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第七話『リアルの関係』

 僕は一日に二回ほど、れんれんさんにメッセを送った。一回ではなんだかたりない気がしたし、あまり多いとむしろ鬱陶(うっとう)しいだろうと思ったからだ。だから、二回。実際二回でも鬱陶しいだろうとは思うのだが。

 無論、返信はなかった。

 相方の心が離れていく遠距離恋愛のカップルっていうのは、もしかしたらこんな心境なのかもしれないとか、そういう呑気なことを考えながら、返信されないメッセを一週間ほど送り続けた。

 雨がアスファルトを叩く音が、僕の部屋を満たしている。なんとなくその音に嫌気がさして、忘れられたように鎮座するテレビの電源を入れた。雨に似合わない賑やかな声がテレビから発せられ、これはこれで鬱陶しいと思った。

〈こっちは雨がすごい。そっちは晴れてる?〉

 一回目のメッセ。

 他愛のない世間話――それにも満たない、ただのあいさつ。今まで返信が来たことがない。れんれんさんが打鍵をしていることを示すアイコンも表示されていない。読んでいるのか読んでいないのか、それさえもよくわからない。PCを立ち上げて、そのまま放置しているということだって考えられる。

「返ってくるはずもない、か」

 ため息をついて、テレビを見る。やかましいバラエティーから、ワイドショウにチャンネルを変えた。大差はなかったけれど、まだ有益だろう。幸い、今はスキャンダルまがいのゴシップをあーだこーだ言っているのではなく、真面目な話をしている。つまった息の栓を抜くには、ちょうどいい気だるさの番組だ。

 れんれん。

 れんれん。

 彼女は一体今、何を思っているのだろう。

 何があって、何を思って活動をやめたのだろう。

 やめることが悪いわけじゃない。どうせこんなものは趣味の一環でしかなく、それ以上でもそれ以下でも、ましてや嫌々続けなければいけないことでもない。やめたければやめればいい。

 けれど。

 それならばそうと、一言くらい言ってほしい。

 彼女はそういうことを欠かさない、決して欠かさない人だ。

 だから今回のこれにはそれ相応の理由があるのだ――と、僕は半ば確信に似たものを持っていて、それゆえにこうしてメッセを送っている。

 返ってこないものを発信している。

 返事のない言葉はむなしい。

 そして僕としても、そろそろこの動きのない展開に嫌気がさしていた。待つと決めたのは僕だったけれど、それにしてもいつまで経っても一言も口を開かないれんれんさんに対して、怒りにも似た気持ちが湧きあがってきていたのだった。

 だから僕はまず、さっきれんれんさんに送ったメッセを削除した。あんな日常的会話など、無視されて終わるに決まっている。

〈そのままでいいの?〉

 代わりに送信したのはそんなメッセだった。これが何を指しているのか、僕ですらよくわからなかった。だけど僕が言わなければいけなかったのは、きっとこの言葉だったのだろう。それは確信にも似た感覚として、僕の中にあった。

 このメッセでれんれんさんの返信が得られると期待したわけではない。しかし、不意に僕のディスプレイには、れんれんさんが打鍵をしているアイコンが表示された。

〈良くない〉

 打鍵中のアイコンが表示されたのは一瞬で、すぐにれんれんさんのメッセが表示された。

〈やっと返事をくれたね。安心したよ〉

 返事がないこと――それが何よりも不安を煽るのだ。一週間を超える無反応は、予想以上に僕を苛めていたようだ。

〈ごめんね。リアルで色々あったんだ〉

 そういえば――れんれんさんの更新が、正確には連絡ができなくなったのは、同窓会以降だ。リアルで起きた何かは、それに関係しているのかもしれない。

〈もしも話して楽になるようなことなら、僕で良ければ聞くよ〉

〈ううん。たぶん話しても、今よりダメになると思う〉

 彼女の身に何が起きたのか、僕には予想することさえできない。当たり前だ。僕はネット上での彼女しか知らないのだから。

〈わたしが馬鹿だった。それだけのことだよ〉

 それはきっと本気でそう思っているのだろう。何が起きたかわからないから、僕はれんれんさんに対してどんな言葉をかければ良いのかわからない。適当なことを書けば、きっと彼女を傷つけるだけに終わる。いや、もしかしたらすでに傷つけてしまっているのかもしれない。

 このチャットの場に出てこさせること。

 それがすでに傷つけることになっているかもしれない。

〈ねえ秋月さん〉

〈なに?〉

〈直接、会ってみない? ふたりで〉


 オフ会というものがある。今ではその単語はある程度浸透してきていて、あまりネットに馴染みの無い人でも知っている人が増えてきている。簡単に言えば、ネット上の知り合いがリアルで会うことだ。基本的には特に問題は生じないのだが、今回れんれんさんが提案したオフ会には少々問題がある。

 ふたりで会う。

 男女。

 結構な問題だ。そして場所はれんれんさんが指定したから、ある程度れんれんさんの住所は割れてしまった(それは僕にも言えることだが)。こういう場合、往々にしてトラブルが発生しやすい。下手すれば犯罪にも結び付きかねない。僕はれんれんさんに何か危害を加える気はないし、れんれんさんもきっとないのだろうけれど、ケースとしてはよくあることだった。

 場所も思ったより近く、僕はその提案を受け入れたのだけれど、僕たちの間にはそれほどの信頼関係が成り立っていたのかと少し疑問に思う。付き合いは長いけれど、チャットを何度も繰り返したけれど、それだけではないのか。

 僕は隠さずそのことをれんれんさんに伝えた。れんれんさんの返信は早く、〈それでも秋月さんを信じてる〉と返ってきた。そういう問題ではないと思ったが、そこにはあえて突っ込むようなことはしなかった。僕はれんれんさんに対して、何か良からぬことをしようなどという意図は全くないのだから、彼女が良いならそれで良いのだ。

