とっとと引越し~懸河の蹴球外伝 世露死苦~
マドリードの夜は更けていく。
アムステルダムへと旅立つ私の部屋は、すでに大半の荷物が段ボールに詰め込まれ、ガランとした静けさに包まれる……はずだった。
「おいダン! このやたらと重い金属製の棚はどこに運べばいいんだ!?」
マドリードでの激闘を共にしてきた最高のチームメイト、ングゥアチュチュだった。彼はなぜか、我が事のように汗を流して私の引っ越し作業を手伝ってくれている。
「あぁ、ングゥアチュチュ。それはそっちの『処分する荷物』のエリアに置いてくれ」
私は振り返り、至極真面目なトーンで指示を出した。
ちなみに、今の私の顔面には、室内であるにもかかわらず、そして夜中であるにもかかわらず、薄いパープルのサングラスが装着されている。理由は特にない。強いて言えば、旅立ちの男の哀愁を演出するためだ。
「……ダン、お前そのグラサンは何なんだ。部屋の中が暗くて、さっきから足元が危なっかしいぞ」
「気にするな。これが私の、マドリードへの惜別のスタイルだ」
フッ、と不敵な笑みを浮かべ、私は自らも粗大ゴミ用の金属製の棚――いわゆる『ハードラック』を持ち上げようとした。
その時だった。
ガリガリガリッ!!!
視界が暗すぎて距離感を完全に見誤った私の手元が狂い、金属製の棚板(段)が、容赦なく壁の角に激しく擦れた。凄まじい金属音が室内にこだまする。
ングゥアチュチュが「あッ!?」と目を見開く中、私はすかさずサングラスのフレームの端を指でクイッと押し上げ、静かにポーズを決めた。
「……チッ。ハードラックの段擦っちまったぜ……」
完璧なライミング。完璧なポージング。
ダン・ホルトーリの名にかけた、刹那の即興詩だった。
一瞬の静寂。
ングゥアチュチュの目付きが変わった。トサカが突き出たあのお方のような鋭さ。
「手伝ってやってんのに遊んでんじゃねぇ!」
マドリード最後の夜。
神童と呼ばれた男は、親友の怒号を浴びながら、大人しくサングラスをポケットに仕舞うのだった。
(了)
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