レギュラーへの距離
秋季キャンプを終えたジャガーズ球団施設には、契約更改を迎える選手たちの足取りが次々と出入りしていた。
村瀬浩もその一人。プロ一年目、50打数13安打、打率.260、1本塁打。
数字だけ見れば控えめだが、東京ドームで放った“風を撃つ一打”は、確かにチーム内外に存在を知らしめた。
提示された年俸は、わずかな昇給だったが、「評価されている」手応えはあった。
「お前は打ってなんぼや。もっと貪欲になれ」
交渉の席で言われた一言が、胸に残っていた。
(もっと打てる。もっと、やれる)
ただ、それは自信ではなく――もっと高みに行きたいという、渇望だった。
その翌日。村瀬は、自らの足で球場の室内練習場へと向かった。
午後の薄暗い照明の下、ひとり黙々とティーを打つ男がいた。
新城剛志。
球団の顔であり、誰よりも“絵になる”男。
打球の角度、音、体重移動。すべてが異質で、無駄がない。
(この人と一緒に練習がしたい)
村瀬は一礼して、静かに声をかけた。
「来年の自主トレ……帯同させてください」
新城はティーを止め、軽く汗を拭った。
そして、何も言わずにしばらく村瀬を見つめた。
沈黙が落ちる。
圧ではない。ただ、嘘がつけない空気だった。
やがて、ぽつりと一言。
「……オレの練習、キツいぞ」
村瀬は迷わなかった。
「はい。それでもお願いします」
新城は、ふっと笑った。
「ま、浩やからな。しゃあないか」
そして、バットを立てかけながら言った。
「じゃあ、ハワイな。泳げるか?」
村瀬は、思わず笑って頷いた。
「浮くくらいは、できます」
「それなら上等や。海入って、腹減らして、打ちまくる。それがオレのやり方や」
軽口のようでいて、その奥に確かな信念があった。
新城は、人に努力を見せることを好まない。
誰にも見られない場所で、自分を削って積み上げてきた男だ。
だからこそ、“浩やから”という言葉の重みを、村瀬はしっかりと受け止めていた。
その夜、ノートを開いた。
《主力は、見せないところで主力になってる》
その言葉を、そっと余白に書き加える。
年が明けたら、海の向こうでまた一歩、強くなる。
それを信じて、ページを閉じた。