 結局、僕もれんれんさんと同じで、彼女を信じているという話なのだけれど。十全の信頼はできないけれど、信用できる人物であるのは確かなのだ。 そういう方向から考えれば、このオフ会の申し出というものも、考えてみれば自然な流れなのかもしれなかった。ある程度の付き合いはあるわけだし、実際に会ってみるというのも悪くはない話ではある。

 そういう話をそれとなくかぜ子ちゃんに話したのだけれど、かぜ子ちゃんの反応は思いの外良かった。

「行ってきなよ」

 行動方針の転換をするには少しばかり短い期間だったのだけれど、かぜ子ちゃんはそんな些細な事には口を挟まなかった。代わりに「行くならちゃんと解決してきてね」と、僕を激励したのだった。とはいえその激励は、僕にとってはかなりの重荷なのだが。

 行動するとは決めたし、解決したいとも思うのだけれど、結局、最後はれんれんさんが自分で乗り越えるしかない。僕はあくまでそのきっかけを作りに行くに過ぎないのだ。その辺のところをかぜ子ちゃんが理解しているかは甚だ疑問だけど。

「じゃあ行ってくるよ」

 なんていう言ってしまえば軽いノリで、れんれんさんとのオフ会に行く事を最終決定したわけだ。それが良いか悪いかは問題ではなくて、問題なのは自分で大切だと思っている問題に対してでさえ、僕という人間はその程度の重大性しか認めていないということが問題なのだった。だからこそ僕はああいう小説が書けるのだろうとは思うのだけれど。それとこれとを同一視して考えるのはいかがなものか――そんな風にも思う。あるいはだからこそ、れんれんさんは僕を呼んだのかもしれない。そこは彼女しかわからないことだ。

 とまれ。

 僕はれんれんさんのお誘いを受け、僕は某県某所にやってきた。そこはちょっとしたカフェで、少なくとも僕の住んでいる周りには見当たらないタイプの店だった。僕はそこであらかじめれんれんさんと取り決めていた服装で、窓際のテーブルに腰掛けている。待ち時間のお供に注文したコーヒーは、思ったよりも美味しかった。れんれんさんは喫茶店で書くこともあると言っていたから、もしかしたらこの店で書いているのかもしれない。ここでの執筆は、店の落ち着いた雰囲気も相まってはかどりそうだ。

 待ち合わせの時間を五分ほど過ぎた頃、慌てた様子でひとりの女性が入店してきた。その人の外見は、れんれんさんが提示した容姿と合致していた。彼女はきょろきょろと店内を見回した後、僕と目が合って、恐る恐るといった風にこちらに歩いてきた。

「秋月さん?」

「れんれんさんだね?」

 彼女――れんれんさんはうなずいて、僕の正面に座った。ほっと息をつき、安心した表情を浮かべたのはつかの間、彼女はすぐに申し訳なさそうに顔を伏せた。

「ごめんなさい」

「なにが?」

 彼女が何を謝っているのか――それはおそらくひとつしかないのだが、僕はあえてそう聞き返した。

「…………」

 けれど、れんれんさんは何も言わなかった。

「どうして突然あんなことに?」

 代わりに僕が本題を切り出した。世間話はこの話が終わった後、好きなだけやればいい。問題を先延ばしするのは、あるいは僕の得意技かも知れないが、今回ばかりはその技を使う必要はないだろう。

 彼女だってきっと、そのためにここにいるのだから。

「秋月さんなら、ある程度の予想はできてるんじゃない?」

「まあ……それなりには。でもそれで判断できるわけがないだろ?」

 大体、僕の予想なんて「同窓会で何かあったのかもしれない」程度のことで、問題の理解には全く影響しないものだ。この程度のことなら、わかっていないのも同じことだ。考慮の必要がない。

「わたしは馬鹿なんだよ」

 れんれんさんは自虐的にそう言って、今にも壊れてしまいそうな笑顔で言った。その笑顔はもう笑顔と形容するしかないのだけれど、笑顔と呼ぶにはあまりにも悲しげで、あまりにも自虐的だった。

「普段の会話からは、そんな風には思わないけど?」

 テンションはハイだが、だからって彼女が馬鹿だと思ったことはない。彼女は常に一定の良識を持ち、ラインを定めて発言している。それはチャットという媒体で、一度文字に起こして発言を確認できるから――というだけではないのだろう。いくらチャットでも、馬鹿なことを言う人は言うのだ。

「あったことをそのまま言うのは嫌なんだけど」

 れんれんさんはそう前置きをして、ゆっくりと話し始めた。最初のうちは楽しそうな同窓会のそれだったのだけれど、徐々にそれは様子が変わり始めた。特に話の終わりの方は、れんれんさんは言葉を濁したけれど、確かに塞ぎこんでしまうには十分すぎる――さらに言えば、こうして僕とふたりで話しをしようと思ったことが驚くほどのことだった。彼女が明言していないから、僕は何があったのかをはっきりとは理解できていないのだが、それでも察しはついた。

 だから僕はその事の重さに、何も言えないでいる。

 何を言っても僕がいう言葉には重みがなく、言葉を重ねればもっとダメになっていく気がしたからだ。きっと僕が言うべき言葉もあるのだろうけれど――それはきっととても簡単なことなのだろうけれど、僕にはそれが言えなかった。

 なんのためにここに来たのだろう。

 そんな風にさえ思い始めている。

「まあなんていうかね、そんなことがあったから、ちょっと……ね」

 彼女はそう言って笑い、僕は笑えなかった。

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