5月ー引き継ぐ覚悟ー
ゴールデンウィークの中日、観客席をざわつかせるプレーが起きた。
セカンド後方への飛球を追った輪田が、ジャンプした着地の瞬間にバランスを崩し、芝の上に倒れ込んだのだ。
痛めたのは左膝だった。
「……浩、行け!」
内野守備コーチの一声で、村瀬浩はすぐにベンチから飛び出した。
グラブをはめながら、深く息を吐く。交代の場面は突然だったが、準備はできていた。
昨年の終盤。輪田が負傷離脱した時、同じように巡ってきたチャンスで、村瀬は数試合スタメンに立った。
しかしそのときは、緊張と焦りから空回りし、守備のミスや打撃の凡退が続いた。
あれから半年。
今の自分は、もうあの頃とは違う。
二軍での再調整。酉谷との交流。
春季キャンプ、オープン戦、そして今シーズンの代打・代走での出番……すべてが、この瞬間のためだった。
───
「浩、ちゃんと呼吸できてたやん。ええ守備やった」
試合後、治療を受けた輪田が軽く笑いながら声をかけてきた。
応急処置では済まず、検査の結果、左膝の靭帯損傷で約3週間の離脱。輪田自身が、その事実を一番冷静に受け止めていた。
「また任すぞ、浩。前の時とはちゃうやろ?」
「はい。次はちゃんと、掴みます」
そう答えた村瀬の目に、迷いはなかった。
───
そこから村瀬の“第2の開幕”が始まった。
セカンドのレギュラーとして出場し、連戦の中でも安定したパフォーマンスを発揮。
打率は.290を超え、得点圏での粘りあるバッティングや、進塁打を意識した右打ちも随所で見せる。
守備でも、正捕手・矢乃のリードや、遊撃手・今丘との二遊間連携を繰り返し確認し、少しずつ精度を上げていった。
併殺のタイミング、カットプレーの入り方、足の運び……グラウンドに出ている時間のすべてが、経験として身になっていく。
「浩って、地味やけど、こういうとこちゃんとしてるから、乃村さんに好かれるんよな」
控え選手たちのそんな会話も、今の村瀬にとっては誇らしい言葉だった。
───
一方で、輪田も黙ってはいなかった。
リハビリ中の立場でありながら、試合中はベンチに立ち、声を出し、タイミングを見て村瀬に声をかける。
「今丘の送球、高くなる癖あるから、もうちょい後ろ構えとけ」
「次の打者、スライダー待ってる。少し左寄りに守っとけ」
「浩、ええプレーや。次も同じリズムや」
助言は的確で、そしてどこか兄のように温かい。
村瀬もその言葉を素直に受け入れた。
対等な“ポジション争い”をしていたはずの輪田が、いまはまるでコーチのように支えてくれる。その懐の深さが、村瀬にとっては何より心強かった。
「ありがとうございます、輪田さん。次は、抜かされへんように頑張ります」
「……ええやん。おもろなってきたやろ、野球」
───
5月、関西ジャガーズのセカンドを支えたのは、ひとりの若手と、ベンチのひとりの男だった。
技術と精神の両輪を揃え、村瀬浩は“乃村ID野球”を担う選手として着実にステップを登っていく。
その背中を見ていた輪田もまた、後に指導者の道へと進む覚悟を、少しずつ固め始めていた。




