砕け散った恋心。二度と元に戻る事はないのよ。
ウリーディアは幸せの絶頂だった。
とても、美しい、ハルディオス・ペルデ公爵令息。
彼に見初められて、一年の婚約期間を経て、今日、沢山の招待客達に祝福されて結婚式を教会で挙げた。
ハルディオスは20歳。名門ペルデ公爵家の一人息子である。
金髪碧眼の彼はとても優秀で、大勢の令嬢達にモテる男だった。
それに比べてウリーディア・アトス伯爵令嬢16歳。
茶の髪の冴えない容姿のウリーディア。そんなウリーディアが夜会で、ハルディオスに見初められた。
「ウリーディア・アトス伯爵令嬢。私はハルディオス。ペルデ公爵家の息子です。ダンスを一曲如何ですか?」
長い金の髪を背で束ねて、手を差し出して来るハルディオスはとても美しくて。
ウリーディアは何故、自分のような地味な令嬢がハルディオスにダンスを申し込まれたのか?何故、自分の名前を知っていたのか?驚いた。
ハルディオスは踊り慣れているのか、ダンスが上手で。ダンスが下手なウリーディアを上手くリードしてくれて。
視線を合わせれば、にこやかに微笑むハルディオス。
そんなハルディオスにウリーディアは恋に落ちた。
夜会の後に、綺麗な赤の薔薇の花束と、オシャレなカードが王都にあるアトス伯爵家に届けられて。
ウリーディアは胸がドキドキした。父と母にも問い詰められたら、
「ダンスを一曲踊っただけです」
慌てて、そう言ったけれども、また会えませんか?とカードに書かれていたのはとても嬉しくて嬉しくて。
何度かハルディオスと会って行くうちに、ハルディオスに対する恋心が強くなっていくのをウリーディアは感じていた。
そして、ハルディオスが婚約を申し込んでくれた時には、凄く凄く幸せで。
アトス伯爵家はペルデ公爵家の派閥である。
しかし、他にも同じ派閥の令嬢はいる。なのに、何故、自分が選ばれたのか?
婚約が成立した後も、ウリーディアを優先し、ハルディオスはとても優しかった。
「君と婚約出来て私は幸せだ」
そう、何度もウリーディアに囁いて、ドレスや綺麗な花束、アクセサリー等、色々とプレゼントしてくれたのだ。
「わたくしの為にこのような素敵な物をプレゼントして下さって、とても嬉しいですわ」
赤くなりながら、そう礼を言うウリーディア。
幸せだった。本当に幸せだったのだ。
それなのに……
嫁いでペルデ公爵家にいざ、住むとなったらとんでもないことが解った。
「私、レリアと申しますっ。ハルディオス様の愛人ですわ」
ハルディオスには10歳年上の愛人がいた。
胸が大きく色気満載な愛人、レリア。
ペルデ公爵は平然と、
「この女と別れろ言ったんだが、まぁ貴族は愛人の一人や二人持つものだ。問題はないだろう?」
公爵夫人も、
「目を瞑って頂戴。貴方のような、なんの取り柄もない娘を、嫁に貰ってあげたのだから」
ハルディオスは手の平を返したように、横柄な態度で、ウリーディアに、
「今更、離縁なんて言い出さないだろう?ウリーディア。お前には金をかけたんだ。冴えないが、おとなしそうな女だから妻に貰ってやった。それなりの生活は保障してやるが、私が愛しているのはレリアだ。レリアを尊重してほしい」
「嬉しいですわぁ。ハルディオス様」
ウリーディアは傷ついた。
まさか、愛人がいるとは思わなかったのだ。
今更、実家に戻れない。
皆に祝福されて教会で結婚式を挙げた。それが、すぐに離婚だなんて。
醜聞である。
ハルディオスは白い結婚を持ち出した訳ではなかった。
「せっかく私の妻になったんだ。跡継ぎは儲けないとな。愛しているのはレリアだが、レリアは市井の女。レリアの子を跡継ぎにする訳にはいかない」
そう言って、ウリーディアとの初夜を決行した。
メイド達に磨かれて、寝室へ連れて行かれて、泣きながらウリーディアはハルディオスとの初夜を耐えた。
