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真顔

作者: 牛玖ケンジ
掲載日:2025/11/03

母の淹れたコーヒーを飲むと、お腹を下す。一週間のうち五回は、下す。便秘に困っている人にぜひ、飲んでもらい検証してみたい。朝は慌ただしい。いつになっても。迫り来るものがある。その一つにトイレで便をする時間がある。必ず先着がいる。兄だ。兄もまた母のコーヒーでお腹を下したのだろう。「漏れる、今日もだ」と、トイレに駆け込むと、兄が先に便座に座っている。兄の便の臭いを仄かに感じながら、太郎は踏ん張ることになる。


そんな朝から始まる、土田太郎は、快腸な腸と共に、秋の曇り空の下、自転車を漕ぎ始めた。

太郎は二十九才である。一日は長くても、一週間、一年はあっという間に過ぎてしまうようになった。太郎は、不真面目だ。勉強はせず、親の優しさに甘えている。

小学校二年生の時に野球を始めた。最初は楽しく、そしてセンスがある方だったので小学生の低学年チームで輝いていた。そのせいで太郎はプロになれると思い込んでしまった。あのまま伸び伸び、何も考えずに野球をしていたら、ずっと幸せだったと感じている。


しかし大人がそれをさせてくれなかった。高学年チームに入ると熊みたいな監督の下で野球をしたが、暴力野郎でそのくせ口でも「大人に感謝しろ」と平気で言ってくるとんでもない野郎だった。あの偉そうな態度を思い出すだけで殺したくなる。自分の背番号の三十番を、ナンバープレートにしている王冠が付いている車に落書きでもすればよかった。子供に暴力がある時代だったのだ。


太郎は自転車を漕いでいると、過去を思い出して、振り返る事をよくする。

その後の太郎は、大した努力もせず、自分はプロ野球選手になれるという漠然とした想像と思い込みで大学の途中まで野球を続けた。勉強はせずに。冴えない野球人生だった。最底辺の大学も多額の学費を両親に払わせるうえに中退までした。

振り返え終えると同時に着いたのはゲーム屋だ。太郎はそう呼んでいるが。正式名称はエンタテイメントストアだ。携帯電話、書籍、本、ビデオ、音楽を販売、レンタルしている。太郎はここに祖母を連れてゲームを買いに来たことがある。その時に放送されていた、少年サッカーのアニメのゲームを青版と赤版を両方買ってもらうという、愚かな事した。そして好きな青版は温める事にして赤版から始めたが、結局青版は温めたまま一度もプレイしなかった。その赤盤も最後の敵を倒せなくて諦めた。


そんな思い出のあるゲーム屋で太郎は、アルバイトをしている。ゲームの世界とは違い変化がなく、ただ平凡な毎日が続く。ただ太郎は一つ恐れていることがある。それは、知り合いに遭遇してしまうことだ。太郎は二十九歳実家暮らしである。一度家を出て一人暮らしをした経験はあるが今は親の下で生活をしている。その事に恥を覚えている。「土田太郎」とフルネームで記されている名札を付けながら、昔から変わらない坊主頭でいるから、知り合いに見つかると、すぐに声を掛けられてしまう。ゲーム屋にも、無人レジと有人レジがある。太郎は当然有人レジに立つことがある。その時はいつも怯えながらレジ周りの商品管理をしている。

太郎の周りの同級生は地元を離れ都会で暮らしていると、太郎はそう思い込んでいる。結婚や子供、仕事や社会的地位それぞれをみんな手に入れているだろうと考えると、とても悲しい気持ちになるが、その裏には沢山の努力がある事を知っている。太郎は自分に甘えてきてしまった事を責める。


太郎は夕方までのシフトにしている。夕方以降は学生の子のアルバイトが多く、太郎は一回ある大学生の子に根掘り葉掘り自分の事を聞かれ嘘を上乗せして過去を喋ってしまった。変な噂が流れているかもしれないと思うと、太郎は自分より若い子と働くのが怖くなってしまった。

太郎は、定時の十七時で退勤しようと事務所に行くと店長から大学生の子が一人遅れるからと残業を頼まれた。太郎は断らず、承諾した。一時間ぐらいならまあいいかと受け入れた。その一時間はレジに立つ事になった。残業を受け入れているから、何もしないでいてもいいだろう思い、目の前の新作ゲームの映像をずっと眺めている。

右の死角から単行本を手に持った、黒髪の女性がレジに向かって歩いてきているのを目に捉えた太郎は、名前は覚え出せないが見たことがある人だと思った。無人レジを使わず、太郎が立つ有人レジにきた。黒髪の女性が太郎の名札を見た。顔の表情筋が動いた。気づかれた。そう思ったが、たった一言「カバーはいらないです。」と言い、二千円を払い、お釣りを受け取り出ていった。


太郎は、夕方になると寒くなる秋の夕暮れの中自転車を漕いでいる。家に着くと、卒業アルバムを見始めた。さっき本を買っていった米田花子は真顔で写っていた。太郎と同じ組だ。この頃と同じ髪型をして太郎の前に現れた花子のことを、太郎はずっと考えている。

お風呂、夕飯、眠りに入る前、ずっと花子の今日の姿と中学生の頃の花子を交互に思い出しながら眠りに入った。


太郎は、父の一言により、祭りの山車引きに参加する事になった。太郎は父と服従の関係にある。父からの頼みは全て頷く。子の為に働いてくれているのだからと太郎は父に感謝している。

太郎にとって祭りは、山車を引っ張るより、公園の周りの出店を楽しむものだと思っていた。最近は祭りには行っていなかった。久しぶりの地元の祭りで山車を引っ張る事になった太郎は何も知らずに父の言われるままに山車のある神社に向かっていた。


