第六話『ネガティヴ青年とポジティヴ少女』
僕にとって物語なんていうものは、ひどく滑稽なものだ。存在なんてしてくれなくていい。それは終わったゲームのレベル上げをするかのような無意味なもので、それは無意味で無価値なものだ。完結したことを続けるというのは、とてつもなく力を消費する。そしてそれは全て徒労だ。
夢もなく、希望もなく、将来の展望もなく、期待にはこたえられず、期待することのむなしさを知り、諦めることの尊さを学び、ニヒルを気取って世間を俯瞰し、自分の手の届く範囲の狭くて広い世界に翻弄されながら、寄り道もできず、ドロップアウトすることもできず、後退することも交代することもかなわないココを歩かなければならない。
それが――僕にとっての物語。
この世界。
小さな頃にあった夢なんて、今では紙切れ以下の価値でしかない。小さな頃に好きだったヒーローにも価値はない。過去は変わらず、未来はわからず、現在は苦痛だ。救いなんてあったものじゃない。それは誰にとっても同じことで、今が幸せだと思っている人は――いずれその現実と直面して絶望する。レールの敷かれた人生だなんてとんでもない。人生なんていうものは、敷かれたレールがガタガタにボロボロになってしまっているのにも関わらず、それでもなお猛スピードで列車を走らせるようなものなんだ。
だから――
僕はそういう考えの持ち主なんだから――
そんな目で僕を見るな。
「どうしてそんな目で僕を見る? それがきみの望んだ答えじゃなかったのか?」
怒ったような――悲しんでいるような、曖昧で微妙で複雑な目で僕を見つめる。かぜ子ちゃんは僕の短編を読み終わった後、無言のまま僕を見つめていた。
「どうして? どうして秋はそんなに冷たいの? もっと明るく前向きに生きてもいいじゃん」
「言っただろ? そう思うならきみは僕みたいにならなければ良い。よく言うだろ? 十人十色、千差万別、みんな違ってみんないい。これも僕の個性ってやつだ。小説に対する意見ならともかく、僕の人格に対してとやかく言われる筋合いはないよ」
余計なお世話、というやつだ。
かぜ子ちゃんは寂しそうな表情でうつむいた。少し言いすぎたかとも思ったが、取り繕うようなことはしなかった。するべきじゃないと思った。それをすることは、自分を否定することのように思えた。
「かぜ子ちゃんは前向きだよな。羨ましくなんてないけど。でもさ、その前向きさってのは、絶対に必要なものか? 必要不可欠なのか? 僕のその短編はかなり露骨に書いたけど、それくらいの思いを持ってる人なんて山といるだろ」
暗い気持ちを持っていない人なんていやしない。
逆もまた然り。
そのバランスがどちらに傾いているか――結局、それだけの問題なんだ。
「現実がもっと刺激的で活力にあふれていたなら、あるいは僕も僕のようにはならなかったのかもしれない。きみのようになったかもしれない。だけど、そんな可能性なんて考えるだけ無駄だ。終わった可能性なんて無意味だ。現実がそこにある――それが全てだ」
「その結果がこんな救いのない結果なの?」
「小説は小説、現実は現実さ。それにその短編のお題はかぜ子ちゃんが提示したんだ。気に食わないなら、それを生み出す原因を作ったことを自責するんだ。それに、救いなんてあるようでいてどこにもない」
「秋の小説は気分が悪いよ。面白いとか面白くないとか、そんなのとは別の次元で」
「よく言われるよ」
――最高に気分の悪い小説だ。
僕の小説に対して、初めてこの評価をしてくれたのは南角さんだったように思う。それ以降、その評価は僕という書き手――秋月という冴えない作者を指す代名詞のようなものになった。
多くない僕の小説の読者たちは、誰一人として、僕の小説を気分のいいものだとは思っていないだろう。
「前に作者仲間と話したことがあるんだ。小説ってのは、書き手を表すものなのかどうかってね。まあ結果が出たわけじゃないんだけど、結果を出そうとしてたわけでもないんだけど、とにかく小説ってのは人柄が出るらしい」
故に、僕は根暗だという見方もできる。
だけど、それだけか? それだけだっていうんなら、ミステリ作家なんて殺人者予備軍の集まりじゃないか。ファンタジー作家なら妄想癖の激しい人で、恋愛作家なら恋に恋しているし、ホラー作家は気が狂ってるとしか言いようがなく、私小説を好んで書くならその人はマゾだ。
だから、それだけじゃない。
「かぜ子ちゃん、人間はそんなに簡単じゃない。小説を読んだからって、その作者を理解なんてできやしないさ」
「できるよ」
けれど、かぜ子ちゃんは首を振った。
「わたしはわかるよ。だってわたしは小説の神さまだもの。それに、前にも言ったけど、秋の小説は鏡だよ」
「鏡、鏡ね。だとしたらますますわからないな。僕の小説を俯瞰して、まず出てくる僕のパーソナリティなんて根暗であることくらいだ。どうしてそんなやつときみは一緒にいるんだ」
この質問は時期尚早だったのかもしれない。
だけど、今しか聞けないようにも思った。
「それは――その……」