何も知らなかったら、天にも昇る心地だっただろう。
ハルディオスの事が本当に好きだった。恋していたのだから。
だが、ハルディオスの本性を知ってしまった。
恋心は公爵家に来た途端に砕け散ってしまった。
わたくしは、ただただ、ハルディオス様と幸せになりたかった。わたくしを選んでくれたのがとても嬉しかった。ハルディオス様の事がとても好きだった。なのに酷い……酷いわ。
子作りの為にウリーディアと褥は共にするが、ハルディオスは愛人の部屋に入りびたりで。
公爵夫妻もその事に注意をするわけでもなく。
ウリーディアは寂しかった。
公爵夫人は、家の仕事を教えながら、
「早く跡継ぎを作って頂戴。貴方は辛いだろうけれども、貴方のような平凡な娘を我が公爵家は貰ってやったのです。ですから、せめて、ちゃんとした跡継ぎを作って貰わないと困るわ」
事ある毎に冷たく当たられた。
ウリーディアは、泣き暮らしていたが、ふと、とある日、開き直った。
食事に困らないだけ幸せ。だって、食事を抜かれるわけでもないし、メイド達はちゃんと面倒をみてくれる。ある程度、お金を下さって買い物だって文句を言われないわ。
ウリーディアは実家での生活を思い出した。
別に食事を抜かれていた訳でもなく、伯爵令嬢らしく使用人はちゃんと尊重してくれたし、
令嬢らしい金銭に困らない生活をしていた。だが……
自分には姉がいる。
それはもう美しい姉で、両親は姉ばかり期待して可愛がって、自分なんてどうでもいい扱いだった。
あまり期待されていなかったと言っていい。
勉強だって、凄く出来るわけではなく、容姿も平凡な自分。
そんな自分がこのペルデ公爵家のハルディオスに見初められて、婚約が決まった時、両親は初めて褒めてくれたのだ。
よくやったと……
姉クラリスは悔しそうに、こちらを睨みつけていた。
どっちにしろ、姉は婿を取ってアトス伯爵家を継がねばならない。
ハルディオスは凄く美しく、公爵令息でいずれは名門ペルデ公爵になるハルディオス。高位貴族で美しい男性が好きな姉としては、悔しかったのだろう。
婚約期間中も、事ある毎に姉から嫌味を言われ続けて、
「お前のような平凡な女が、公爵家に行っても上手くいくはずないわ」
確かに自分は平凡だけれども、それでも、ハルディオスが見初めてくれたのだ。
愛してくれているのだ。
そう信じていた。
だから、結婚するまで姉の嫌味にも耐えていたのに。
結婚してもハルディオスは愛人レリアの部屋へ入りびたり。
でも、考え方を変えて、ウリーディアは開き直る事にした。
公爵夫人とまずは仲良くなる事にした。
冷たく嫌味を言う公爵夫人。夫であるペルデ公爵も別宅に愛人がいる。公爵夫人も、貴族たるもの愛人の一人や二人と、諦めているようで。
そして、ウリーディアが平凡な娘と当たり散らすのは、実家の姉とは変わらないけれども。
ウリーディアは公爵夫人に色々と教えを乞うことにした。
「お義母様。このハンカチの刺繍、見事ですね。お義母様がお作りに?」
額に入れて、3つの見事な薔薇の刺繍のハンカチが飾ってある。
居間の壁に。
公爵夫人は微笑んで、
「そうよ。わたくしが刺繍をしたの。これはわたくしの唯一の趣味よ」
「お義母様。わたくしも刺繍をしたいです。前に作ったことがあるのですが、あまり上手に出来なくて。教えて下さいませんか?」
「まぁ刺繍をしたいだなんて。教えてあげるわ」
公爵夫人に刺繍を教わる事にした。
あまり手先が器用でないウリーディアだったが、一生懸命、薔薇の刺繍を教わる。
「形を作るのが難しいですね」
「そうなのよ。ここはこうして、縫うといいわ」
刺繍を教わりながら、公爵夫人は若い頃の話をしてくれた。
