夏祭り
――――五十年前、生徒が龍神さまに殺されたらしいよ。
水面小学校には、そんな噂が流れていた。
よく小学校では、七不思議とか口裂け女とか、そんな噂が生徒の話題の中心になることがある。それでも眉唾物だと信じない者も一定数いる。沙理奈もその一人だった。
「田舎の学校って嫌ね」
夏休みに祖父の家に遊びに来ていた沙理奈は、水面小学校の夏祭りの手伝いに駆り出されていた。水面小学校が閉校したので最後の夏祭りだからと、祖父に懇願され、仕方なく手伝うことにした。いまどき木造で、所々に穴が開いている小学校を校庭から眺めながら、沙理奈はため息を吐いた。
「おい、沙理奈。何ボサッとしてるんだ!」
幼なじみの瑞樹が声をかける。
「うるっさいわね。分かってるわよ」
「俺たち来年から中学生になるんだから、後輩の手本となる振る舞いをしないとな」
正論を振りかざす瑞樹に、沙理奈はイラっとする。
やぐら用の丸太を支えながら瑞樹を睨むが、当の本人はいたずらっ子のような笑みを浮かべているだけだった。
*
日曜日。壁の時計を見ると、もうすぐ午後十一時になろうとしていた。遅いな、と勇造は思った。厨房の片付けを中断し、がらりと引き戸を開ける。暖簾を外しながら、小学校の方を眺める。うっすらと明かりが灯り、かすかに盆踊りの音楽が聞こえた。
「最後の夏祭りなのですから、きっと遅くなりますよ」
依子がテーブルを拭きながら、静かに言った。
「それにしても遅か! 小学生の女の子がこんな時間まで」
怒鳴る勇造を、依子が店内へ引っ張り込む。
「沙理奈も大きくなったんですし、心配いりませんよ」
「今日は新月だが! 不吉なことが起こるに違いねぇ」
「令和の時代に、まだそんな迷信を信じているんですか?」
勇造は反論しようとして止めた。依子の柔らかな笑顔を見ると、心が落ち着くのだ。勇造にとって、それが結婚の決め手だった。
職人気質の勇造は、気難しい性格で、近所から恐れられていた。そんな勇造が唯一心を許した女性、それが依子だった。
勇造は、依子の写真を一瞥し、厨房の片付けに戻った。
*
町内会の女性部会が盆踊りを踊っているのを横目に、沙理奈は空腹に気付いて焼きそばの屋台に並んだ。ソースの焼ける香ばしい匂いが、沙理奈の腹の虫を元気付ける。
「焼きそば一個」
「はいよ!」
店主から焼きそばを受け取る。沙理奈は辺りを見渡し、座れそうな石を見つける。石の上部を軽く払って、浴衣の裾を押さえながらゆっくりと石に腰掛ける。
爆音で流れる音頭が、石の裏を伝って身体中に響く。
焼きそばを食べたら帰ろう、と思う。最後の夏祭りだろうが、沙理奈にとってこの小学校には何ら思い入れはない。
焼きそばのパックを開けようとしたその時、誰かが浴衣の袖を掴む。反射的に振りほどこうと腕を上げる。
「俺だよ。瑞樹!」
薄暗くてよく見えなかったが、確かに瑞樹の声だ。沙理奈はホッとした。
「何よ?」
「沙理奈に見せたいものがあるんだ。コッチに来て」
「え?」
グイッと手を握られ、瑞樹に引っ張られるがまま、着いて行く。
顔が紅潮しているのを感じた。夏休みにしか会わないし、特に気になる存在でもないのに。
連れて行かれた先は、プールだった。蔦が絡まったフェンスに囲まれ、人目につかない。プールに張られた水は、長年使われていないのか濁っていた。
「な、何よ?」
「……」
何も言わない瑞樹に、耐えきれなくなった沙理奈は言う。
「用がないなら帰るわよ」
バシャーン!!
その物凄い音に沙理奈は振り返る。すると、プールから水の龍が顔を出し、睨んでいた。
「……龍神の噂、知ってるよね?」
瑞樹が静かに尋ねる。沙理奈は物も言えずにただ、瑞樹を見つめていた。
「その時に死んだ生徒って、俺なんだ」
瑞樹の顔が一気に暗くなった。沙理奈は理解が出来ず、頭の中が真っ白になる。少しずつ透けていく瑞樹の身体にさえ、疑問を抱けずにいた。
「五十年前、俺はこの小学校の生徒だった。ある日、神社の祠を壊してしまってね。祀られていた龍神に殺されてしまったんだ。俺の魂は龍神に取り込まれたまま、苦しみ続けた。この苦しみから抜け出す方法はただ一つ。新たな依り代となる身体を見つけることだ。ただ、依り代は誰でも良いわけじゃない。俺の魂に適合する身体じゃないと。そしてやっと見つけた身体が沙理奈だったんだ」
ようやく頭が追いついた沙理奈が言葉を絞り出す。
「は? だって、瑞樹は幼い頃から一緒だったよね。この町に来たときは遊んでくれたじゃない」
「それは沙理奈に近づくためだよ。俺の依り代たるに相応しい身体になるまで待ってたんだ。そして新月の今日、俺のユメガカナウ……」
水の龍が沙理奈を襲う。恐怖に苛まれ、腰を抜かす。このままでは殺されると考えた沙理奈は、必死に身体を起こし、扉へ向けて走り出す。ガチャガチャとノブを回すが、扉は開かない。
「ムダダヨ。オレノヨリシロニナレ!」
水の龍が沙理奈を喰う瞬間、沙理奈は思い起こしていた。そういえば、瑞樹が他人と話しているところを見たことがない。それに、町人は瑞樹に気付いていなかった。私は最初から、瑞樹に目を付けられていたのか、と。
恐怖に歪む顔のまま、沙理奈は水の龍に喰われた。
*
夏休みも終わりに近づいた頃、沙理奈は祖父に「バイバイ」と別れの挨拶をする。勇造が「気を付けて帰るんだよ」と手を振る。
遠ざかるバスに向けて、閉校となった小学校のプールから不気味な声がする。
「ワタシノカラダヲカエシテ……」
《了》