第一話『小説の神』
現在他に連載している1本が連載終了するか、本作とその小説が安定して書けるレベルに到達するまでの間、本作は【不定期連載】です。連載頻度に波がありますが、ご了承ください。内容はフィクションです。また、内容の仕様上、ネットスラングや顔文字が使用されている場合があります。
この世界には物語がある。
明日がある。
今までここまでやってきたのだから、明日ももっと高みへと登ることができる。
努力は必ず報われる。
輝かしい未来。
そんなものを信じて突き進む――そんな物語がある。
巨悪に打ち勝つためのヒーロー。
竜殺しの英雄。
地球を救うヒーロー。
そんな英雄譚。
ぼくらを導くように、当然のようにそこに存在する。
もう一度言おう。
この世界には物語がある。
だけど、そんなものは嘘っぱちだ。
狭いアパートの一室。PCデスクに向かったまま一時間、僕の精神はかなり疲弊していた。ネットに小説を投稿し始めて、これで五年になる。ある程度のコミュニティも形成することができて、ネット作者生活も板についてきた。そこまでは良かったのだが、残念なことに、結局そこまでだったのだ。
なんてことはない。ネットは世界に広がる超巨大なネットワークを形成しているけれど、僕がそのネットワークを活用して行っていることなんて、ほんの些細なことでしかない――そんなことに気づいてしまった。所詮は仲間内で自分の駄作を見せ合っているだけで、全く生産性のない行為でしかない。そこに気づいているのに、僕は無様にもそれにすがって生きている。
「はあ……」
ため息も出ようと言うものだ。小説の読者はまあいつも通りとして、そこに書かれた感想は散々なものだった。批評という名の中傷を書き残していく自称批評家のかわいそうな連中が、まるで申し合わせたかのように僕の小説にケチをつけてきたのだ。
もちろん、僕だって馬鹿じゃない。それが正鵠を射ているのならば、僕は是非も言わずにそれを受け入れるが、見当違いだったりそもそも論点と外れていたりするそれは、僕を疲れさせる以外の効果を発揮しない。というか、最後まで読んでから書けってんだ。
〈二十三話の主人公の行動が不自然すぎる。もっと現実的に書いたほうがいいだろ。あまりに突然過ぎて追いつけない。もっと練習してから書けks〉
とは、先月完結した『銀色の夢』という、僕の代表作と言える小説への感想だ。無論、僕はこの感想で指摘されている二十三話での主人公の行動に関しては、その伏線を八話で張っている。八話以降もさりげなくチラつかせているというのに。読解力のない読者はこれだから困る。
ぷよん、と気の抜ける音がして、PCの会議ツールにインタントメッセージが届いた。送り主は同じ小説投稿サイトで、恋愛小説を連載しているれんれんさんだった。僕は普段から交流があって、特に親しくしている四人の作者と会議ツールを共有している。れんれんさんはそのメンバーの中でも、一番付き合いの長い人だ。
〈秋月さん大丈夫? あんなのに負けちゃ駄目だよ☆〉
秋月とは僕のペンネネームで、特に意味はない。れんれんさんのペンネームには何か意味があるのだろうか。
〈慣れてるから大丈夫だよ。いつもありがとう〉
メッセを返信し、会議ツール以外を閉じた。デスクの空きにノートを広げ、次に書く小説のアイディアをメモする。メモリーツリーは見開き全体に広がって、もはや見返すのも面倒なほどになっている。これが活用される日は来るのだろうか。
〈そうだ、秋月さん。わたし、来週から新作連載するから、一話だけでも読んでね ヽ(●´ 3`)ノ゛〉
PCから顔を上げ、届いたメッセを読む。今度もれんれんさんからだった。先週連載が終わったばかりだっていうのに、また連載を始めるのか。すごいな。
〈もちろん読むよ。ま、『あしたのきみ』を超える作品を期待してるよ〉
