黙して策を練るーー知将の夜
時刻は深夜2時をまわっていた。
東京の街は、喧騒を忘れたように静まり返っている。
関西ジャガーズの選手たちは、前夜の歓喜の余韻を残しつつ、思い思いの時間を過ごしていた。
だが、その片隅――ホテルの一室には、ただ一人、眠気と戦いながら映像に目を凝らす男の姿があった。
乃村 克也。
このチームを3年で変えた男は、勝利の興奮を一切顔に出すことなく、既に次なる戦いへと目を向けていた。
パソコンのモニターには、パ・リーグ王者・京阪ライダースの攻撃映像が再生されている。
「……これで101本塁打やと……」
冷めかけたコーヒーに口をつけ、胃の奥が軋むように痛むのを無理やり押し込める。
画面に映るのは、3番・トレント・ローズ。
パ・リーグ史上最多本塁打の記録を塗り替えた怪物打者。
快活な笑顔で打席に立つローズが、外角の直球を悠然と引きつけ、レフトスタンド中段へ放り込む。
「ヨッシャー!!」
インタビューで見せるおどけた明るさと、打席での冷酷な集中――
そのギャップが、観る者すべてに強烈な印象を植えつける。
だが、乃村の目は、ホームランの結果ではなく――そこに至る**一瞬の「ほころび」**を探していた。
巻き戻し。
再生。
再度巻き戻し。
再生――
「……足、やな」
再生速度を0.25倍に落とす。
ローズの軸足――左足の踵が、外寄りの変化球を追いかける際にわずかにブレた。
「……外スラ。高低に緩急つけて、最後に外へ逃がせば……」
また胃が軋む。もう4時間、座りっぱなしだ。
画面が切り替わり、今度は4番・仲村紀洋。
異様な風貌――金髪モヒカンに、90センチ近いバット。
圧倒的な威圧感のままに、フォークをバックスクリーンに放り込む姿が、何度も流れる。
「バット長い分、インコースは……ただ、差し込まれても飛ばしよる……」
乃村は唇を噛んだ。
「それでも……ローズと仲村、こいつらを抑えんことには、点は止まらん」
パ・リーグのどのチームも、この二人の攻略に失敗し、敗れ去った。
ローズと仲村、合わせて101本塁打――しばいたれ打線の核。
「でもな、俺らは違う。絶対、止める」
データシートには、ローズのスイング軌道とスプリット系球種の追従率、仲村のインサイド直球に対する被打率とスイングゾーンの可視化。
そこに手書きで赤いペンが何本も走っていた。
「……ローズには、スライダーとチェンジアップのコンビネーション。逆球だけは絶対にあかん。矢乃の配球が鍵や」
「仲村には、イン直球で詰まらせてから、外のフォークで空振り……いや、誘ってくるスライダーの方がいいかもしれん……」
胃痛がさらに痛んだ。
――それでも、ここで止まれない。
日本シリーズは、「夢」の終着点ではない。
そこに勝って初めて、このチームが『語り継がれる存在』になる。
「こんなもん、ただの“予習”や。こっから先が、本当の勝負やろ――」
画面を止め、立ち上がる。
汗で張り付いたシャツを一度脱ぎ、冷たい水で顔を洗う。
鏡の前の男の目は、充血していた。だが、迷いは微塵もなかった。
「勝つぞ……しばいたれ打線ごと、黙らせたるわ」
その声は、誰に聞かせるでもなく、部屋の静寂へと消えていった。




