もう一度、ここから
月曜の朝。小学校へ向かう道は、まるで映画のセットのようだった。
ちょうど少子化と言う単語が生まれたばかりのころだが、誰一人実感を持っていない昭和の終わり。
令和とは違い大勢の子供達が、口々に元気な声で友達としゃべりながら歩いている。
(この当時、俺が通っていた小学校は1000人以上の生徒がおったけど、十数年後には生徒数の減少から近隣の小学校と合併して無くなったんやっけ……)
「おはよう、浩くん」
そんなことを考えて歩いていたところに、声をかけてきたのは、1回目の人生でも仲の良かった同級生――ナオキだった。
顔も声も、記憶と寸分違わない。40年も前の、あの頃のままだ。
「……おはよう!」
ぎこちない返事に、ナオキは首をかしげたが、気にも留めず歩き出した。
(ああ、やり直せるんや……ほんまに)
目の前の風景が、何よりの証明だった。
学校の教室も、当時のままだった。
黒板はまだチョーク式で、扇風機が天井からぶら下がっている。
担任の山崎先生は、短髪で快活な30代の男性。厳しいけれど、生徒想いの先生だった。
けれど、教室の窓から見えるグラウンドを見た瞬間、俺の胸はざわついた。
休み時間に、数人の男子が草野球をしている。
そのバットの振り方、構え方――どれも基本がなっていない。
けれど、当時の「普通」は、これだった。指導者もいなければ、情報もない。YouTubeもなければ、動画解析なんて言葉もなかった時代。
(ここから、俺が変えるんや)
胸の内で、強くそう決めた。
家に帰ると、さっそくトレーニングを始めた。
腕立て、スクワット、プランク。もちろん、フォームは現代で習得した理論通り。正しい体の使い方を身につけることを第一にした。
それを、毎日30分ずつ。誰にもバレないように、部屋でこっそりと。
それだけではない。
通学中はつま先歩きでふくらはぎを鍛え、風呂上がりにはストレッチを欠かさなかった。
風呂場の鏡に向かってスイングを繰り返し、イメージトレーニングも欠かさない。
ノートには、未来の記憶を元にした「打撃理論」と「筋力強化メニュー」をびっしりと書き込んだ。
ただ――問題はあった。
「ひろし、最近部屋にこもってばっかりやな」
母がふと、そう言った。
あまりにも生活が“変わりすぎている”ことは、周囲から見ても明らかだったのだろう。
(あかん……まだ早すぎる)
未来の知識は武器だが、それをいきなり周囲に見せれば「変な子」になるだけ。
俺はあくまで「小学生」である必要がある。焦らず、確実に。
まずは、中学受験だ。