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六話



 欲望に支配された男は、お清自身に秘所を濡らしていることを思い知らせて羞恥心を高めてやろうと下部に手を伸ばした。

女の密やかな茂みを隠す白装束は、ぐっしょりと濡れて重く張り付いていた。


 まるで小便でも漏らしたように。


 男は、ふと体を離して自分の下半身を見た。

そこは黄色く濡れていた。



「きっさまぁあああ!! こともあろうに、小便をこの俺にかけやがったなぁああああ!!!」

「だって、ここは水の中だって言ったじゃないか! 水の中ならごまかせると思ったんじゃ! それに股間を擦り付けてきたのはそっちじゃろうが!」



 男は美しい顔を怒りにこれでもかと歪めながら、スッキリとした顔で脱力しながら寝台に体を預けているお清の胸ぐらをつかんで揺さぶった。

お清は男に揺さぶられるままになりながら、醜くゆがんでいる男の顔を何となしに眺めていた。

(いくら顔が良くても、こんな些細なことですぐに頭に血がのぼって女に手をあげるような男はいかんのぅ…)

その間にも男の顔はどんどん歪み、やがて人の顔ですらなくなっていった。


「な、なんじゃ!? お前は!」

やがてお清の目の前にいたのは、髪の毛の一本も生えていないぬめっとした黒い肌、目は丸くぎょろりと光り、だらしなく半開きの口は顔の半分まで裂けており、口の上からはだらりと二本の髭がだらしなく垂れ下がっている。

それはなんとも醜い、服を着た大きなナマズだった。



「ぬぅおぉおおおおおお!! 貴様の阿呆な行いに怒り過ぎて、変化の術が解けてしまったではないかっつ!!」

ナマズは黒光りする肌を怒りで器用に赤く染めながら、服の裾からはみ出している尾びれを床にビッタンビッタンと打ち付けた。


「自分の未熟さを人のせいにするなんて、いろいろと小さい奴じゃのう」

「! このアマ、こんなときだけまともなこと言ってんじゃねえぞぉ!!」

ナマズの怒りをあらわすように、もはや尾びれはビチビチビチと激しく床の上で暴れくねっていた。



「くっさい鯰と夫婦になる気はないし、助平をする気にもならんわ。わし、花嫁になるのやめる。それじゃ、わしを地上に戻しておくれ」

お清は鯰に掴まれて乱れていた襟元をただすと、寝台から下りてさも当然のように言った。

白装束の股間の部分は黄色く濡れているが、水面からの淡い光を受けながら凛として佇むその姿はまるで神の託宣を授ける巫女のように神々しかった。


「はいそうですかと行くわけなかろうが! 周りを見てみるがよいわ!!」

もちろん鯰はそんなお清の姿に騙されるわけがない。

怒り狂う鯰の言葉に、お清はやれやれとため息をつきながらあたりを見回した。

「…おぉ…」


 先ほどお清が横になっていた雲のように柔らかかった寝台は、いまやボロ布の寄せ集めと化していた。

そして豪華であった寝室には、小柄なしゃれこうべが所狭しと積まれていた。

あまりの光景にさすがに顔を曇らせるお清を、鯰は満足そうに眺めてニヤニヤと笑った。


「わしは美しい女子を犯して食べる沼の妖怪よ! 貴様も今までの女子と同じように犯した後に食ってやるわ!! 大人しくしていれば夢のような世界のまま死ねたのに、後悔するがよい!」

