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最終話


 

 その夜、幸福に満ちていた老婆に、いかような夢も訪れはしなかった。




「ばぁちゃぁああああん、ここ開げてぇええええ!! 助けてぇええええ!!」

「……っつ!!」


 眠りかけていた老婆は、悲鳴のようなお清の声と木戸を激しく叩く音によってたたき起こされた。

慌てて布団から飛び起き、寝起きの働かぬ頭のまま木戸に仕込んだつっかえ棒を外す。

「……?」

つっかえ棒を手に、なぜこのようなものを自分が仕込んだのかと疑問に思ったところで木戸が激しく開き、薄い肌着が乱れあられもない姿のお清が部屋の中に飛び込んできた。


「こら! お清、待たぬか!」

続けてこちらは乱れているものの、浴衣の前はしっかりと締めている錦之丞が部屋に飛び込んできたときに、老婆は昨夜寝る前にあったことを思い出した。

と同時に、二人の様子をさっと見る。


「…………」


 どうやら未遂のようだ……。

老婆は思わず頭をたれた。


「ばあちゃん助けてっ!! 錦之丞さまに殺されるっ!!」

「何馬鹿なこと言っている!? それにフキを巻き込むな!!」


「……お二人とも、そこにお坐りなさい」


 老婆の言葉に、それまでぎゃあぎゃあと言いあっていた二人はぎょっとした顔で老婆を振り返り、そしてそのまま固まった。


「お坐りなさい」


 己がどのような顔をしているのかはわからないが、そんなことどうでもよい。

固まっている二人にもう一度静かに声をかけた。

二人はぎくしゃくとしながらも老婆の前に肩を並べて座った。


 若い二人の、しかも夜の話など年老いた自分が口をはさむことではないと痛く思う。

しかし、こいつら、自分が間に入らないといつまでもこのまんまなんじゃねえのかよ……と何度も期待しては落胆することを繰り返した老婆は、凪いだ海のような穏やかな広い心で首をすくめている二人に事の次第を問いかけた。


「男と女のまぐわいは天にものぼる心地だって聞いていたのに、……死ぬほど痛い……騙された」


 恨みがましい声でぼそりと言うお清に、老婆はとある血生臭い予感からとっさに錦之丞の顔を見る。


 この二人、どちらも初めて()でしかも元男のお清はもちろんのこと、過去にあのようなことがあった錦之丞はそちらの知識が全くないはず……。


「……まさか、いきなり突き立てようと致したのでは……」

「い、いや違う! そんなことは断じてしていない! そ、その、ちゃんとそういう『いろは本』を手に入れて……できるかぎりほぐした……」

思わずもれた呻くような老婆の声に、錦之丞は目を見開くと慌てて弁解をした。

だが内容の生々しさに言葉は自然と尻すぼみになる。


 老婆は確かめるようにお清に顔を向ける。

お清は顔をくもらせ、ちらりと隣で顔を青くしたり赤くしたりしている錦之丞を視線をやる。

一度悩むようにうつむいたが、意を決すると顔を上げて老婆をしっかりと見た。


「錦之丞さまのアレ(・・)が半端なくでかいんです!! あんなものねじ込まれた日にゃ、わし、殺されてしまう!」

「馬鹿ッ、何言ってるんだお前っ!?」


 必死な顔で訴えるお清とその口を塞ごうと必死になっている錦之丞に、老婆は言葉もなく目元を抑えた。

そして心の中で叫んだ。


――――誰か代わってくれ……



 

 

 錦之丞が幼い頃より母の代わりと世話をしてきた老婆であったが、錦之丞のものが人並み外れたものかは童子の頃しか見ていない老婆には知りようもなかった。

芸女の頃は歌と踊りを生業としていたが、なかには身体を売る芸女もいたしそちらの商売の話も付き合いがてらよく知っている。

確かに人並み外れた者もいて裂けるようであったとか、初めて春を売る女が隆起した男のものを見て怯えて逃げ出した話などもありふれた話として聞いていた。


 だがこの二人の場合は……。

そこで老婆は目の前で正座している若い二人に目をやった。


「……その、お清。あなた、今までの話が本当なら元は男であったはずでしょう? ……その、男のものなんて見慣れているのでは?」


 するとお清は神妙な顔をして、己の小指を天に向かって立てた。


「わしの、勃ってこれだった」


 あぁ……。


 老婆は心の中で言いようのない哀しみを覚えた。

世の中には、赤ん坊の腕くらいの者もいれば、小指の先ほどの者もいるという。

そのような者たちは悩んでいることが多く、いかにその者たちを喜ばせて男の自尊心をくすぐってやるかが芸女の腕の見せ所、と豪語していた逞しい女たちの笑い声が老婆の脳裏にふと蘇った。


