スゥエードとの修行
気がつくと、俺は草の上に倒れていた。柔らかな草の感触と、どこか懐かしい匂いが鼻をくすぐる。
すぐ横には、アースが今にも泣き出しそうな顔でこちらを覗き込んでいた。
「……お、起きた……! よ、良かったぁ……! 死んじゃったのかと思ったよ~っ!」
そう言って、彼女は勢いよく俺に抱きついてきた。
その細い腕が、俺の体に縋るように絡みつく。
……誰かにこんなふうに抱きつかれるの、いつ以来だろうか。
少なくとも、戦場ではなかった優しさだ。
俺はそっと手を伸ばし、アースの頭を撫でてやる。
「……ありがとう、アース。俺は平気だ」
「おう、目ぇ覚ましたようだな」
聞き覚えのある声に、顔を上げる。
そこに立っていたのは、あの――俺にいきなり斬りかかってきた長身の女。
濡れ羽色の髪が風に揺れ、その眼差しには冷たさと熱が同居していた。
「っ、あんた……いきなり斬りかかったりして、何なんだよ。敵か?」
俺の言葉に、女は鼻で笑った。
「敵? さあな。ただの“試し”だ。……弟子にするなら、その程度は確かめておかないと、な?」
「弟子って何の話だよ! そもそもお前、一体何者なんだ!?」
思わず声を荒げる俺に、女は口元をゆるめた。
その目は冗談を言っているようで、本気の鋭さを孕んでいる。
「私か。そうだな、自己紹介がまだだったな」
女は腰に手を当て、堂々とした態度で言った。
「私はスゥエード。お宅のスーの“監視役”としてこの町に来た剣士さ。……ま、ついでに優秀そうな若 造がいたからスカウトってわけだ。よろしくな、私の弟子くん」
そう言って彼女は、まるで当然のことのように、手を差し出してきた。
「俺はディリーミッド。よろしく」
俺は彼女と握手する。
その掌は、戦いの中で鍛え上げられた者だけが持つ、荒々しさと熱を帯びていた。
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その後、俺たちは家へと戻る道を歩いていた。
道中、スゥエードの口からいろいろと説明を受けた。どうやら彼女は、スーさんの研究所に国から派遣された“監視役”の剣士らしい。
――監視役って何だよ。
まあ、それはひとまず置くとして、最大の疑問はやはり一つ。
「でさ、なんで俺にいきなり斬りかかってきたわけ?」
そう問うと、彼女はケラケラと笑いながら言った。
「ああ、あれか? 角の生えてるそこの嬢ちゃんは見かけてな、直ぐスーさんの家のところの子供だっ てわかったのさ。それで、お前らが子ども二人で、大金バンバン使ってたからさ。なんか怖くてな~、つい後をつけちまったのさ」
いや、それだけならまだ分かる。でも問題はそのあとだ。
「それで、俺がゴロツキ倒したら……?」
「うん、ワクワクしちゃってさ。お前、結構いい動きしてたし、手合わせしたくなったんだよね!」
……この人、怖い。
「で……なんで俺、生きてるんだ?」
俺がそう尋ねると、スゥエードは当然だと言わんばかりに肩をすくめた。
「そりゃあ私の剣も魔法剣だからさ。肉体じゃなくて精神にダメージを与えるタイプ。あんたの剣と同じだろ?」
「でも、俺特に変わってないよ?」
「そりゃあ私が手加減したからさ。してなかったら、あんた廃人さ」
そういう彼女の顔はあっけらかんとしているが怖い。
アースも、よほど彼女が怖いのか、俺の服の裾を小さな手でぎゅっと掴んでぴったりくっついてくる。無理もない。さっきまで剣を振り回してた相手だ。俺だって、正直距離を取りたい。
そんな空気を気にするでもなく、スゥエードは腕を組んでニヤリと笑った。
「何はともあれ、私は今日からお宅にお邪魔する。よろしく頼むよ……ところで、あんたは何でスーさんのところにいるんだい?」
「俺は記憶喪失になってさ。まあ、成り行きでここにいてる。行く場所もないしな」
俺がそう言うと、スゥエードはふむ、と小さく頷いた。
「ほう、それなら都合がいい。私の弟子になるのに丁度いいじゃないか」
……またそれか。
「いやいや、勝手に決められても……」
「それと、今後は目上の人間にはそれ相応の言葉を使え。分かったな、弟子?」
