9月 ― 一振りの未来 ―
試合前の空は、どこか秋の気配を感じさせる澄んだ青だった。
優勝はすでに武蔵タイタンズに決まっていたが、関西ジャガーズにはもう一つの“戦い”が残されていた。
3位・相模スターズとの直接対決。
この3連戦を2勝1敗以上で終えれば、Aクラス入りが決まる。
1勝1敗で迎えたシーズン最終戦。
舞台は、満員の甲子園だった。
エース・矢吹恵一が、気迫のこもったピッチングで5回を終えて、相手打線を無失点に抑えていた。
だが、6回表――。
打席には、スターズの4番ブルー・ローズ。
甘く入ったカットボールを振り抜いた打球は、バックスクリーン方向へ一直線に伸びていく。
……その瞬間、誰よりも速く反応していた男がいた。
センターを守る新城剛志。
冷静に一歩目を切ると、一直線に背走。
グラブを高く掲げてジャンプ。
白球は、見事に新城のミットに収まった。
相手ベンチがどよめき、甲子園が大きく揺れた。
「打球、フェンス超えてたやん……ヤバいな、あのジャンプ力」と、村瀬は小さく呟いた。
このファインプレーで流れが来るかと思われたが、スターズのリリーフ陣も粘り、互いのスコアボードには0が並び続けた。
両軍一歩も譲らない、静かながら熱を帯びた攻防。
そして――9回表。
打席に立つは、スターズの若き主砲・町田修一。
一昨年前、村瀬浩率いる上方第一高校と甲子園で激闘を繰り広げた、鹿児島産業高校の4番だ。
あの夏、何度も豪快なフルスイングを見せつけた男は、今や一軍の中心打者として立ちはだかる。
フルカウントからの7球目。
矢吹が投じた外角高めのストレート――
「カーン!」
そのスイングが、完璧に捉えた。
打球は一直線にレフトスタンドへと突き刺さる。
静寂と歓声が交錯する中、スコアボードに「0-1」が刻まれた。
甲子園全体に、一瞬、氷のような沈黙が広がる。
ジャガーズのベンチも、スタンドも、言葉を失った。
ここまで保たれていた均衡が、唐突に崩れ去った。
そして、9回裏。
3者凡退なら、その瞬間でシーズンが終わる。
Aクラスも、奇跡も、夢も、すべてが──ただの“もしも”に変わる。
1アウト、2アウト――。
敗色濃厚な空気の中、代打・輪田豊が打席に向かう。
外角の変化球を見送り、ストレートにファウルで粘る。
カウント2-2。
最後は外角低めのボール球を冷静に見切って、四球で出塁。
ベンチから、自然と拍手が湧いた。
そして、バッターボックスに向かうは――村瀬浩。
対するは、相模の守護神・笹木主浩。
最速155km/hのストレート、鋭く落ちるフォーク。
プロ野球現役最強のクローザーと称される男。
(去年の春……何もできなかった)
昨年のオープン戦。
初対戦で三球三振。
あのとき感じた圧倒的な“差”は、今でも脳裏に焼き付いている。
だが、今年の村瀬は違った。
輪田との競争、比呂澤との対話、檜山から学んだ打撃理論――。
このシーズン通して、あらゆる投手と対峙してきた。
(自分の野球をやるだけや)
初球、150km/hの真っ直ぐ。見た目以上に“伸びている”。空振り。
2球目、ボール。
3球目、スイングを止めてボール。
4球目、またストレート。これをファウルでカウント2-2。
5球目、鋭く落ちるフォーク。バットの先で何とか食らいついた。
――6球目。
決めにきたフォークボール。
(来るって、わかってた)
村瀬は体重を最後まで残し、振り抜いた。
乾いた音とともに、白球は高々と舞い上がる。
左翼手が背走する……が、その頭上を越えていく。
……スタンドイン。
一瞬、静寂。
そして――甲子園が爆発した。
村瀬はダイヤモンドを一周しながら、感情を抑えきれず、拳を握りしめていた。
サヨナラ2ラン。逆転勝利。3位浮上。
ベンチでは、富士川と小久保が跳ねるように喜び、比呂澤は目頭を押さえながら笑っていた。
輪田は、静かに拍手を送っていた。
そして、ホームベースを踏んだ瞬間、真っ先に駆け寄ってきたのは――新城剛志だった。
「浩っ!!ようやった!!!」
叫ぶように、その名を呼ぶ。抑えてきた熱が、堰を切ったようにあふれ出す。
感情が乗った手のひらが、村瀬の背中を強く叩く。
その瞬間、村瀬の胸にも火がついた。
(ここで終わりじゃない。来シーズンこそ……
ここからや。ここから、俺も――!)
村瀬浩、プロ2年目のシーズン。
数々の挫折と成長を経て掴んだ、一振りの輝き。
だが、それは同時に新たな戦いの幕開けでもあった。
来季こそは、日本一へ。
そして、自分自身を超えるために——。




