4月ーシーズン開幕ー
開幕直前、ベンチに全員が集められた朝。
乃村監督が一人ずつ名前を読み上げ、スタメンを発表していく。
そして、開幕戦の二塁手で名前が呼ばれたのは――
「セカンド、輪田豊」
一瞬、息が止まるような感覚。
隣で座っていた輪田が静かに立ち上がる。
その背中を、村瀬浩は真っ直ぐに見つめていた。
悔しさは、確かにあった。打撃成績、走塁、ベンチでの振る舞い――誰よりも準備してきた自負はある。それでも選ばれなかった。それでも、敗れた。
輪田が一礼して席に戻ってきた。ふと目が合った瞬間、彼は笑って言った。
「……譲る気はないで、言うたやろ?」
それは牽制でも、自慢でもなかった。互いの努力を認め合った者同士にだけ許される、信頼の笑みだった。
村瀬も自然と口元が緩んだ。
「ええ、次は奪いにいきますよ」
この言葉に、悔しさではなく、どこか清々しさがあった。
シーズンが始まった。スタメンを逃した村瀬に与えられたのは、代打、代走という限られた出番。それでも彼は、一球一瞬にすべてをかけて戦った。
五回裏、三点ビハインドの場面。代走で出場した村瀬は、投手のモーションを見逃さず二盗に成功。次打者の内野ゴロの間に三塁へ進み、続くタイムリーでホームに生還。
打席に立てば、かつての自分よりも手応えがある。オープン戦から続けてきたスイング改良が結果となり、飛距離と打球角度が変わってきたのを、村瀬自身が一番感じていた。
「おい、村瀬の打球、伸びてきたな」
「フィジカルもだいぶ変わったぞ。腰の粘りが違う」
コーチ陣やチームメイトからそんな声が漏れ聞こえるたびに、彼は胸の奥で静かに拳を握っていた。今はまだ、“あと一歩”。だがその一歩を、必ず埋める。
ベンチで輪田と並んで座ると、時折、ポツリと会話が交わされた。
「最近、ボールの見極めうまなってへんか?」
「ありがとうございます。輪田さんの追い込みで打つスタイル、ちょっと真似してみたんです」
「……そっか。でも、あんまり真似しすぎたらアカンで?」
ふたりは互いの武器を理解し、互いの立場を認めながら、ライバルとして、仲間として、歩みを進めていた。
開幕から数カードを終えたある日、村瀬は試合後の静かな夜道を歩きながら思っていた。
「今年の開幕には、まだ足りてへんかったか。でも、ここで腐らなかった自分を……少しだけ、誇っていいかもしれへんな」
この一歩一歩が、確実に未来へとつながっている。
スタメン奪取の日は、まだ訪れていない。
だが、その日は確かに近づいている。




