スゥエードとの出会い
しばらく町を歩き回った結果――
アースのポーチは、ぱんぱんに膨れ上がっていた。
布地が悲鳴をあげている気すらする。
夕暮れが町を染める頃、西日が斜めから差し込み、建物の影を長く伸ばしていた。
俺たちは町の外れ、丘へと続く道のそばで腰を下ろし、露店で買った串焼きを並んでかじっていた。
香ばしい匂いと、炭火の風味。たったそれだけで、幸せって感じられるものなんだな。
「それにしてもアース……今日はずいぶん色々買ったな。
そんなにたくさん、一体何に使うつもりなんだ?」
俺がそう尋ねると、アースはちょっと恥ずかしそうに笑いながらポーチを撫でた。
「えっとね、実験とかに使いたいの。
お父さんの書いた本とかを見ながら、試してみたいことがいろいろあって……」
「……大丈夫か? 危なくないのか? そういうの、一人でやるのって」
俺が少し眉をひそめると、彼女は自信ありげに胸を張った。
「今までも、自分でやってたから平気だよ。ちゃんと爆発しないようにするから」
……爆発する可能性あるのか。やっぱり危ないだろそれ。
「でもね、今日はいっぱい買えたから、新しいことがたくさん試せそう。
楽しみだなぁ……早く実験したいな!今日は本当にありがとう!」
そう言って微笑むアースの顔は、まるで太陽みたいにキラキラしていて――
俺はそれを横で見ながら、なんとも言えない気持ちになった。
ふと、遠くから足音が聞こえた。
乾いた靴音が石畳に響き、俺は反射的にそちらへと視線を向ける。
3人組の男たちが、にやにやといやらしい笑みを浮かべながら、こちらに向かって歩いてきていた。
服装も歩き方も、雰囲気も――いかにも“ゴロツキ”ってやつだ。
その姿を目にした瞬間、アースの顔から太陽のような笑顔がすっと消えた。
彼女の目が怯え、小さな肩がぴくりと震える。まるで子犬のように。
そして、俺の後ろへと隠れるように立った。
……守らなきゃな。
俺はゆっくりと腰に挿した剣へと意識を向けた。
ヴァナが授けてくれた“心を斬る剣”。見た目は普通の片手剣だが、ただの刃じゃないらしい。
普通の剣と違っても、今の相手には――十分すぎるだろう。
ゴロツキたちは、俺たちからおよそ五歩ほどの距離で立ち止まり、声をかけてきた。
「よぉ、お嬢ちゃん……あんた、スーさんとこの娘なんだってな? へぇ、こりゃ驚きだ、赤い髪に透明な角か。気持ちが悪いなあ」
先頭の男が舌なめずりしながら、アースを値踏みするように眺める。
「金払いがいいって評判だぜ? なぁ、ちょっと俺たちにも分けてくれよ」
「なーに、悪い話じゃねぇさ。おたくらのスーさん――あの星……アスガルの裏切り者らしいじゃねぇか? 噂もあんまりよろしくねえみたいだしよ」
「でもよ、俺らが“良い評判”流してやってもいいんだぜ? “スーさんの娘は慈悲深く、弱者やゴロツキに金を分け与える心優しき少女だった”――ってなぁ!」
3人が声を合わせて、下品な笑いをあげた。
――ああ、面倒な連中だ。せっかく楽しかったのに、俺に戦場を思い出させるな。
ふと視線を横にやると、そこにヴァナの姿があった。
相変わらず突然すぎる出現だが、今回は妙に神妙な顔つきをしている。
「よし、お主――あいつらを斬ってみせよ。それは“命令”じゃ」
静かな声。だが、その響きには確かな力があった。
命令、か。
なら――応えるまでだ。
一瞬で意識を切り替える。
俺の中で“スイッチ”が入ったその瞬間、感情も戸惑いも霧のように消えていく。
残るのはただひとつ――研ぎ澄まされた殺意。
まっすぐに、3人の男たちへと視線を向ける。
……効いたな。
男たちの身体がびくりと震え、顔から血の気が引いていく。
それでも引く様子はない――なら、行くしかない。
「――ッ!」
風を裂く音と共に、俺は地面を蹴って一気に間合いを詰める。
剣を抜く動作すら見せず、一人目の男の懐に入り込むと、剣を一閃――!