「ぷっ」


 なつかしさに心が飛びかけていた老婆の頭から、血の気がサッと引いた。

いまだ小指を立てているお清の隣で、錦之丞が噴出したのだ。


 あぁ、終わった……。


 老婆は錦之丞を諌める前に、もはや全身をさいなむ虚脱感に襲われてただ目を閉じるのみであった。

人はそれを現実逃避と呼ぶ。


「い、いやお前、それはいくらなんでも小さすぎるだろう? 俺のといい、大げさに言いすぎだ。初めてのことで気が動転していたのはわかるが、お前っ、それじゃ赤子とかわらんぞ」


 全く悪気のない錦之丞が苦笑いしながらお清の肩に手をかける。

錦之丞の名誉のためにいうならば、幼い時から他人を拒絶しており、また色事に関することを一切排除していたために男にはいろいろな大きさがあり、しかもそれは非常に繊細なところという意識が全くなかった。

お清は……肩にあった錦之丞の手を激しく叩き落とすと、勢いよく立ち上がった。


「ど、どうせわしの一物は赤子なみに小さいわぁぁあああああああ!!」

「お、おい!?」


 叫ぶが否やお清は老婆の部屋を飛び出し、足音も激しくそのまま外に飛び出してしまった。

呆気にとられて呆然と座り込んでいる錦之丞であったが、老婆はそっとそばによりその腕をとって立たせた。

そしてされるがままの錦之丞だけを部屋の外へと出し、木戸ごしに静かに見据えた。


「錦之丞さま、男とは己のいちもつの大きさをとても気にする者でございます。くわえて、小さいという事はとても気に病むことであり、そこを笑うという事がどういうことか。よくよくお考えになられてください」


 それだけ一気に言ってしまうと老婆はささっと木戸を閉め、今度こそつっかえ棒をして一息つくと布団の中に入った。

心身ともに(特に今のやり取りで)疲れていた老婆は、朝まで夢も見ずにこんこんと眠りつづけたという。



「どうせわしは小さいわぁあああああああっつ!!」

「おい、お清! 俺が悪かったから、こんな夜中に叫ぶんじゃない!」


 外では若夫婦のもめる声がしばらく続いていたという。





 次の日。


「御主人、そんなにお顔が綺麗で上品な方なのに。嫁さんの乳が大きいか小さいかで喧嘩するなんてねぇ、男ってものはしょうもないねぇ、ねえ奥さん! あっはっはっはっは!」

