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十二話



 お清に呼び出された若い女中は、お清の頼みに顔を青くした。


「あの…私が勤める以前のことですが、そのようになされた女の方が、主様のご不興をかって手打ちにされたという噂がございます……。おやめになったほうがよろしいかと……」


 女中の反応にお清は困ったように頭をかいた。


「う~ん、ならわしが一人で用意しようかねぇ…」


 それを聞いて女中は更に顔を青くした。

女中の情報網は優秀である。

普段あまり人前に出てこないお清がどのような人物なのか、その美貌もさることながら、中身はそうとうぶっ飛んだ人物であると有名である。

そんな人物に屋敷の中で好き勝手をされては何が起こるか分かったものではないし、そもそも主のお気に入りである女性に下働きのようなことをさせては自分の首が飛んでしまう。

しかし用意をしたことで主の不況を買い、手打ちになるのも嫌だ。


 女中の頭の中はものすごい勢いでぐるぐると回った。

ついでに目もぐるぐると回り、さすがのお清もその異様さに引きかけた時、女中はいきなりお清の腕をがっと掴んだ。

「ひぃっ!」

血走った女中の目がぎょろりとお清を捉え、お清は思わず悲鳴を漏らした。

少しあっちも漏らした。

女中はお清にすがりつきながら「私がしたことはくれぐれもご内密にお願いいたしますぅうううう…」と呟き、お清はただそれに何度もうなずき返した。







「これは一体何の真似だ」



 その夜、いつものごとく独りきりの食事をとりに自室に戻った錦之丞は、普段と違う様子に眉をひそめた。

いつもの卓の隣にもうひとつ卓と酒盛りの用意がされ、その横でお清が座って錦之丞を待っていた。

跡取りとなった後にいくどか遭遇した吐き気のする光景に、錦之丞の機嫌は一気に下がった。


「お前も所詮、女というわけか」


 廊下に立ったまま部屋に入ろうともしない錦之丞の、底冷えするような声音と視線にさすがのお清も身構えた。

だが老婆の泣く姿を必死に思い出し、震える口をごまかしながらようやくの思いで話しかけた。


「…つ、包み隠さず、腹ぁ割ってお話をさせていただこうと、参りやした」

「…お前はそもそも、腹に隠せるほどの頭が無いだろうが……」


 呆れたような錦之丞の声に、お清は知らずとどめていた息をはぁと吐き出した。

そんな様子を眺めお清はお清だという事を思い出した錦之丞は、嫌悪したのもあほらしいとばかりに大股で部屋に入ると、卓の前にどかっと座った。

錦之丞が珍しくとった荒々しい仕草に、卓の上の汁物や酒が揺れてこぼれた。

とたんに横から「あぁ、もったいない…」と呟くお清の声を聞き、錦之丞は一瞬でもお清が誘惑しに来たのかと疑った自分が猛烈に恥ずかしくなった。



 奇妙なうめき声をあげて突然頭をかきむしり始めた錦之丞を、お清は「よほどお疲れのようで…」と珍しく真剣な顔で労わった。

お清からしたら先ほどの取り乱した老婆を見た影響であったが、錦之丞は「頼むから放っておいてくれ……」とますます追い込まれたような気しかしない。


 お清がしおらしくそっと盃に酒を注いだので、何とか頭を切り変えたかった錦之丞はそれを一気に飲み干した。

途端に空っぽの胃を酒がかっと焼いた。


 錦之丞は普段酒を嗜まない。

楽しい酒を呑んだことがなかったし、酔えば苦しい想いに支配されるからだ。


 久々の酒に熱い吐息を吐いた後、錦之丞は盃を卓に置いてお清のほうに向きなおった。


「それで、お前がわざわざこんな手の込んだことをしてまで話したいこととはなんだ? 屋敷を出ていきたくなったか? お前をこの屋敷においたのは、あの時断ればお前の行き場がないと思ったからだ。無論行き先や引き取り手が見つかったのなら、出ていってかまわん。この屋敷に居続ける必要はない」


 珍しく饒舌な錦之丞に、お清は呆気にとられた。

酒の席であれば話もしやすかろうという安易な思いで席を作ってみたが、もう酒に酔ってしまったのだろうか?