斬撃は確かに命中した。
だが肉体は傷つかない。
それでも、男の瞳から一瞬にして自信が消え失せ、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
「な、なに……っ!?」
他の二人が慌てて腰の剣に手をかけようとする――が、遅い。
二歩目、三歩目――滑るような動きで間合いを詰め、
二人目の胸元へ一太刀。三人目の肩口をなぞるようにもう一太刀。
斬る。だが、血は流れない。
なのに、彼らの表情からは戦意がごっそりと消え、まるで心を剥がされたように動けなくなる。
斬られた男たちを見ると――彼らは、ぽたぽたと血の代わりに大粒の涙を流していた。
「ご、ごめんなさい……っ! ごめんなさい、母ちゃん~~!!」
「うっ……神様ごめんなさい! もう盗みません~~!!」
「うぅ……なんで俺、こんなことしてたんだ……俺、ただ優しくされたいだけだったのに……!」
3人そろって、突然の大懺悔大会が始まった。
地面に膝をつき、泣きじゃくりながら、口々に自分の過去や罪を叫びはじめる。
彼らは一斉に懺悔しているようだ。訳が分からない。
そんな戸惑う俺に、ヴァナがうっとりとした顔で話しかけてきた。
「これが、“愛の剣ベイグ”の力じゃ。お主が斬った者は、自らの過ちを悔い改め、世界と他者への愛に 目覚めるのじゃ。す、素晴らしい……! これぞ愛の勝利じゃ……!」
そういう彼女も彼らの様子に感激したようで、涙を流し始める。
彼女はそういうが、俺はちょっと怖い。なにこれ。
愛の剣という響きは聞こえは良いけど、洗脳する力じゃないか。
俺は自分に与えられた力に驚愕しつつ、ふと背後を見た。
そこには――引いた顔をして、俺を見つめるアースがいた。
唇を噛み、手を小さく震わせながら、距離を取っている。
そりゃそうだ。さっきまで笑っていた相手が、突然剣を抜いて人を斬りまくったんだから。
「……あー……やっちまったな、俺」
初めての力、初めての実戦――そして、初めての引かれた視線。
俺はそっと剣を鞘に収め、アースの方へと静かに歩み寄るのだった。
「ご、ごめん……驚かせたよな」
恐るおそる声をかけると、アースは一瞬ぴくりと肩を揺らした。
まだ少し距離がある。やっぱり、あんな戦い方を見せたら無理もないか――と思ったその時。
「そ、その力……もしかして、その剣……」
声は震えていたが、何かに気づいたように目を見開いて、アースが一歩、こちらへ近づいた。
……やっぱり怖がらせてしまったかな、と思いながら、俺は少し言い訳じみた口調で口を開く。
「いや、この剣は――」
「その剣って……魔法剣!? すごいっ、初めて見た!」
……え?
「もしかして、ディリーさんって……魔法使いなの!? 魔導騎士とか、そういう系の……!?」
一気にまくし立ててくるアース。
その表情は、さっきまでの怯えが嘘のように、興奮で目を輝かせていた。
あっという間に、さっきまでの“恐怖”が“尊敬”にすり替わったらしい。
「すごい、すごいっ!精神に干渉する魔法なんて、初めて見たよ!」
アースは興奮を抑えきれない様子で、俺の剣とその周囲をきょろきょろと見回している。
「しかも……前から気になってんだけど、ディリーさんの隣にいるその少女って――もしかして精霊!? 人型精霊なんて、文献でしか見たことない!」
「なっ……!?」
その声に、思わず反応したのは――なんと、ヴァナだった。
彼女はアースの方を指さし、明らかに驚きの表情を浮かべている。
「おぬし……妾の姿が、見えておるのか……?」
いやいや、お前も驚くのかよ。
「ねえ、精霊さん! 私とお話しできるの? こんな綺麗な精霊、初めて見たよ!」
キラキラと目を輝かせるアースに、ヴァナはほんの一瞬きょとんとした後、ドヤ顔で胸を張った。
「ふふん、当然じゃ。妾は“ラウンズワンのヴァナ”! 愛の神にして精霊の頂点、気安く語るでないぞ!……いや、もっと褒めてよいぞ?」
ああ、完全に調子に乗ったな。
でも、アースは素直に感動してるし……まあ、いっか。
……何はともあれ、一件落着――というところか。
懺悔し続けるゴロツキたちと、興奮ぎみなアース、ドヤ顔のヴァナ。
あれだけの騒ぎの後とは思えないほど、場はどこか妙ににぎやかだった。
そんな時。
「――お前ら、襲われたって割に、ずいぶん楽しそうじゃないか」
ふいに背後から声が響いた。
その瞬間、全身に緊張が走る。
慌てて振り返ると、そこには――一人の女性が立っていた。
長身で引き締まった体躯。腰には見事な剣を下げており、鋭い視線がこちらを射抜くように向けられている。
その目つきはただの町人ではない。明らかに、戦いを知っている者のそれだった。
……それに、何より――
(気配が……まるで感じられなかった)
いつの間に背後に立たれていたのか、まったく気づけなかった。
戦場で何度も死線をくぐった俺にとって、それはひどく異様なことだった。
「……何者だ、あんた。ゴロツキどもの元締めか?」
自然と声に警戒が滲む。
だがその問いに、女はふっと片眉を上げ、鼻で笑った。
「あんなクズ共と一緒にするな。反吐が出る」
その声音は、明らかに苛立ちを含んでいた。
鋭い眼差しに、空気が一気に張り詰める。――あ、これ、地雷踏んだか?