朝七時まだ眠気がある。母のコーヒーを飲んでしっかり便も済ましてきた。どうやら山車は太郎の住む地区をひたすら巡回するらしい。太郎の周りには父と同世代の人達が多くいるので少し安心する。それも束の間、沢山の若い声が聞こえてきた。太郎は忘れていた。山車は引っ張る人とお囃子を奏でる人だけではない、そう踊り子がいることを忘れていた。小学生、中学生ぐらいの子達がやってきた。その周りには、若い母親達がいる。太郎は目を走らせて知り合いがいないことを確認した。山車が出発する時間に迫る。体操をして準備をする太郎、それぞれが自分の位置に付く。


太郎は後ろに位置する踊り子に目を向けるそこに花子がいるのを見た。踊り子の姿をしている。鯉のシャツに帯に足袋に頭には手ぬぐいをしているが花子だとすぐに分かった。そうしているうちに山車のお囃子が、出発の合図となり、太郎は綱を引っ張り、山車は前に進み出した。山車は太郎の地区を巡回する。ゆっくり進む山車を引っ張る。二時間ほど引っ張り、休憩所に着いた。休憩所の隅で一人缶のジュースを飲んでいると、正面から歩いてきて「なんでいるの?」と真顔で花子が聞いてきた。気づかれていた。太郎は父の頼みと言い、立ちあがろうとする。「変なの、私は暇だからあと、自分を奮い立たせるため、私なら闇を抱えているの」とさらりと言い、太郎の前でお囃子の踊りを簡単にして、踊り子の中に混じっていった。太郎は、手に豆が出来ていることに気づいた。


太郎は綱を引っ張り山車は、今度はお昼休憩する、地区のコミュニティセンターにいる。お昼休憩前にお囃子の踊りの発表があり。太郎は見物人に混じって地面座りながら見ている。花子が目に入った。小中学生が多いが花子含め大人もいる。花子は最前列で踊っている。なぜか太郎はじっと花子だけを見ている。さっきの発言を思い出し、考え始める。太郎は花子のことをよく知らない。知っているのは、転校生だったことと、笑った時に笑窪ができることだけだ。


お昼ご飯は、炊き出しのカレーと豚汁だった。太郎はコミュニティセンターの外で一人食べている。久しぶりの運動のようなことをしてから、食べるカレーは美味しく感じた。豚汁を啜っていると、カレーを持った花子がやってきた。「一人が好きなんだね」と言い、隣に座ってきた。太郎は花子の声を記憶した。太郎は、横目でカレーを食べる花子の横顔も記憶した。「久しぶりに、会ったのに聞きたいこととかないの?」そう花子に聞かれた太郎は「君の闇って何?」そう聞いてみた。花子は「それね、それは殺したかった人がいるの」そう答えた。花子はその人を殺してはいないらしい。きっと揉め事があり復讐をしたかったのだろう。太郎はそう解釈した。「そうなんだね」としか言わなかった太郎に、「太郎君は、冷静だね。もしかして経験者?」と聞いてきたが、太郎は「そんなわけない」と答えた。太郎は、花子を置いてコミュニティセンターのトイレに向かった。


お昼休憩が終わり、夕方まで山車を引っ張った、太郎は疲れていた。休憩を終え、最後は神社に戻って、一日目のお囃子は終了となった。無事に山車を神社に引っ張り続けた太郎は、明日の予定を確認して飲みには、参加せず帰る。楽しそうにお酒を飲む、父達とその中に花子もいる。太郎は楽しそうな花子の笑顔を焼き付けた。

家には、母がいった。コーヒーを淹れてくれた。「お疲れ様」と一言を残して。太郎は明日に備えて、早めに寝た。

太郎は起きる前の夢を鮮明に覚えることが出来る。


祭り二日目、最終日の今日は鮮明にではなく、ぼんやりし夢だった。太郎は父と神社に行き、準備を始めていると、花子がやってきた。「今日はいい日になる、私も太郎君も」と言い、さらに「もう洗脳のから解かれた」と笑みをつくり去っていた。太郎は、花子の香りを嗅いだ。

二日目も、同じ道を巡回した。最初の休憩になり太郎は缶のジュース飲みながら、手の豆を確認する。お囃子の発表を終えた花子が隣に座ってきた。「私って寂しがり屋だから、私を好きって言ってくれた人と、一緒にいたの。今までずっと。」急に花子は話し出した。「でも、その人は私のことを嫌いになった。振られたの。女を振る男がいるなんて信じられなかった。」花子は、自分の恋愛を冷静に話す。太郎は、花子ことを横目で見る。花子の頭からつま先まで、そして丸まった背中を見る。細い体に花子の人生を感じた。「祭りも今日で終わりだね、また何もない日々が始まるね」と言い、去ろうとして一旦立ち止まり「中学生の時、太郎君が私の事好きっていう噂を聞いてから、告白されるのを待っていたんだよ」花子は優しい笑みを浮かべて去っていった。


花子の声が耳鳴りように聞こえ、花子の顔の残像を感じながら太郎は目一杯山車を引っ張る。夕方になりお囃子は最後の盛り上げを見せる。太郎は祭りが終わる寂しさを感じている、山車を引っ張り終えた太郎は、着ていた法被を脱いで帰ろうとする。「お疲れ様、山車を引っ張ってくれありがとう」花子は太郎に感謝する。太郎は真顔のまま「お疲れ様」と言い、花子と山車に背を向け、歩き出した。


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