今、ここで、振る
9月の終わり、甲子園の空に秋の風が吹く。
中部ハリケーンズとの初戦。
スタンドは首位独走の強者を迎えた熱気で包まれていた。
背番号「22」、村瀬浩はセカンドの守備位置につきながら、心を静めようとしていた。
グラブを叩き、息を整える。前夜からずっと頭から離れない名前がある。
──山元昌。
16年目のベテラン。中部ハリケーンズの屋台骨を支えるエースで、過去には沢村賞を受賞したピッチャー。未来では32年間50歳まで現役を続け「200勝投手」となる男だ。
(ほんま、すげえよな……)
彼の投球フォームは独特だ。ワインドアップからグラブを高く突き上げ、背をめいっぱい反らす。そこからスリークォーターで、刃のように切れるスクリューやカーブ、スライダーを投げ込んでくる。
第1打席。山元の初球、外角低めスクリュー。
バットは出たが、空を切る。
完全にタイミングをずらされていた。2球目、3球目も同様。読み切れず、バットにすらかすらない。
三球三振。
(ちくしょう……読んでても、打てねぇ)
ベンチに戻ると、輪田がポツリと呟く。
「打席、浅くなってるぞ。前に突っ込みすぎや」
その一言が、痛いほど刺さった。
次の打席も、結果は三振。カーブにタイミングを外され、最後は高めのストレートに空を切った。
結局、この日は4打数無安打、3三振。
試合も0対4で完封負け。球場を包む重苦しい空気の中、村瀬は誰とも目を合わせられなかった。
2戦目。再びスタメン。対戦相手は山元ではないものの、打席に立つたびに山元の影がちらつく。
タイミング、狙い球、すべてが噛み合わない。詰まって内野フライ、打ち損じのゴロ。
それでも、2戦目・3戦目とジャガーズはチームで粘りを見せて勝利した。だが、村瀬は3試合合計12打数1安打。
試合後のロッカールーム。ユニフォームを脱ぎながら、村瀬は一人、グラブを強く握った。
(このままじゃ、試されてるどころか、見限られる)
翌朝、移動バスの車内。
窓際に座る村瀬の隣に、新城が腰を下ろした。
「……考えすぎやな、お前」
村瀬が顔を上げると、新城は缶コーヒーを放って寄越した。
「自分のスイング、捨てとる。頭で勝ちすぎるやつの典型や。前までお前はもっと、振り抜いとったやろ」
「でも……失敗したら」
「ちゃうな。失敗を怖がって“振れへん”のが一番の失敗や。打てるかどうかやない。打つ“つもり”で立て。スイングだけは、絶対に諦めんな」
缶の温かさが、じんわりと手のひらに沁みた。
(……もう一度、振ろう)
気持ちのどこかにあった、“未来を知ってる自分”という慢心。それが、目の前の相手に向き合う姿勢を鈍らせていたのかもしれない。
自分にとっての「スイング」は、未来の知識でも、打撃理論でもない。ただ、全力でボールに喰らいつく姿勢。それだけだ。
その夜、ホテルの部屋で村瀬はノートを開いた。
未来の大投手たちのデータが並ぶページ。
その余白に、ただ一言だけ書き足した。
「今、ここで、振る」




