未来を握る、小さなダンベル
一度目の人生と同じように、俺は中学受験を目指した。
目標は、「上方大学第一中学」。
関西で有名な進学校であり、併設の高校は後にスポーツ推薦で全国から有望選手を集め、甲子園に出場する強豪へと成長する。
一回目の人生でも俺はこの中学に進学し、野球部に入部していた。当時は高校からは坊主頭にするのが嫌で、他の部活に入っていたため、高校3年生時に甲子園へ出場した際も、応援席からアルプススタンド越しに見ていただけだ。
でも、今回は違う。
この人生では、中学でも高校でも野球部に入り、甲子園を本気で目指す。
――そのための第一歩が、この受験だ。
幸い、勉強はまったく苦ではなかった。
40代の記憶と知識をフル活用すれば、小学生向けの受験問題など、パズルみたいなものだった。
むしろ、「どうやってバレずに自然に点数を取るか」を考えるほうが難しかったくらいだ。
「ひろしくん、最近すごいね。テスト、いつも満点じゃない?」
担任の山崎先生が、笑顔でそう言ってくれた。
同級生たちの目も、少しずつ変わっていく。
「勉強もできて、野球もうまい」。そんな目で見られているのが、なんとなく分かった。
でも、それは“表の顔”だった。
裏では――俺は、静かに、でも確実に、“戦い”を始めていた。
まだ家庭用のトレーニング器具なんてほとんど知られていなかった時代。
父に頼み込んで、誕生日プレゼントにダンベルを手に入れた。
重さは軽いが、フォームを崩さず、筋肉の意識を高めるには十分だった。
風呂上がりには、牛乳にきなこや脱脂粉乳を混ぜて飲んだ。
プロテインなんて、まだ一部のアスリートしか知らなかった時代だ。
でも、タンパク質の重要性は俺が一番知っている。
「成長ホルモンの分泌を促すために睡眠をしっかりとる」「朝食では血糖値の急上昇を防ぐため、まずタンパク質から摂る」――
そんな知識を、誰にも悟られないように、日々の生活に溶け込ませていった。
学校では普通の小学生を装いながら、
帰宅後はこっそり体幹トレーニング、柔軟、下半身強化を続けた。
すべては、「未来のスター選手たち」と互角以上に戦うためだ。
――だが、不安がなかったわけじゃない。
「ほんまに……このやり方で通用するんか?」
思わず、独り言が漏れた。
未来の知識だけで、今の体を“化け物”に変えられるとは限らない。
俺が目指すのは、“松永世代”。
全国に逸材がひしめく、その中でも突出した才能を持つ、伝説の世代だ。
そいつらと、本当に肩を並べられるのか?
自分を信じきれない夜。
それでも、俺はバットを握った。
ただの素振りじゃない。フォームの軌道、下半身の粘り、体重移動、骨盤の角度――
意識すべきポイントは、40代で叩き込んできた。
回数ではない。
「質」と「感覚」だ。
そう、自分に言い聞かせながら、夜遅くまでスイングを続けた。
「ここで、引いたら……また、同じや」
口には出さずとも、心の奥で何度も繰り返した。
あの平凡で、悔しさも、熱さもなくなった40代の日々。
――二度と、あそこには戻りたくなかった。
そして、受験当日。
雪がちらつく寒い朝、俺は母と一緒に電車に乗った。
車内は静かで、試験会場に向かう子供たちの顔には緊張が浮かんでいた。
だが、俺の心は静かだった。
なにしろ、これは“二度目”の人生だ。
結果は――合格。
俺は、再び「上方大学第一中学」への切符を手に入れた。
けれど、これはゴールじゃない。
本当の戦いは、ここから始まる。