守中の女たちに手を出されていた事実を持ち出されてしぶしぶ引き受けたのだ。
そのためにお清の前に立つ女の顔は引きつっていたのだが、見事な乳房のみを凝視していたお清には関係のないことであった。
ちなみに昨夜のうちに間男は処罰された。
内容は……まぁ、男の痛みを知らない女性特有の残酷なやり方でまとめ役の女が痛めつけ、最後は寝取られた男衆たちがあぁしてこうして、最後には鱶の餌にしたそうだ。
間男、間女、滅すべし。