十七話
果たして一行は、海の見える高台へと歩いていた。
「あぁ、ここはわしが流れ着いた漁師村だ」
お清は街道にそって生えている潮風よけの松林の向こうに、見慣れた村を見つけた。
あいかわらず貧しい掘立小屋の並ぶ村だった。
お清はふと首を傾げた。
「あのお屋敷に住んでいて思ったけど、錦之丞さまが治める領地なのに、なんであの村はあんなに貧相なんじゃろう?」
お清の言葉に、足元の砂利を踏みつける音だけが返事のように大きく鳴った。
「あの村から嫁に嫁いだ女がな、自分の立場をいいようにしてとある屋敷の財産を好き勝手に使いまくったのだそうだ」
お清が隣に目をやると、錦之丞が前をひたすらに見つめたまま淡々とした表情で語っていた。
錦之丞がこの表情の時は、なにか感情を抑えているときだ。
お清は錦之丞の顔から視線を足元の砂利に移すと、珍しく口を閉ざして足を動かした。
「その女の父や弟も一緒になっていろいろと悪事を働いていたようでな。この村に結構な金や宝などが流れていたのだそうだ。それで、この村は屋敷に全てを返すためにいろいろと苦労しているそうだ」
「それはずっと? 今も?」
錦之丞はつとお清の方を見た。
「気になるか?」
お清は、自分を見つめる錦之丞が少し笑っているのに気が付いた。
その穏やかな顔に、お清は話の内容もぶっとんでへらりと笑い返した。
「錦之丞さまが笑ってればそれでいいや」
「阿呆!」
「痛っ!」
お清は額をはたかれた。
「珍しく真面目な話をしていると思えば、お前と言うやつは……」
憮然とした表情で、錦之丞は早足にお清を置いて歩いて行く。
お清が額を押えながら何か文句を言っている後ろで、フキは錦之丞の首がまたもや赤くなっているのを確かに見て忍び笑いをもらした。
「領主様っ!」
いきなり甲高い子供の声がした。
お清たちが足を止めるのと同時に、植木林から一人の子供が飛び出してきた。
その姿はまるで、ボロ雑巾を纏っているようなみすぼらしいものだった。
子供は錦之丞の前でひざまずくと、砂利道に頭をすりつけて平伏した。
「領主様っ、突然の無礼をお許しください! ぜ、ぜひお伝えしたきことがあるのです!!」
「……俺は領主ではない……」
子供の必死な声にも心動かされる様子はなく、錦之丞は無表情でそっけなく言い放つ。
「錦之丞さま、ひどいっ!」
「ぐおっ!!」
子供に対するあまりな態度に、お清は後ろから錦之丞のひざ裏に思い切り蹴りをいれた。
「お前っ、何しやがるっ!!」
勢いよく振り返った錦之丞は、珍しく眉間にしわを寄せたお清に胸倉をつかまれて凄まれた。
「……なんだよ…」
「……錦之丞さま、子供相手にそれはないだろう? 見てごらんよ、この必死な様子を。あんた、そんなに尻の穴の小さい男なのかい?」
「……」
錦之丞はお清としばしにらみ合った後、小さくため息をついていまだ胸元をつかむお清の手を軽くはらった。
そして頭を振り、いまだ必死に小さくなっている子供に向き合った。
「…先ほど言った通り、俺はもう領主ではない。そのようにかしこまる必要はない、顔を上げろ」
「は、はいっ!」
子供は声をかけられると大げさなくらいに肩を揺らした。
そして慌てて顔を上げた。
錦之丞の顔を見て軽く目を見開き頬を染めると、目を伏せて必死に声を張り上げた。
「わ、わたくしどもの顔を見るのもお厭わしいところでしょうが、このような奏上の機会をいただいたことを深く感謝申し上げると――」
「くどい、簡潔に言え」
「き、ん、の、じょう、さまぁ~?」
「痛い痛い! お、お前っ、こんな状況で頬をつねるな!」
そんなお清と錦之丞の様子に、子供は呆気にとられたようにぽかんと口を開けて見とれていた。
呆けたまま座り込んでいる子供の前にそっとフキがしゃがみこみ、ゆるりと微笑んで見せた。
「さ、見ての通り怖がる必要なんてございませんよ。言いたいことをそのまま仰いなさいな」