『あしたのきみ』は、僕とれんれんさんが出会うきっかけとなった小説で、れんれんさんの一番人気の小説だ。高校生の恋愛を描いたスタンダードなものだけど、その優しい雰囲気と甘い恋愛模様が読者から人気を博している。
〈あれは超えられないかもw 自分でもびっくりしてるんだよ( ̄Д ̄;)〉
〈とまれ、新作、楽しみにしてるよ〉
新作、か。
正直、三年も連載した『銀色の夢』が完結した今、新しいものを書く体力はないわけなのだけど。新作のアイディアはノートに書いているけど、それを連載に持っていくにはもうしばらくかかりそうだ。れんれんさんを見習いたい。
そうメッセでれんれんさんに送ってみたら、〈外に出て散歩でもしてみたらいいんじゃないかな? 桜並木の中をのんびり歩いて、まさかの恋愛フラグ? ハァハァ(;´Д`)〉と返ってきた。
駄目だこの人。どうしようもない。
〈とりあえず現実は恋愛小説じゃない。でもまあ、ちょっと散歩行ってくる〉
〈いってらっしゃーい〉
ノートとシャーペンを持ってアパートを出た。桜並木、とは言えないまでも桜が咲いていて、なるほど、これなら気分転換にはなる。れんれんさんもなかなかいいアドバイスをしてくれた。
ここは学生街で、いたるところに学生向けのマンションやアパートがある。僕はそれらの建物の間を抜け、山のほうに歩いた。峠の中腹辺りに大学があり、僕はそこに通っている。大学の前を通り抜けて、人通りのあまりない道を歩く。もう少し歩けばまた人が住む場所に出るのだけど、そこまでは行かなかった。
大学を囲う壁にもたれ、ちょうど良い高さにあった段差に腰掛ける。たまに車が通り過ぎて、ちらり、と僕を見て通り過ぎていく。なんとなく自分とは違う生活のようなものが見えた――気がした。
ノートを開けて、目に見えた景色の一部を文章に変換して書き込む。これも練習ってやつだ。日常の何気ないことを文章に変換すること――それが僕の練習法だ。
「いい表現だね。素敵だよ」
「そうか? このくらい誰でも……」
「そうかな? 書きなれてるって気がするよ」
いつの間にか隣に立っていたのは、制服を着た高校生に見える女の子だった。
「誰? きみ」
僕は県外からここに来た。だからこのあたりに高校生の知り合いもいなければ、大学の友達だってあまりいない。だからこの女の子だって、当然、知らない子だ。
「わたし? うーん、親しみをこめてかぜ子って呼んでね」
「親しみをこめるも何も、僕はきみの名前を知らない」
「そういうあなたの名前は?」
「僕? 僕は秋だけど」
「あき? あきって、秋?」
「発音が同じだから書いてくれないとわかんないけど、季節の秋だよ」
あれ? なんだかうまく話題をそらされた気がする。
「で、きみの名前は?」
ここで引き下がっては、僕の名が廃る。そもそも廃るような名もないけれど。
「はあ。わたしは風子だよ」
「風子? たぶんかぜ子よりも言いやすいと思うんだけど」
親しみを込めて呼ぶなら、基本的には呼びやすい名称に変えたりするものじゃないか? あまりニックネームとかあだ名なんかが周りになかったから、そういうのはよくわからないけど。
「風子よりもかぜ子のほうが、なんとなくかわいくない?」
「そんなものか?」
「そんなものだよ」
僕の感覚では、どっちでもそれなりにかわいい名前だとは思うけど。あ、今度小説に使わせてもらおう。
「で、どうしてきみは僕のノートを覗き込んだの?」
「何か書いてたから」
「そりゃまあ、ノートを持ってたら何か書いてるだろうさ」
「どんな文章を書いてるのか気になって」
「どうして?」
見ず知らずの男の書いている文章なんて、見たってこれっぽっちも面白くないだろうに。変わった子もいたものだ。
「何を隠そう、わたしは小説の神さまなのです」
変わった子、というか。
アホの子だった。
【不定期連載】です。