異世界
ふと気が付くと、目の前には純白のドレスを着た少女が、やはり真っ白な空間に立っていた。
その容姿はとても美しく、ただ俺は魂を奪われたかのように見惚れていた。
俺は今まで生きていて、大して女性と話したことはない。
部隊が村を「作戦」で襲うときも、「そういうこと」には参加していなかった。
興味が無かったからだ。
しかし、彼女の容姿は、そんな俺でも見惚れてしまうほどであった。
そんな彼女は鈴が転がるような美しい声で喋りだした。
「ふむ、ラウンズ・ワンとして選ばれたのは、こやつか。どれどれ……なかなか血生臭い坊主じゃのう……。こやつが妾の能力を使いこなせるのか、心配じゃが。……む、そろそろ時間か」
意識は明瞭になり、五感は蘇る。
目を開くと、目の前には木製の天井が広がっていた。
見慣れない、けれどどこか落ち着くその模様をぼんやりと眺めていたが、すぐに我に返る。
……ここはどこだ?
上体を起こそうとして、右腕に鋭い痛みが走った。
「っ……!」
思わず声を漏らしながら腕を見ると、そこには丁寧に巻かれた包帯。
血はすでに止まり、処置もされている。応急手当としては申し分ない。
「……助かった、のか?」
とりあえず、失血死は回避できたことに安堵する。
だが――俺は捕虜になったのか? それとも誰かが助けてくれた?
それを確かめるべく、辺りを見回す。
そこは、やや古びた木造の部屋だった。
物置小屋のようなその部屋には、本棚に本が敷き詰められ、なんだか分からない道具がそこら中に鎮座していた。
すぐ横の小さな机には、蝋燭立てがあり、そして蝋燭の炎が、ほのかにちらちらと揺れている。温かく、けれどどこか非日常を感じさせる明かり。
無造作に置かれたものの中に人の気配を感じる。そちらの方を見ると、膝を丸めて座る人物と目が合った。
そこにいたのは、青い瞳を持つ女性だった。
燃えるような赤い髪に、透き通るようなサファイアの瞳。
そして額には、白く輝く……まるで角のような飾りが生えている。いや、あれは本物なのか?
「――あっ、目を覚ましたのね! よかった……」
ぱあっと表情を綻ばせながら、彼女は俺に駆け寄ってきた。
「え、えっと……」
状況もわからず、異様なまでに幻想的なその姿に、思わず声が裏返る。
「ドクターが、あなたにお礼を言いたいらしいの。今、呼んでくるわね」
そう言って、彼女は軽やかに椅子を離れ、部屋の奥へと姿を消した。
ぽかんとしたまま取り残された俺は、何もできず、ただ茫然とその背中を見送るしかなかった。
……な、何なんだここは。本格的に訳がわからん。
ほどなくして、彼女は一人の人物を連れて戻ってきた。
黒髪に仮面――全身から只者ではない気配を纏った男……たぶん、男。
その仮面には、目がチカチカするような複雑な紋様が彫り込まれていた。
見つめていると、吸い込まれてしまいそうな、不思議な感覚に襲われる。
「そんなに見つめられると照れますね」
それは拍子抜けするような不思議なしわがれた声だった。
「怪我の方はどうですか。私は最近人を治す医療はしていないので、心配なのですが……」
そう俺をのぞき込むように彼は近づいてきた。
「ええ、まあ……なんとか」
右腕はまだ少し痛むが、動かせる。生きてるだけで十分だ。
「そうか。それは良かった。まずは――命を救ってくれて、本当にありがとう」
男は深々と頭を下げた。仮面の下の表情は見えないが、その仕草には明確な誠意があった。
「え……命を?」
俺は思わず聞き返す。助けた? 俺が? 誰を?
