座学
夜になると、座学として俺はアースやスゥエードから主にこの世界の地理や歴史について教わっていた。
俺の寝泊まり部屋になっている物置小屋に黒板が置かれている。
アースが、記憶喪失である俺を案じてそれをすることを提案してくれたのだ。
貰ったメモ帳に、教えて貰ったことを記していく。
まず大前提として――この世界には、八つの大陸が存在しているらしい。
天族が空を統べる《ヴェナヘル》。
エルフたちが深い森に暮らす《アルヘム》。
巨人族が厳しい山岳に根ざす《トゥーン》。
職人魂あふれるドワーフの地下都市。
闇の力を宿すダークエルフが棲む《スヴァルト》。
氷と霜に閉ざされた極寒の地。
燃えさかる火山に覆われた灼熱の大陸。
そして――死と砂に満ちた荒廃の国。
……八つって、思ってたよりずっと多いな。
俺はそれぞれに住んでいる種族についても初めて聴くので、それについても教えて貰い、逐一メモをする。
「ちなみに、それぞれの国には妾の兄弟や家族がいるのじゃ、今頃、あいつらはどうしてるのかのう……」
そういうヴァナは少し寂しそうな顔をしている。
女神にも兄弟とかいるものなんだな。
そういえば、この世界に来てから、ずっと心の片隅に引っかかっていた疑問があった。
そして、今ようやくそれを口にする。
「ねえ、あの……宙に浮かんでる青い星、あれって何なの?」
そう、空にぽっかり浮かぶあの星だ。地球にそっくりな、その不思議な天体がどうしても気になってい た。
「ああ、あれね。あの星は《アスガル》って呼ばれてるんだよ」
アースが、意気揚々とそれに対して答える。
「二百年前に突然、空に現れたらしくてね。私たちが住んでるこの《ミドガル》にも、あんまり詳しい 情報は伝わってないの。でも、アスガルには《アース族》って人たちが住んでるらしいよ」
「へぇ……アース族? アースの名前とそっくりだな」
俺がそう言うと、アースは一瞬、はにかんだように微笑んだ。
「……お父さんが、アスガルの出身だったらしいの。私は全然覚えてないけど、十年前にお母さんと一 緒にこっちに来たみたいで。だから、もしかしたらその影響でこの名前をつけたのかもね」
――なるほど、アスガルにちなんだ名前。彼女のルーツには、星を越えた物語があるらしい。
「一応、天族の国は、アスガルと貿易をしてるらしいんだって。そのおかげで、最近は 国力をぐんぐん伸ばしてるみたい。でも……私も詳しくは知らないの。ごめんね、大したこと教えられなくて」
「いや、気になっただけだから。話してくれてありがとな」
俺はそう返しながら、窓からのぞく遠い空に輝く星に再び目を向けた。
夜でも輝くその青と緑の星は、独特の美しさを放っている。
そのとき、隣で剣の手入れをしていたスゥエードが、ふと口を開く。
「ちなみにな、俺はガーフィールの奴以外で、アース族のやつと何人か会ったことがある」
彼女はちらりとこちらを見て、淡々と続けた。
「まあ、見た目も中身も普通のミドガル族と大して変わらんよ。ただひとつ違うのは、星を越えてこっ ちと貿易できるくらい、技術がとんでもなく発達してるってことさ」
――星を越えて、技術を携えた民。
アスガルとアース族。青く輝くその星には、俺の知らない未来が詰まっている気がした。
そういえば、スゥエードとスーさんは仲が良さそうだったな。
何というか、二人の間には旧知の仲という雰囲気が漂っていた。
「スーさんとはいつからお知り合いに?」
「……俺が行倒れて死にそうになってる時にさ、助けて貰ったんだ。私は彼を敵だと思って襲ったの さ。返り討ちにあったんだがな」
「えっ!」
それは率直な驚きだった。あの穏やかそうなスーさんがスゥエードを返り討ちにするなんて。
「なに、昔の話だよ。私がゴロツキだった時の話さ。気にしないでくれよ」
「スーさんってそんなに強いんですか?」
彼女は、それに対して少し考え込むそぶりを見せた。
「強いって言うか、色々手数が凄いのさ。何でも屋っていうかな、まるで、こちらの動きを先読みして いるかのように準備してやがる。まああれも一つの強さかもな」
なるほど。確かに、そう言った強さは戦場で重視されるものだった。
「お父さんは研究熱心で、凄い道具をたくさん持ってるからね。竜でも倒せるって昔言ってたよ」
そういうアースの目は尊敬の色でキラキラとしていた。
「まあガーフィールは怒らせない方が良いぜ。めちゃくちゃ怖いからな。今でもあいつに倒されてされ たことが思い出されるぜ。精神がめちゃくちゃになりそうだった」
……なるほど、俺も気を付けて凄そう。怒らせるようなことはしてないと思うけど。
「そういえば――アスガルについては、妾もよく知らんのう。あの星、いったい何なのじゃろう か……」
ヴァナがぼんやりと天井を見上げながら、そんなことを呟いた。
「へえ~弟子の精霊もしらないのか、精霊は長いこと生きているから知ってそうだったが」
ヴァナはむぅっと頬を膨らませるような仕草をして、ぷんとそっぽを向いた。
「いきなりあの星が現れたんじゃ! しかも二百年ほど前にな……。妾とて分からんものは分からん! あれは妙に静かで、気味が悪いんじゃ……」
「精霊から気味が悪いって言われるなんて、相当だな」
そうケラケラとスゥエードが笑う。
「それにしても、ヴァナって意外と他の人にも見えるんだな。もっと選ばれた人間しか見えないと思ってたよ」
そう口にすると、ヴァナは小さく咳払いをして、ふふんと誇らしげに胸を張った。
「妾は精霊じゃからな。魔力が一定以上ある者には、自然と姿が見えるようになっておるのじゃ。見えるかどうかは、その者の“資質”次第じゃな」
「へえ……」
ということは――
視線をアースとスゥエードに向ける。
彼女たちには、ヴァナの姿がはっきり見えている。
つまり、あの二人は……魔力が高く、資質があるってことか。
その視線に気づいたのか、スゥエードはどこか誇らしげに笑みを浮かべた。
「ふふん、こう見えてな、私は“精霊に好かれる女”として密かに有名なんだぜ」
どこか得意げに胸を張ると、ふと視線を外して、懐かしむように続けた。
「ヴァナみたいな精霊が、昔は私にも憑いてくれててな……でも、まあ色々あって、今はもういないけど」
その言葉の裏に滲む、淡い哀しみ。
明るく笑いながらも、どこか寂しげなその横顔に、胸が少しだけ締めつけられた。
「お前も、精霊にはちゃんと感謝して過ごすんだぞ。……大事にしてやれよ」
「そうじゃ、そうじゃ!」
ヴァナがぽんぽんと俺の頭の上を飛び跳ねながら、声を張る。
「……うん。ありがとう、ヴァナ」
俺はまっすぐにそう言った。
この世界に来られたこと。こうして、誰かと出会えたこと。
すべてに――感謝したいと思った。
「な、なんじゃ。そんな素直に言われると、妾も…照れるではないか……!」
ヴァナはぶんぶんと宙を飛び回りながら、耳まで赤くしていた。
その様子に、思わず笑ってしまう。
そして、ふと隣を見れば――
スゥエードが、どこか優しい目でこちらを見ていた。
この世界は、まだ知らないことだらけだ。
けれど、それがどこ楽しい、そんな気持ちを彼女たちと一緒にいると感じる。
これからも頑張ろう。
[恋愛戦闘力 2600]