すぐさま、隣にいたアースへ目を向ける。
「アース。この人は……危険だ。すぐに下がってくれ」
「……で、でも……」
「いいから。お願いだ」
俺は優しく、けれど強く言って、アースを後方へと促す。
彼女は不安げに俺を見つめながらも、そっと足を引いた。
ゆっくりと一歩を踏み出し、俺は長身の女性と向き合う形で立つ。
無意識に、アースの前へと身を置くように。
女の口元が、わずかにほころぶ。
「……いい心がけだな」
その声は、先ほどまでの苛立ちとは打って変わって静かで、どこか――楽しげですらあった。
「守る者のために、自分の身を張って敵の前に立つ。
ふむ……気に入った。――お前、私の弟子にならないか?」
「……は?」
あまりの唐突さに、思わず素っ頓狂な声が出た。
「……冗談か?まずは名乗れ。話はそれからだろ」
俺がそう返すと、女はニヤリと唇を吊り上げた。
「まあいい。名乗りは後だ――もし私に負けたら、弟子になれ。それでどうだ?」
そう言いながら、彼女は迷いなく腰の剣に手をかけ――
――次の瞬間。
視界が一閃した。
「――ッ!?」
気づいた時には、もう目の前にいた。
風を裂く音と共に振り下ろされる鋭い斬撃。
俺はとっさに半身をひねり、ギリギリで剣筋をかわす。
だが、体勢は崩れた。下手に立て直すより、流す。
そのまま地面を蹴り、跳ねるように後方へ飛ぶ。
……が、距離は取らせてもらえなかった。
彼女の動きはまるで水の流れのように滑らかで無駄がない。
一拍も置かず、今度は低く沈み込むように踏み込み、鋭く剣を突き出してきた。
(速い――!)
横に跳ねて、再びかわす。
踏み込まれるたび、反射で避けるだけで精一杯。
こちらから仕掛ける隙なんて、どこにも見当たらない。
ただ、ひたすらに“生き延びる”ように身を捌く。
気づけば、息は荒く、心臓は嫌な音を立てていた。
(……クソ。完全に、格が違う)
どうにか距離を取った俺は、深く息を吸って気持ちを落ち着ける。
心臓はまだ激しく打っていたが、頭は冷静だった。
「ほう、なかなかやるじゃないか。……で、お前は来ないのかい?」
女は余裕たっぷりに言いながら、剣を肩に乗せた。
挑発。だが、その奥にあるのは明らかな余裕――実力に裏打ちされた、確信だ。
(……いいだろう。なら、こっちから行く)
ただ斬りかかっても無駄だと、もう分かっている。
スピードも技量も向こうが上。なら、別の“手”を使うしかない。
俺は地を蹴り、一気に間合いを詰めた。
剣を大きく振りかぶり――
そして、それを手放す。
「……ッ!」
女の目がかすかに見開かれる。
俺の剣は一直線に彼女へと飛び――しかし、彼女は冷静だった。
その剣を軽くいなすように、己の刃で弾き返す。
――だが、それでいい。
わずかにできた、その“隙”。
俺の狙いは、まさにそこだった。
俺は素早く腰に手を伸ばす。
懐から取り出したのは――一丁の拳銃。
この異世界に来たとき、なぜか手にしていた最後の“現実の遺物”。
この瞬間のために残しておいた。
(逃がさない……!)
俺は迷わず引き金を絞った。
銃口が火を吹き、連続する発砲音が空気を裂く。
「――なっ!?」
さすがの彼女も、これには動揺を隠せなかった。
反応が一瞬、遅れた。
完全に読み切った――そう確信していた。
銃弾は一直線に、彼女の胸元を狙い撃つ軌道を描いていた。
(……これで、決まりだ!)
勝利の確信に心が躍る。その瞬間――
「……遅い」
耳元で、風のような声が囁いた。
――え?
次の瞬間、彼女の姿が、俺の視界からかき消えた。
「っ!?」
気づいた時には遅かった。
鋭く、重く、容赦のない拳が俺の顎を正確に捉える。
「――がっ!」
脳がグラつき、視界が跳ね、地面が迫る。
そのまま俺は、何もできずに地面へと叩きつけられた。
意識が薄れゆく中、ただひとつ分かったこと――
俺は、完膚なきまでに“負けた”ということだった。
[恋愛戦闘力 1200]