でぃーせんな罠
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
いったい、自分にとってどこが罠であったのだろう?
人生を振り返ってみると、今の状態に置かれる原因をつい探ったうえで、もしもの事態を考えることがある。
声をかけたかかけないか、前に出たか出てないか、選んでいるのかいないのか……なまじ、もしものときの結果が見えないから、つい想像をしてしまう。願わくは自分の思っていた結果になるんじゃないか、と考えながらだ。
戻ることはできない道だからこそ、それを自分の罪とか使命とか命運とか、いくらか踏ん切りをつけて背負いながら生きるよりない。しんどいけれど、そのときだけ痛いといったことでは済まない、尾を引く問題だろう。
でも自分だけで気づくことが難しいことがあったら、それが罠だと思えるだろうか。痛い目に遭わないタイプの罠を、認知できるだろうか?
最近友達が話してくれたことなのだけど、聞いてみないか?
友達は食べ物の、嫌いがない人間だ。少なくとも、これまで生きてきて苦手だと思うブツに出くわしたことはないのだという。
逆に好きなものは非常に多く、同時に並べられたときの優先順位こそ発生してしまうが、いずれも戸惑うことなく食べているらしい。
しかし、その中でもあえてベストなものを上げるとすると、「でぃーせん」があげられるという。
でぃーせん、というのは友達の記憶に残る食べ物の名前ではある。おそらくは「悪くない」とかをあらわすディーセントから取ったのだろう、とあとから推測はしているが。
当時は真似っこで言葉を覚える年ごろだったから、おそらく自分にとって良いと感じたものを「でぃーせん」と称し、求めていたのだと友達は分析しているな。
このでぃーせんを欲しがると、両親はいつも少し困った顔をしながらも、用意をしてくれた。
ときには戸棚からすぐに出し、ときには少し外へ買い出しに出かけて、でぃーせんを用意してくれた。
でぃーせんは特定の形を持たない。ただ友達が自身の味覚でのみ判断し、それで満足するならでぃーせんと認定される。野菜かもしれない、果物かもしれない、お菓子かもしれない、あるいはもっと別なものかも。
両親も数を買ってきてくれて、友達がその中からでぃーせんを探し当てて、味わうというのが日課だったとか。
そのでぃーせんの中でも、格別なものに出会ったのが今回の話の主眼だ。
親から留守番を任された、その日の午前中。
朝ごはんをたらふく食べたはずなのに、30分と経たずにお腹が減ってきた友達は、貯蔵してあるカップ麺へ手を出した。
すぐにでも食べたいから、湯を入れて1分で済む焼きそばにし、いざ食すときになって。
――なんか、期待外れだな。
これまでに何度も食べてきたもので、だいたいの味は把握している。なのに、その日はいつもと違う味わいのように思えたのだそうだ。
先にいったように、友達は嫌いなものというのが浮かばない。食べられないほどじゃないが、優先順位を下げざるを得ないくらいだ。
食べ終えたものの、物足りなさが残る。それどころか、お腹がぐるぐると鳴り出してしまう始末だが、これが奇妙だったという。
空腹を知らせるものでも、腹下しを告げるものでもない。ただ友達は早く、口直しをしなくてはいけないという、焦燥感に駆られたのだそうだ。
少なくとも、食べ物や飲み物と認識しているものは、家の中にあるものすべて試したらしい。それでもしっくりくるものが……友達が最終的に手を出し、「でぃーせん」と認めたものがある。
皿、だ。食器のね。
家にある皿のうち、10枚あまりを友達はその歯でかじり、食べつくしてしまったらしい。
いや、あまりにあっさり話すものだから、僕だって始めは信じなかったよ。でもさ、友達が信じてくれないのか、と近場で買ってきたコーヒーカップのソーサーを、バリバリとかみ砕いて呑み込んじゃったから、こちらはもう黙りこくるしかなかった。
でも、最近の「でぃーせん」は皿ではないらしい。手袋をはめていた友達が、そいつを外すと包帯をぐるぐる巻きにして両手が出てきた。
人の血肉が、いまの友達のでぃーせんとのこと。かといって他人からいただくわけにはいかず、今は自分の指をかみ破ってこらえているのだそうだ。いずれ、他のものに「でぃーせん」が移るときを待ちながら。
いつ、この悪食の罠にはまったのかは分からないが、もし自分の「でぃーせん」があるならそれが変わるときが来ないよう、心しておくべきと話していたよ。