今日は老婆といい錦之丞といい珍しい姿を見るものだと、自身も珍しく考えて行動したお清は思った。

そしていろいろと話すことを考えたことも忘れて、思ったことをそのまま口に出した。


「錦之丞さまはこの屋敷から出ていかないんで?」


「はぁっ!?」


 思わずあがった錦之丞の素っ頓狂な声に、お清はもちろん出した錦之丞も驚いた。


「考えのない奴だとは思っていたが……、俺はこの屋敷の主だぞ? どうして俺が出ていかねばならんのだ」


 怒りよりも呆れが先に来た錦之丞に、お清は首を傾げながら答えた。


「だって、錦之丞さまにとってこの屋敷は嫌な事だらけなんじゃろう? おっかさんだって出ていきたかったみたいだし、何でこの屋敷に居続けるのかと…」

「おっかさん? ……あぁ、母上のことか。……ちっ、フキの奴だな。おい、これはフキの入れ知恵か?」


 途端、座敷に響いた乾いた音に、錦之丞は一瞬何が起きたのか混乱した。

そして頬に走る痛みと熱に手をやったとたん、目の前のお清に叩かれたのだと気が付いた。


「…貴様ッ! うおっ!?」

お清の突然の狼藉に、流石に許しておけぬと錦之丞が立ち上がろうとしたとき、それよりも先に動いたお清に胸倉をつかまれてしまった。


「入れ知恵だぁ? ばぁちゃんはなぁ、あんたのことを思うあまり泣いて寝ついちまったんだよ!! 謝れっ! ばあちゃんの枕もとに立って謝れぇええええ!!」


 掴んだ胸元を激しく揺さぶりながら美しい顔を般若のごとく歪ませて凄んでくるお清に、錦之丞は言葉もなく、激しく揺れる世界にしばし酔った。

そしてそろそろ空っぽの胃に入れた酒が逆上してきそうになった頃、お清の足元に転がるそれ(・・)を見つけた。


 それは、空っぽになったとっくりだった。

錦之丞は、目の前で凄むお清に視線を戻した。


「……お前、俺が来るまでに何本飲んだ……」

「緊張をほぐそうと、2本くらい?」


「この手を放せ、阿呆」

「あ痛!」


 錦之丞は冷静に、己の胸元を掴むお清の手を叩き落とした。

そしてなんともやるせない気持ちになり、適当に手酌をしてそのまま飲み干した。


「……後でばぁちゃんの見舞いにいってやれよ…」


 ぼそっとかけられた声に顔を向ければ、髪が乱れ着物の合わせも乱れて谷間の見えたお清が恨みがましい目つきでこっちを見ていた。

乱れた裾から見える脚も、艶めかしく白い。

乱れた美女の姿、それは男が見ればむしゃぶりつきたくなるような光景だろうか……。


 だが、錦之丞は―――。


「くっ、色気もくそもねぇ女だな!」


 何だかおかしくなって一笑した。


「きぃいいいいっ! 人が真面目な話をしているのにぃいいい!!」


 お清は悪鬼のごとく表情で錦之丞に飛び掛かった。

錦之丞はなんだか楽しい気分になりくつくつと上機嫌に笑いながら、飛び掛かるお清をひらりと交わした。

そしてすれ違いざまに二の腕をつかみ容赦なく背中でねじり上げると、そのまま体重をかけて畳に押さえつけた。

扱いは手荒いが、一応、一応これでも錦之丞は手加減しているのである…。


「痛い! 痛い! 痛ぃいいいいい!?」


 お清は訳の分からぬうちに動きを封じられ、しかもねじった腕には微妙に圧を加えられ痛みに目を白黒させることしかできない。

そして錦之丞は、そんなお清を見下ろしながら涙をながして、笑っていた。


「あーっはっはっは、何だそのざまは! 主に手をあげたんだ、このくらいで済んで良かったな! ふっくっく、あぁ、腹が痛い!」

「ひどい、ひどい! これが女子にすることか!」


 お清の必死の言葉に、「そういえばお前、女だったか……」と錦之丞は思い出したように呟き、あっさりとその戒めを解いた。





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