そこで鯰は、お清に乱されていた主導権がようやく自分のもとへ戻ったと高らかに笑った。

そして小刻みに震えているお清に気が付き、この勢いのまま抱いてやろうとその華奢な肩に手を置いた瞬間だった。



「なぁにさらしとんじゃい、わぁれぇええええええええ!!!!」


「ふぐぅおぉ!!」

お清は膝をたわめてばねを効かせると、体をひねりながら渾身の力で鯰の顎と思わしきところに拳をめりこませた。

その勢いのまま天に向けて拳を振り上げると、鯰の妖怪は後方へと吹っ飛ばされた。


 床に転がった鯰は、脳天に衝撃をうけてしばらく起き上がることも声を上げることもできなかった。

しばらく床の上で白目をむいて痙攣していた鯰は、ようやく正気に戻ると口から泡を飛ばしながら静かに佇むお清に怒鳴った。

「な、何をするんじゃこの女! 人間の分際でこのようなことをすれば……ひぃっ!」


 鯰は様子のおかしいお清に気が付き小さく悲鳴を上げた。

顔には影が差しその表情をうかがい知ることはできないが、その細い立ち姿からは想像もできないような禍々しい妖気がにじみ出ていた。

圧倒されている鯰のほうへ、お清はゆっくりと一歩一歩を踏みしめるように近づいて行った。

そして無言のままへたり込んでいる鯰の前でしゃがみこむと、鯰の胸元をつかんで呆然としている顔をはり倒した。


「ひぃっ、ひぃいいいい!!」

鯰はもはや悲鳴を上げることしかできない。

そんな情けない様子の鯰の顔に、お清は一言も発することなくもう一度反対側から張り手を食らわせた。


「……の分……」

いや、お清はかろうじて聞き取れるような声で何かをぶつぶつ呟いている。

だが恐怖にかられた鯰はその小さな声に気づくことなく、あわあわ言っている間にもう一発お清に殴られた。今度は拳だった。

「…これはお前に食われた二人目の娘の分……」

低く闇の底から響くようなお清の声にようやく鯰は気づいたが、聞き返す前にもう一発殴られる。


「これが、お前に食われた四人目の娘の分……」

次は腹を殴る。


「ちょっと味を変えたいと、食われた五人目の熟した未亡人の分」

立ち上がり思い切り鯰の股間を蹴り上げる。

その後も、お清はぶつぶつと呟きながらもはや悲鳴を上げることすらできない鯰の妖怪を殴ったり蹴ったりしていく。



 元々清吉は下種ではあるが気が小さく、誰かと面と向かって諍いができる性分ではない。

ただひたすら木の陰から相手をじっと睨みつつ恨みつらみをぶつぶつ呟き、いつか罰が当たればいいと念じるような小心者である。


では今、何がここまでお清を突き動かしているのか。

下種な清吉に初めて芽生えた義憤か、それともお清として目覚めた女心による娘たちへの供養か?

実はそのどれでもなく今お清の体を突き動かしているのは、妖怪に食べられた女たちの怨霊であった。

妖怪に無残に辱められて若く美しいまま命を散らした女たちが、お清の体を借りてその無念を晴らしているのである。

鯰の妖怪は無様におびえながらもなすすべなく、どこか目の逝っちゃっているお清に殴られ続けた。




 しゃれこうべが積み上げられた寝室に、お清が鯰を打ち据える音が響いてしばらく経った頃。

床に倒れたままお清に殴られるままだった鯰は、ふとお清の呟く言葉が変わっていることに気が付いた。

「――わしのぶ~ん――」

「はぁっ!? お前、今なんつった!?」


 思わずお清への恐怖を忘れて床から勢いよく身を起こし、手を振り上げているお清を見た。

「ひぃっ!」

あいかわらずお清は禍々しい妖気に包まれ、その表情はそんじょそこらの妖怪も顔負けの狂気をまとっている。

なまじお清の顔が整っているだけにその迫力は凄かった。

鯰はおびえながらもお清のつぶやきに耳を澄ませた。


「お前に、別嬪で若い嫁さんを取られたかもしれないわしのぶ~ん……」

「はぁっ!? どういうことだっ……おぐっ!」

吠えた鯰をお清は張り倒すとその手をおろし、再び床に倒れこんだ鯰を蔑むように見下ろした。

そしてゆっくりと吐き捨てるように呟いた。


「お前が食べた若くて別嬪な女子の中には、わしの所に嫁にきた娘もおったかもしれんのに……」

お清は、清吉の時の溢れ出る嫁さんへの未練により亡霊たちの支配から中途半端に覚醒していた。

お清はぎょろりと目を回した後、また鯰を見下ろして手を振り上げた。


「お前に、来るはずだった嫁さんを食われたわしのぶ~ん……」




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