6月ー音のないアドバイスー
雨上がりの神宮球場、濡れた外野芝にナイターの光が反射していた。
1番・ライト、壷井智哉が打席に立つと、球場のざわめきがすっと遠のく。
振り子のようにゆっくりと揺れるステップ。
静かな始動から、力感のないスイングで右前へ、左前へと鋭い打球を運ぶ。
それを2番・セカンド、村瀬浩はネクストバッターズサークルで目を凝らし、見つめていた。
「すげぇ……。打ちに行ってる感じがしないのに……完璧に運んでる」
壷井は打率3割を超え、1番打者として不動の地位を築いていた。
社会人出身、プロ3年目。彼の放つ打球、立ち居振る舞い、野球への向き合い方には、ある種の「成熟」があった。
だが、打撃練習後に助言をもらおうと話しかけても、壷井の反応はいつもそっけなかった。
「いや、特にないよ。自分のタイミングで打ってるだけなんで」
それでも村瀬は諦めなかった。
映像を見返し、歩幅や間の取り方、バットの角度までノートに書き留めて、少しずつ自分のフォームに取り入れていった。
──そんなある日、遠征先の宿舎で偶然すれ違ったときだった。
「浩くん、トップ、ちょっと深いね。もっと前で打てば、ライナー増えるよ」
言い終えると、壷井はそのまま無言で部屋に戻った。
村瀬は思わず立ち止まり、そして小さく笑った。
───
それをきっかけに、壷井は多くを語らぬまま、時おりぽつりと助言をくれるようになった。
「引きつけすぎると、打球上がらないよ」
「逆風の日は、ヘッドちょっと返し気味に」
言葉は少ないが、ひとつひとつが的確だった。
村瀬のバッティングは次第に安定感を増し、打率は6月中旬には.310近くに到達。
送りバント、右打ち、足を使った仕掛け……。2番打者としての役割に明確な“芯”が生まれていった。
乃村監督も村瀬に信頼を寄せるようになり、打順は2番で固定。
1番・壷井、2番・村瀬の並びは、次第にジャガーズ打線の「形」として定着していく。
───
チームは昨年の最下位から脱却し、中位をうろつきながらも、上位陣に食らいつく日々が続いていた。
「浩。お前、“壷井の背中”ええ風に追いかけてるな」
とベンチの矢乃が笑いながら言ったとき、村瀬はふと振り返って壷井を見た。
「……そうですね。でも、早いこと並んで見せます。いや、超えるくらいにならんとあかんかな」
壷井は何も言わず、ただ軽く顎を引いて、ベンチの奥へ歩いていった。
沈黙の中で交わされた言葉が、2番打者・村瀬浩のバットを支えていた。
誰よりも近くで、誰よりも遠いその背中を追いながら。