「……夜中にとんだ失礼をいたしました……」


錦之丞たちの新居に比べてこじんまりとした、一般的な農村の家に豪快な女の笑い声がひびく。

豪快な笑い声と同じくらい恰幅もなかなかの女に、客として座っていた錦之丞は微妙な顔で頭をさげた。

いまだ笑いのおさまらない女の横で、やや貧相な男が人好きのする笑顔で錦之丞の肩を遠慮なくばしばしと叩いた。


「おいおい、嫁さんもえれぇ別嬪さんだし何より乳はゆっさゆさ揺れるぐらいしっかりあんじゃねえか! 旦那、そりゃあ贅沢言いすぎだよぉ」

「はぁ……あの……」

「こら! あんたどこ見てんのさ。こんな若いお嬢さんに失礼だろうがい!」

「ひぃいい、おかあちゃん勘弁!」



 錦之丞とお清は近くの村人に挨拶に回った。

そして行く先々で昨夜のもめごとを勘違いした人々に「若い二人はいいねぇ」とからかわれていた。

お清にはいらぬことを言わぬようにただ笑っていろと言っているので、錦之丞はただ「はぁ」とか「はい」とか答えるしかない。

まさか嫁のイチモツの大きさの話など言うわけにもいかず、錦之丞は絶えず微妙な顔をして頷いていた。


「だんな」

いましがた嫁さんに怒られたばかりの男がちょいちょいと手を振り、錦之丞だけに聞こえるようにそっと耳打ちした。

『おかぁちゃんの乳なんてな、だんながもんでやりゃあ大きくなるからな! 頑張れよ!』

「……はぁ……」


 言葉少なに微妙な顔をしている錦之丞を、人々は奥手で恥ずかしがっている若者と好意的に受けいれた。

そして中には顔が綺麗で初心な若者へと、いらぬ知恵をさずけてくれる者もいた。


 実際昨夜の一件のおかげで、一見とっつきにくそうな錦之丞を人々はすんなりと受け入れることができたのだが、そんなこと錦之丞は知らない。

黙ってにこにこと笑っているお清は、乳のことで拗ねている世間知らずな可愛い若妻として村人たちに受け入れられた。



 そんなこんなで、若くて少し風変わりな夫婦は、共に暮らす老婆と周りの村人たちに支えられながら新しい土地で幸せに暮らしたという。


 めでたし、めでたし。





 え? 結局二人は結ばれたのかって?


 それは次の年には元気な赤子ができて、それからも二人目、三人目と子供に囲まれて幸せそうな老婆と夫婦の姿があったということだから、きっとそういうことなんだろうねぇ。

あと、たまに同じく子供を連れた商人夫婦が遊びに訪れる姿も見かけるんだとか。


 まぁそこまでいくために、裏では錦之丞の血のにじむようなたゆまない努力があったということだよ。

そりゃあもう、嫁が嫁だからねぇ。


 いや、何があってもどうなろうともお清はお清だから、というのがしっくりくるかねぇ。


 それでは、このお話はおしまい。

めでたし、めでたし。












「ちょっと、私はちっともめでたくないわよ……」


 小さな祠のある泉で、仙女はお供え物のまんじゅうをやけ食いしながらいじけていた。


「なんで元男があんな幸せになって、世にも美しい仙女の私がこんなお独り様なのよ……。私だって、結構頑張って世のために活躍していたはずなんだけどぉ……?」

ぶつぶつ言いながらも次のお供え物の兎の丸焼きを手に取り、子供の顔より大きな塊にまさに噛り付こうと大きく口を開けたときだった。


「……もし、泉の仙女殿のお住まいはこちらでよろしいか?」


 泉にたちこめていた兎の丸焼きの香ばしい匂いをさらうように、すうっと爽やかで清々しい風が泉を吹き抜けた

それまで仙女が発していたしょうもない負の気は一瞬で清められ、泉は今までにない神々しい空気に包まれる。

さらさらと流れる清流のような心地よい声とともに、さらりと涼しげな衣擦れの音がする。


「……な、あなたは!!」

大きく開けた口を閉じることも忘れ、兎を両手に掲げたまま仙女は驚きに凍り付いた。

そこには、藍、青、蒼とさまざまな色のうす布を着込んだ目もくらむような美貌の青年、龍神の君がいた。


 龍神の君は仙女の手にある兎の丸焼きに目を丸くした後、きらきらと光の粒子を飛ばしながらふわりと微笑んだ。

「わたくしの偽物を貴女が退治してくださったそうですね。心から感謝いたします」

「そ、そんな! 恐れ多いお言葉にごじゃっ、……ございます!!」


 仙女は龍神の君の神々しさと美しさにいっぱいいっぱいになり、きらびやかなお姿を見るのも恥ずかしくて兎の丸焼きを自分の顔の前に掲げて視界を遮った。

煌びやかなお姿が隠れてほっとする仙女の手に、そっと長い指がそえられる。

「!!」

龍神の君の手が触れていると気付いたときには視界を覆っていた兎の丸焼きは両腕ごと下へと下げられ、代わりに小首を傾げた龍神の君が微笑みながら顔を覗きこんでいた。


「お礼といってはなんですが、我が宮にて一緒にお茶でもいたしませぬか?」

「は、はいぃいいいいいい!! 喜んで!!」

「……この兎を食べ終わるまで待ちましょうか?」

「いえいえいえいえいえいえいえ! おかまいなく! 今行きます! すぐ行きます!」

「そうですか、では共に参りましょうか」


 龍神の君がふうわりと微笑むとゆらりと二人の姿がゆらめき、後には祠に手つかずの兎の丸焼きだけが残されていたという。


 そして数年後、泉のある集落のあちこちで晴れやかな天気雨が降り、見事な虹が数日間天に輝き続けたという。

人々は泉の仙女が龍神様に嫁いだのだと噂し、それ以後は村で生贄をささげる儀式は絶えたという。



 それでは今度こそ、めでたしめでたし。





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