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十九話


『罰で女にしたのにっ、……何でっ、何でちゃっかり男とくっついてるのよアンタはぁあああ!!』



 乳白色の世界で最初に聞こえたのは、歯ぎしりすら聞こえてきそうな女の金切声であった。

お清はもやのなかにしっかりと錦之丞と老婆もいるのを認め、なんだかほっとして錦之丞にくっついた。


「…錦之丞さま」

「うん?」


 突如巻き込まれた事態に、錦之丞は訳も分からずあたりを警戒していた。

が、己の名をそっと呼び寄り添ってきたお清を見て、怖がっているのかと強く抱き寄せた。


「いかなる物の怪の仕業かはわからぬが、俺がお前を守る。安心しろ」

「……嬉しい…」


 お清ははにかむと、錦之丞の胸に顔をうずめる。

そんな二人に苛立つように、激しい雷鳴が轟き渡った。


『何いちゃついてるのよっ! っていうか、この私を物の怪扱いするとは無礼千万であるぞっ!!』


「…えらく威張った物の怪だな…」

おのこ()の情愛をいただくことなく死んでいった、嫉妬に狂った女の怨霊でございましょうかねぇ?」

「……錦之丞さま、いい匂い…くんかくんか…」


 三人それぞれの反応に、まるで癇癪をおこしたように稲光が四方八方に飛び散る。

それはもはや目もくらむばかりの光の暴走であった。

三人はしばし声もなく、目を焼き付くさんばかりの光から逃げるように目をかばって耐えた。


 やがて静寂が戻ったころ、錦之丞はゆっくりと目を開いた。

そこは最初のように乳白色の世界である。

しかし、まるで何者かが荒く息を乱したようにもやが激しく波打っていた。

錦之丞はお清と老婆に害のないことを確認すると、虚空に向かって朗々と叫んだ。


「物の怪でないというならば、名を名乗るがよい!」


『我は泉を総べる仙女である』


 先ほどの金切声とは打って変わり、威厳すら漂う女人の声に錦之丞は居住まいを正した。


「誠に仙女であるというのならば、先ほどの無礼を詫びよう。しかし、泉を総べる仙女どのがいったい何用であろうか?」

『そうよ! 清吉! あんたに用があるのよ!』


 仙女の威厳は一時ももたなかった。


「えぇ~、わし? 面倒くさいのう……」

『あんたの相手をするのが一番面倒くさいわ!』


 お清の隣で頷いている二人に勇気づけられたのか、もしくは全く気付いていないのか、仙女は気を持ち直したように厳かに語り始めた。


『ふ、ふん! こほん、こほん。……清吉よ、そなたは妾の与えた三つの試練を無事に乗り越えたようだな』

「!!」


 それまで錦之丞の胸元でくんかくんかしていたお清は、初めて狼狽した様子で顔を上げた。


 怪異な靄に包まれてもそこまで動揺しなかった錦之丞は、出会ってからほぼ記憶にないお清の真剣な表情を見て目を見開いた。

その顔は紙のように白くなっており、華奢な体は小刻みに震えている。


「一体どうしたというのだ!?」


 錦之丞は思わずお清を固く抱きしめるが、お清はまるで言葉を失くしたようにがたがたと震え続けている。

そんな二人の様子を嘲笑うように、仙女は淡々と告げた。



『約束だ、清吉。……お前を元に戻してやろう』



 お清と錦之丞が何かを言う間もなく、お清に、無情な白い稲光が落ちた。

二人の耳に、落雷の音は届かない。


 お清は稲光の中、両手で顔を覆った。

幻の姿を許さない光から逃げるように。

そして錦之丞から隠れるように。


 錦之丞は稲光に臆することなく、お清を強く強くその腕の中に抱きしめた。

乙女を脅かそうとする光から守るように。

そしてお清に、何があっても離さないと伝えるように。





 やがて、光が霧散する。

光りに包まれた二人をなす術もなく見守っていた老婆は、じょじょに見えてきた光景に息を飲んだ。



 錦之丞が覆いかぶさるようにして、一人の人間を抱きしめている。

その姿は、錦之丞に隠れて見えない。

 