「いや、そう言われても、俺……礼儀とかよく分からないんだけど」
「なら、私が一から叩き込んでやる。剣も礼儀も全部だ」
彼女はそう言って、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
その笑顔が、なんというか、戦場で得物を見つけた猛獣に似ていた。
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スーさんの家に戻った俺は、夕食を済ませてから、物置部屋のベッドで横になっていた。
同じ部屋のもう一つのベッドでは、スゥエードがまるで子供のように無防備な寝息を立てている。
……本当に、色々あった一日だった。
スゥエードとスーさんが久しぶりの再会に笑い合っていたのを思い出す。どうやら旧知の間柄らしく、 まるで家族のように打ち解けていた。
スゥエードの悪行……俺たちを襲ったことはアースによってばらされたらしく、エイトがスゥエードをしかりつけていて愉快だった。
部屋の隅には、アースが今日町で買い込んだ“謎の品々”が丁寧に並べられている。
光る骨や羽根の標本、形のいびつな石……用途不明だが、彼女にとっては宝物らしい。
その光景を眺めながら、俺は小さくため息をついた。
「……本当に、いろいろあったな」
ぼそっと呟き、右腕に意識を集中させる。
ヴァナから授かった“力”が反応し、バンド状の装置がディスプレイを浮かび上がらせる。
そこには、はっきりと数字が表示されていた。
『恋愛戦闘力:1200』
……たった一日で、ここまで上がるものなのか。
とはいえ、実のところ――この“恋愛戦闘力”とやらが、具体的にどれくらい上がればどんな力が手に入るのか、そのあたりはまだよく分かっていない。
「うむ、良い調子じゃのう」
不意に、耳元で聞き慣れた声が響いた。
ヴァナだ。やっぱり勝手に出てくる。
「ちなみにじゃが、その力はな、おおよそ一万ごとに新しい能力が開花する感じじゃ。そして、親密度もポイントで分かるようになっておる。一人につき千ポイントで“友達”、一万で“親友”、“恋人”や“家族”といった存在になるのじゃ」
「……ってことは、今のアースとのポイントは?」
「ふむ、現在千ぴったり。どうやら、お主は無事に友達になれたようじゃの」
……それは、嬉しい。
本当に、素直にそう思った。
この力の正体も、まだまだ未知数だけど――
この調子でポイントを積み重ねていけば、きっと新たな力が手に入り、もっと誰かを守れるようになる。
そうだ、俺はもう戦うだけの“兵器”じゃない。
守るために、力を使いたい。
静かに目を閉じ、そう誓いながら、俺は深く呼吸をした。
今日の疲れとともに、ゆっくりと意識が眠りへと沈んでいった。
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翌日から本格的な武術の鍛錬が始まった。
基本的に朝から晩まで素振りや型、スゥエードとの打ち合いなどを行う。
俺が戦場で訓練されたような、体を鍛えるような鍛錬とは違い、楽しさはある。
山刀は戦場でも使うことはあったが、こういうった武術的な感じではなかったしな
隣には剣を必死に降っているアースがいる。
「弱い自分を克服したいんです!」
そう言って、彼女は自らスゥエードに弟子入りを志願した。
あのおとなしい少女が、自ら剣を手に取ったのだ。
俺も多少はやる気が出る。
「おい!集中力が落ちてるんじゃないか?軸がぶれてるぞ!魔力を腹に込めろ!」
そういってスゥエードは俺に喝を入れる。
魔力を腹に込めろって言ってもな。
どうもこの世界では、魔力を使うと肉体が強化されるらしい。
実際、スゥエードは森の木をただの木刀で切り伏せていた。
何度か見せて貰ったが、一体、どういう原理なのかがさっぱりは分からない。
「お前はせっかく魔法剣が使えるんだ。なら魔力のコントロールは出来ないといけない。……ちなみに 私の魔法剣は単純に人の魔力を切るだけのものだ。お前の剣は、結構面白い能力だな」
「そうなんですか」
師匠は俺の剣をさわり、なぞる。