「……もしかして、覚えていないのですか?」
「ごめんなさい。正直なところ、何のことを言われているのか……」
仮面の男は一瞬だけ沈黙し、それから静かに言葉を続けた。
「おそらく、頭を強く打ったのでしょう。私が駆け付けた時には倒れてましたから。記憶が一部、抜け落ちているのかもしれません」
「記憶喪失……」
事実、苔の上で目を覚ましたときの前後が曖昧だ。思い出そうとしても、頭がぼんやりするばかりだった。
「あなたは、私が森で獣に襲われていた時、駆けつけて助けてくれたのです。まあ私なら対応できましたがね」
「……俺が、そんなことを」
自分が誰かを助けるなんて想像もつかない。だが、男の声には嘘が感じられなかった。
「ごめんなさい、本当に何も……覚えてなくて。
ところで……ここって、どこ?」
俺はようやく、それだけを問いかけることができた。
今さらながら、自分がどんな場所にいるのか分かっていないのだ。
それが分からなければ安心できない。
「……なるほど。そこまで記憶が抜け落ちているのですね」
仮面の男が、少し声を落として言った。
「ここは、ミドガーの“ブロン王国”にある“トリメル”という町にある私、ガーフィル・スーの研究所です。……まあ、聞き覚えはないでしょうけど」
「ごめんなさい、何もわからなくて」
聞いたことないような場所だった。
ここは、少なくとも俺が戦っていた国ではないようだ。それに異質な姿のこの人たち、俺が意識を失う前に起きたあの光。
俺の身にはいったい何が起きたのだろうか。
全て俺が火薬を吸い過ぎて頭がおかしくなったとか、失血死しそうになって見ている夢の可能性もあるだろう。
だが、いやに現実感のあるこの場所は、そう言ったトリップのそれとは思えない。
「……少し外を見てきても良い?」
落ち着かない胸の内を整えるには、それしか思いつかなかった。
とりあえず、深呼吸だ。戦場にいた頃、何度もそうやって平静を保ってきた。
「ええ、良いですよ。立てますか?」
「多分大丈夫」
そうして、両足を床に付けて立ち上がる。脚は完全に治ったようで、痛みもない。
俺は窓にかかっているカーテンをそっと開け、外の世界を眺めた。
まぶしい光が目に刺さり、青々とした空が視界に広がる。
そして、その下にはまるで教科書で見たヨーロッパのような、美しく整った街並みが広がっていた。
石造りの建物、レンガの道、静かに煙を上げる煙突――どれもが俺の知る“戦場の村”とは異なる景色だった。
そして何より目を引いたのが、青い空に浮かぶ青と緑の星だった。
それは昼間に浮かぶ白い月などではなく、教科書で見た地球のようだ。
やはりここは俺の知らない国……いや世界なのかもしれない。
元々俺が暮らしていた村の伝承にも、そういった世界が存在することが知られていた。
確かその世界には……
「もしかして、この世界に魔法って存在しますか?」
「……ええ、存在しますよ。当たり前のことです」
そうここは、異世界だということだ。俺の住んでいた場所とは違う。
街並みを見るに、恐らく平和な世界だ。そこらからあのきつい匂いが満ちて、煙が絶えないあの森とは違う。あの淡々と機械となって人を殺す戦場とは違う。
そのことに、胸がときめく。もしかして、俺も人として真っ当に生きられるのかもしれない。
いや、生きれないだろう。俺は、人を殺せるマシーンだと上官や仲間から評価されていた。
窓から差し込む優しい風が俺の頬をなでる。
そうだ、俺を庇って死んだ仲間はきっと俺のことを友だと思っていたのだろう。
部隊員からも気味悪く思われ、爪弾きにされた俺は彼と一緒に行動することが多く、人のふりをしようとよく彼の模倣をした。
だから、彼は俺を友達だと思ってくれたのかもしれない。
そして俺の無表情を見て傷ついて死んでいったのだろう。
今思い返すとそう思える。あの顔は、きっとそんな俺なんかを庇ってしまった悲しみなのだ。
彼はとても善人だと皮肉のように言われていた。部隊が「作戦」として敵部族の村を襲うようなことがあっても、それを嫌そうな顔を実行していた。
そして、敵をいたぶるといったことや、レイプといったことはせず、淡々と殺していた。
他の奴らが、敵部族を悪魔だとか、大して容姿も変わらないのに醜いカエルだとか言っている中で、彼だけはそんなことを一言も行っていなかった。
むしろ、「作戦」後、十字架でひっそりと祈っていたくらいだ。
死んでしまった彼の方が俺より生き残るべきだった。
俺のような真っ当じゃない人間は本来戦場で死ぬべきだ。
けれど――もし、この世界で。
もし、友を得て、家族のような存在と巡り会えるのなら。
今度こそ、守ろう。
今度は、俺が庇って死ぬ番だ。
いや、大事な人じゃなくても、誰かの命の盾になれるなら――俺は、そうなりたい。
……そう、俺は空を見つめて決意した。
[恋愛戦闘力 0]