 が、己の腕の中を確かめようとして錦之丞が腕に閉じ込めたまま体を離したことで、その姿は二人の前にさらけ出された。



錦之丞と老婆は、己の眼を疑った。 


 そこにいたのは。










 二人がよく見慣れた、黙っていれば天女のような美貌の華奢な女だった。


「……なんだこれ」

「……なんでしょうねぇ?」


 二人は、気が抜けたようにそれだけを呟いた。


 そんな二人の反応に気づいたお清は、顔を覆っていた手でばっと自分の胸元の着物をくつろげた。

とたんにこぼれだす豊満な乳房。

ぶるんぶるんと揺れる麗しい二つの瓜に、お清は満面の気色を浮かべる。


「あった、あったぁ!」


 笑顔のまま己の乳房を下からすくうように、たゆんたゆんと揺らすお清。


 極度の緊張の後のあまりにも間抜けな光景に、錦之丞と老婆は久しぶりの脱力を感じた。

その感覚を懐かしいとすら思ってしまった錦之丞は、思わず天を仰いだ。

そんな養い児の姿に、老婆は心の中で合掌した。



『……あ、あ、あ、あぁ……』


 震えるようなうめき声が聞こえ、三人を包むもやが、まるで仙女の動揺をあらわすようにわなないた。


「なんじゃわし、元々女だったようじゃな!」

「……」


 弾んだ声で言うお清に、いまだ天を仰いでいる錦之丞のかわりとばかりに老婆が首を傾げた。



『……あ、あんた……』


 哀れなくらいに動揺しきった声が、口にするのも恐ろしいといわんばかりに言った。



『お、男と……交ったわね……。……破瓜してるわ…………』



 途端、三人はぎょっとして顔を見合わせた。

「えぇええええ!? わし、錦之丞さまとも誰とも寝たことないし!!」

「お、俺も、こいつと同じ布団ですら寝たことないぞ!!」

「あ、あんなくっさい状況で情を交わせるようなお二人ではないと思います!!」


 三人と一人はこれ以上ないくらいに取り乱し、しばらくそれぞれ自分で何を言っているかわからない状態であった。

が、一番最初に正気に戻ったのが老婆なのは、年の功か、亀の甲か。


 老婆はとある可能性に気が付くと、いまだ取り乱している若い二人を見やった。


「……錦之丞さま、お清。この婆が良いというまで、お耳をふさいでおいてくださいませ……」


 老婆の何とも言えぬ顔に、二人は口をつぐんで素直にうなずいた。



 老婆は二人からすすっと距離をとると、横目で耳をふさいでいることを確認して天に向かって囁きかけた。


「もうし、仙女様」

『…な、なに?』


 仙女はいまだ動揺から立ち直れないのか、ややうつろな声で返事をしてきた。


「…あの、申し上げにくいのですが」


 老婆は言いためらっていたが、意を決すると天を仰ぎなおした。


「お清は、己で慰めているうちに、誤って己で破瓜してしまったのではないでしょうか?」


 しばし絶句している気配がしたが、疲れたような声が返ってきた。


『……あの阿呆ならやりかねないと思っていたから、「男によって破瓜」というのを条件にしていたわ。……間違いなくあの阿呆は、「男によって破瓜」しているわ……』

「そうですか……」


 老婆は天に向かって一礼すると、耳をふさいで己を見守っている二人のもとへ戻った。

そして「もうよろしゅうございます」と二人に声をかけ、とりあえず理由は語らずに「失礼したしました」とお清に頭を下げた。


 ふりだしに戻った。




 しばし考えたお清は、天を仰いで情けない声をだした。


「わし、誰とも交わった覚えなんてないよう。そりゃ、変な奴にはいろいろと会ったけど……」


 その一言を聞き、錦之丞ははっと目を見開いた。

そしてお清と老婆に耳をふさいでいるように言い置くと、そっと二人から距離をとる。

眉間に皺を寄せると、やや悲哀をにじませた声で天にかたりかけた。


「……お清は、過去に男に狼藉を働かれたことがあるのではないか? ……それが辛くて、知らぬうちに記憶を失くしているのではないだろうか……」


 はぁっと、大きなため息が返ってきた。


『確かに変な男どもが寄ってくる呪いはかけておいたが、最後までいかぬように保護の術をかけておいたし。その呪いも破瓜した時点で解けているわ。それに……あいつ、どんな変態に迫られても別にへこんだ様子は一切なかったわよ! あんた、どんだけあの阿呆に夢を抱いているのよ!! アイツのどこを見ればそんな繊細に見えるのよ!!』

「いや、あ――」

『うっさいわ! 顔は良いのに見る目ないよアンタ!!』


 なぜか最後は罵倒され、首を傾げながら錦之丞は二人のもとへ戻った。

とりあえず、お清の頭を撫でておいた。



 またふりだしに戻った。




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