「ああ、存在感がある。お前のその剣は素晴らしいものだ。だからこそ、もっとうまく使えるようにな らないといけない。選ばれたものは、その力を磨き上げなければな。きっとお前の精霊もそう思ってるぞ」
「そうじゃそうじゃ!もっとお主には強くなって貰わんとな!」
それに対して、ヴァナが突然現れて騒ぎ始める。
「そういえば、何であなたはここにいるんです?監視役じゃないの?」
俺は素直に彼女にそう質問した。
「監視役じゃないんですか?だ。口調には気を付けろ、あんたは私の弟子だ。……監視役といってもただ 報告するだけだからやることはないのさ。それで暇だからアンタラの面倒を見てるってわけよ」
そう、彼女は何かをごまかすように口笛を吹いた。
さてはサボっているんじゃないだろうか。
何はともあれ、俺はスゥエードに言われた通りの動きをする。
シグル流というらしいその剣技は、基本的にはカウンターで相手をしとめる剣技らしく、俺も実戦を意識してその動きをする。
俺も、それを意識しながら実戦さながらに構え、動きをひとつひとつなぞっていく。
極めれば、魔術や銃弾でも弾き返せるらしい。
「竜を殺すイメージでやるんだ、なんせ、シグル流の初代剣王はその剣技で悪竜を殺したんだからな」
そう言われるが、竜なんて見たこともないのでイメージできるわけがない。
「よいしょ! よいしょ! ねえ、どう? できてるっ?」
隣で頑張っているのはアース。汗をにじませながら、必死に棒を振り下ろしている。
「うん、まあ……悪くはないと思うよ」
言葉を濁しつつも返したのは、優しさというより苦笑いの一種だった。
正直、センスは――ない。
そのふにゃふにゃしたフォームが何よりの証拠だ。
まるで赤ちゃんが手を出すさまを思わせるそれは、とても面白い。
「それにしてもさ、弟子。記憶喪失って割には、ずいぶんキレのいい動きしてるよな?――本当は何か隠してるんじゃないのか?実は兵士だとか、後ろめたいこととかさ」
スゥエードのからかうような声に、俺は思わず肩をびくりと震わせた。
「い、いえっ、ナニモカクシテナイデス……」
舌がもつれたのが、自分でも分かる。まるで疑惑に自ら飛び込んでるような反応だった。
一応異世界から来たことは隠しておいた方が良い気がする。
そう思って、ごまかそうとしたが、これでは何か勘付かれてしまいそうだ。
「ふーん。まあ、いいけどな」
スゥエードは肩をすくめて、ため息混じりに続ける。
「私なんて、成り行きで国の役人やってるだけだし。弟子がスパイだろうがなんだろうが、正直どうでもいいのさ」
そう言って彼女は、ふっと笑いながら剣を手に取った。そして静かに、ひと振り――。
その動きは、風に乗って舞い落ちる木の葉のように、軽やかで、しなやかで、美しかった。
まるで剣が空気と一体になっているかのような、そんな幻想的な動き。
……俺も、いつかあんなふうになれるんだろうか。
目標が、そこにある気がした。
「お前は――何のために、強くなりたい?」
スゥエードの問いは、鋭くも静かだった。
彼女は剣を振りながら、まるで風の音に紛れるようにそれを俺に尋ねた。
俺は一瞬だけ目を閉じ、言葉を探す。
「……強くなって、大切な人を、そしてできるだけ多くの人を守れるようになりたいんです」
その答えに、彼女はふっと口元を緩めた。
いつもの勝気な笑みではなく、どこか穏やかで、少し誇らしげな表情だった。
「そうか。……なら、お前が私の弟子になったのも、無駄じゃなかったな」
そう呟いたあと、彼女の瞳が一瞬だけ鋭さを帯びる。
「だがな、覚えておけ。私に勝てるくらいでなけりゃ、この世界で“誰かを守る”なんて口にしちゃいけないぞ」
そう言いながら、彼女は木剣を一本、俺に投げてよこす。
受け止めた瞬間、腕にずしりと重みが伝わる。
「――さあ、打ち合いだ!」
言うが早いか、彼女は一気に踏み込んできた。
「えっ、ちょ、まだ心の準備が――!」
だがその言葉が終わる前に、木剣が鋭く空気を裂いた。
容赦なんて、最初からあるはずがない。
これがスゥエード流の“教え”なのだ。
俺は歯を食いしばりながら、一歩踏み込む。
「……望むところです!」
そして木剣がぶつかり合う、乾いた音が、青空の下に響き渡った――。