かぜ子ちゃんは言いよどんだ。あまり説明したくない理由なのかもしれないし、理由らしい理由はないのかもしれなかった。理由がないならさらに疑問は深まるが、それでいて納得しそうな自分がいる。
「その時が来たら話すよ!」
「神さまらしい言い逃れだね」
「えっへん」
「いや、褒めてない」
あと、その威張り方はちょっとばかり古い。
「いいけどさ。それで、これからどうするんだい? 僕はまだ小説は書かないし、誰かとチャットをする予定もない。そしてきみに読ませられる小説はない」
あるにはあるが、過去のものばかりだし、先に『銀色の夢』を読ませてしまったため、面白さという面ではかすむ。もしかしたら後味の悪さでは勝るかもしれないけど。
彼女はきっと、それを求めてはいまい。
全く――。
相方にする相手をとことん間違えちゃったみたいだな、この子。
それに僕は……いや、今は待つって決めたんだ。
終わらせればいいのに終わらない漫画のように、僕はだらだらと解答を引き延ばすって決めたんだ。それが無駄だとわかっていても。
そうか。
こういう時に、この子(かぜ子ちゃん)か。前向きなこの子なら、根暗な僕にはない発想があるかもしれない。嫌味ではなく。
「ねえ、かぜ子ちゃん」
「んー?」
ベッドに寝転び、不満そうに僕の書いた短編を眺めていたが、呼びかけに反応して上目遣いに僕を見上げる。
だから……くつろぎすぎだって。
「なあに? お菓子でもくれるの?」
そこまでくつろいでおいて、お菓子まで要求するのか。
「違う。ちょっと相談なんだけど……」
僕がわかる範囲で、事情を説明する。とはいえ、僕もわからないことばかりでどうしたらいいのか、そもそも何が起きているのかさえよくわかっていないのだが。それでも誰かに相談するのは悪いことではないだろう。
かぜ子ちゃんは神妙な面持ちでうなずいた。
「直接会うってのはどうかな?」
「いやいや。住所どころか顔も本名も知らないし」
会議ツールに登録されているのは、〝れんれん〟というペンネームとブログのURLだけだ。そのブログも、小説の連載が止まると同時に更新が止まった。最後の記事は、翌日の忘年会を楽しみにしているという、ありがちな日記と近況報告だ。
「え? 友達なんじゃないの?」
「きみは僕の説明で何を聞いてたんだ? 友達っていってもネットの友達って意味であって、リアルで会ったことはないよ。リアルの情報として知ってるのは、彼女の顔と肉声と彼女が大学生ってことだけ」
「十分すぎるくらい知ってると思うんだけど……」
そうなのか? 顔は知ってるけど、別に何かできるわけじゃない。肉声とはいっても機械を通じての声だし、小説を書いている女子大生なんてゴマンといる。
「ふうん。だったら、やっぱり選択肢としてはふたつしかないと思うよ」
「ふたつ」
「うん。行くか待つか――結局、できることってのはそれくらいだよね」
行くか――
待つか――
ふたつの選択肢。
僕は一度、待つことを選んだ。それはついさっきのことだけど、今からでもそれをやめたって別に構わない。さっきはナツメさんと話していて待つと決めたけど、今はかぜ子ちゃんの意見も混じっている。意見というほどのものでもないが。
「ほら、メッセを読んでくれてるかどうかわからないなら、数撃ちゃ当たる作戦で行くしかないと思うよ。読んで欲しいならね。そうでないなら、待つだけの忍耐力と、そのまま去っても耐えられる精神力があるなら――待っててもいいと思う」
「逆もまた然り、か」
逆。
つまり、アプローチをし続けることにより、結果的に相手を自分から引き離してしまう結果に終わること。
どちらに転ぶかはわからない。
どちらが良しというわけでもない。僕が今良しとする選択を、今する必要がある。
「僕は――」
「どうするの?」
どうするべきなのだろう。
行くべき、なのだろうか。
そう、言ってしまえば、これは現実が僕の目の前に提示されているだけに過ぎない。僕には変えることなんてできやしない。僕が行動しようがしまいが、結果は同じだ。
同じだ。
明らかに何かを変化させようという意思、そういうものがない限り、人の行動が人を変えるなんてことはない。善意にしても、悪意にしても、それは同じことだ。
同じ、ならば。
「僕は行動に移そう」
「どうして? 結果は同じなんでしょ?」
「同じ、だと思うよ。何をしてもね。だけど、結果を早めることはできる。帰ってきてほしいと行動することと、帰ってきてほしいと思いながら待つのは同じことだけど、僕の精神衛生上、前者のほうが好ましい」
「自分かよ」
「自分だよ。今回の選択肢は、自分に集約する。れんれんさんには悪いけど、僕は僕が思った通りにれんれんさんに関わっていく。迷惑だと思われても、ね」
僕の小説には荒らしが多い。
荒らしが沸くたびに、れんれんさんは僕に声をかけてくれた。こういう時に声をかけずして、一体何を仲間と呼ぼう。
「へー、案外仲間思いなんだ」
「誤解だな。それは結果でしかない」
自分で言って矛盾していると思ったが、そこは黙っておいた。僕は今、自分でもよくわからないテンションだ。