子供ははっとしてフキを見つめ、そしていまだお清と言い争っている錦之丞を見上げた。
「これをお納めしたく、我が村の恥を忍んで参上いたした次第でございます! どうか、どうかお受け取りください!!」
子供がか細い腕を伸ばして差し出したのは、綺麗な絹の塊だった。
錦之丞は塊を受け取り、ゆっくりと布を開いていった。
中には、琥珀の櫛がひとつあった。
「……これは、母上の……」
錦之丞の呆然とした声に、子供は再び頭を地に押し付けてひれ伏した。
「我が村の恥さらしである女の命で、その弟がご母堂様のご遺体を海に……。その際、畜生のごとく卑しきことにございますが、男はご遺品を盗んでおりました。そ、そちらの方が我らの村へ流れ着いた時、男を処分した際に事が発覚した次第にございます……」
子供は消え入りそうになる声を必死で奮い立たせながら、どうにか最後まで言い切った。
お清は、話に出てきた男の顔が頭の片隅にちらついたような気がしたが、それよりも櫛を手にしたまま押し黙っている錦之丞が気になり、そっと後ろに控えた。
しばしの静寂の後、錦之丞がわずかに身じろぎした。
子供はその小さな体を震わせ、お清も軽く身構えた。
錦之丞は掠れた、しかし穏やかな声でゆっくりと話した。
「…それは、大儀だったな……」
「は、はいっ! この幾重にもなるご無礼の数々、誠に申しあげもございませぬ! わ、わたくしごときの命では償っても償いきれませぬが、領主様のお怒りを」
もはや緊張の限界で声が裏返った子供の頭上に、ため息が落ちた。
「その必要はない。それにすでに俺は領主ではないと言っているだろう。顔を上げろ」
「お前の村の恥知らずどもが屋敷の金品を流したことは、俺が屋敷の記録から消した。この村への制裁は、俺の個人的な私怨によるものとなっている。新しい領主の体制では、お前の村に咎があることを知るものはいなくなるだろう。返金も全て終わった。これ以後は他の村と同じ年貢に戻る」
子供は目に涙をため、何度も声にならない礼を言った。
止めるように声をかけるも、子供は壊れたからくり人形のように何度も頭を下げ続けた。
「時間をくったな。そろそろ行くとするか」
この場にいては子供も落ち着かないとみた錦之丞は、荷物を担ぎなおすとこの地を離れようと歩き始めた。
子供を気にしつつもお清と老婆がそれに続く。
が、ふと錦之丞は足をとめて子供を振り返った。
「なりは小さながらも大した奴だな。お前、この村の権力者の血縁か?」
「……お恥ずかしながら、恥知らずの女を大叔母、男を大叔父、そして村長を父にもつ者にございます……」
子供はまた、その細い体を更に縮こまらせながら答えた。
「そうか、お前があの村を継ぐものか。……それは楽しみだな」
錦之丞の言葉に、子供は思わず顔を上げた。
目にした錦之丞の顔は先ほどの無表情ではなく、微かだが笑みを浮かべていた。
「いまにあの村は前以上の賑わいをみせるだろうな。よく励むといい」
「はいっ!!」
そして錦之丞は二度と振り返ることもなく、その場を後にした。
足早に歩く錦之丞に後れをとるまいと、お清も小走りに付いていく。
「錦之丞さま、もう海は見に行かないんですかい?」
「あぁ、もういい」
「そうですか」
しばらくそうして歩いていたが、ふと錦之丞は足を止めてお清を見た。
「……先ほどの子供、お前にしてはえらく気にかけていたな…。……いくら相手が子供だろうと、誰にでも愛想を振りまくものではない…」
やや眉をひそめた珍しく歯切れのわるい言葉に、お清は珍しいことだと首を傾げた。
そして目の前で難しい顔をしている錦之丞に、へらりと笑いかけた。
「だって、まだ男色の疑いのある錦之丞さまが、お稚児趣味にまで目覚めたら困るから…って、うごっ!」
錦之丞は無言でお清の頭、きっつい拳骨を落とした。
そして一行は、潮のかおる海の地を後にしたのだった。




