プロの扉の前で
──ドラフト会議から数週間後、関西ジャガーズの新入団選手説明会。
重厚な空気の中、緊張した面持ちの若者たちの前に立ったのは、あの乃村克也だった。
スーツ姿のまま、ゆっくりと前に出ると、彼は飾らず、しかし鋭い眼差しで一人ひとりを見回した。
「富士川、小久保、そして村瀬──
お前らには“1年目から一軍”なんて、ワシは期待しとらん。
けどな、1年目で“プロの身体”を作ってこい。土台がなけりゃ、何も積み上がらん」
沈黙が落ちる。だが、村瀬の胸の奥には、不思議と熱が灯った。
──期待されていない、ではなく、「信じて託されている」。
「焦らんでええ。ただ、誤魔化すなよ。自分の限界と、きっちり向き合え」
練習後、乃村は村瀬を個別に呼び止めた。
「お前の“目”はええ。野球が見えとる。
あとは身体や。準備を怠るな──1月からの合同自主トレ、全部見とるぞ」
その言葉を胸に、村瀬は年末までの約1ヶ月間、身体作りに打ち込んだ。
早朝、近所の坂道をダッシュし、夜は自宅で体幹トレーニング。
プロ仕様のウェイト機材こそないが、自分にできる“最大値”を積み上げていく。
地味で退屈な時間。しかし村瀬は知っていた。
──“あの一発”の裏にあった準備こそが、自分の最大の武器だと。
1月、関西ジャガーズの二軍施設──兵庫・鳴尾浜球場での新人合同自主トレ
冷たい潮風の吹く朝、村瀬は初めて“プロの練習”に足を踏み入れた。
走る。投げる。打つ。
一つひとつの動作が、高校時代のそれとは“重み”が違う。
「はい次、打球処理速く!」
「ストップウォッチ入ってるぞ、村瀬!」
先輩選手の指導が飛ぶ。
コーチは淡々と記録を取り、身体の反応スピードや出力を数値化していく。
──見ている。全員が、“数字”で見ている。
村瀬は気づく。
これまでの“気合”や“感覚”は、ここでは通用しない。
求められるのは、安定して繰り返せるスキルと、限界を押し上げる体力。
自分の現在地を、数字が容赦なく突きつけてくる。
バットの先に当たる。スイングが鈍る。守備でわずかに反応が遅れる──
「……これが、プロか」
帰りのバスで小声で漏らすと、隣に座っていた小久保が、ポツリと呟いた。
「俺も思った。
全員、当たり前のように"100%”でやってるよな。
高校の時の“気持ちのスイッチ”が、こっちじゃ“最低限”やわ」
富士川も前の席でうなずく。
「でも……ここを越えなきゃ、“一軍”には行けん」
三人は静かに頷き合う。
勝負の舞台はすでに始まっていた。