「若い頃の夫はそれはもうわたくしに夢中で。わたくしは王宮の華と呼ばれていて、王妃様とどちらが、美しいか争った事もあるのよ」
「そうなんですか?それは素晴らしいです」
「王太子殿下、いえ、今の国王陛下ね。国王陛下は本当はわたくしと結婚したかったみたいだけれども。わたくしの従兄だから血が近いと……ああ、フェデル様。わたくしもフェデル様と結婚したかった。フェデル様はエリシア、ああ、王妃様の事よ。結婚後、エリシア一筋で羨ましいわ。わたくしの夫は本当に別宅の愛人に夢中で。息子も夫に似て、愛人をここへ連れてくる始末。貴族夫人たるもの愛人の一人や二人、許すのがこの王国の貴族の風潮だから」
ウリーディアは公爵夫人に、
「わたくしはとても悲しく思っております。ハルディオス様はわたくしと子作り以外は、愛人の方と一緒にいるのですから。わたくしは平凡な見た目に、秀でたところがない女です。それでも、わたくしは悲しくて悲しくて」
「ああ、貴方、辛く当たってごめんなさい。貴方も辛いわね」
公爵夫人はウリーディアの肩に手を添えて、慰めてくれた。
ウリーディアは、それから公爵夫人に気に入られるように努力を重ねた。
悪い人ではないのだ。
公爵夫人はウリーディアを可愛がってくれるようになって、貴族の夫人達が集まる茶会に連れて行ってくれるようになった。
そこには王妃エリシアも来る茶会である。
そこで、ウリーディアの事を公爵夫人は紹介してくれた。
「ハルディオスの嫁のウリーディアですわ」
「まぁ、貴方が。素敵な方ね」
地味でぱっとしない容姿の自分を王妃エリシアは褒めてくれた。
エリシア王妃は、ウリーディアに、
「ああ、でも、貴方にはその空色のドレスより、緑のドレスの方が似合うわ。わたくしが今度、ドレスをプレゼントして差し上げます。そうね。お化粧も。もう少し、派手にしてもよいと思うわ」
エリシア王妃はそう言ってくれて、ウリーディアはありがたく思い、
「有難うございます。王妃様。王妃様は本当にお美しくて、うらやましいですわ」
エリシア王妃は微笑んで、
「女性はお化粧一つで美しくなるの。わたくしはそれはもう、盛っているのよ」
この出会いをきっかけに、エリシア王妃からも可愛がられるようになったウリーディア。
貴族夫人の集まりでとある日、
「本当に夫に愛人だなんて、わたくしをどう思っているのかしら」
「そうそう、うちの夫も愛人が。許せないですわよね」
貴族の夫人達が愚痴を言い出した。
本当にこの王国の貴族の男性達は愛人を持つのが当たり前だと言っていてどうしようもなくて。
エリシア王妃が一言。
「国王陛下はわたくし一筋だというのに。他国では愛人を持つのは、妻を大事にしない駄目な夫だという国もあるのですわ」
ペルデ公爵夫人が立ち上がり、
「我が国も変えるべきですわ。諦めておりましたけれども、イライラして」
他の夫人達も立ち上がり、
「運動を起こしましょうっ。愛人反対運動を」
ウリーディアは嬉しく思った。
現在も愛人レリアは大きい顔をして、屋敷に居て、廊下で会っても挨拶もせず、使用人にも威張り散らしている。
ハルディオスはレリアに贅沢をさせていて。
恋心は砕け散ったけれども、見る度にイラつくのは、どうしようもなくて。
他の貴族夫人達も同様のようで、心強かった。
屋敷に戻り、皆で夕食を摂る為に集まった場で、ペルデ公爵とハルディオスに向かって、公爵夫人は、
「わたくしはもう、我慢出来ません。他の貴族夫人の方々も怒り狂っておりますわ。愛人なんて認めません。わたくしたち妻を馬鹿にしているの?貴方っ。わたくし達、妻は怒り狂っているのよ。ウリーディア。貴方もハルディオスに言いなさい」
ウリーディアはハルディオスに、
「わたくしは貴方なんて愛してもおりませんし、諦めておりますわ。でも、愛人が大きな顔をしてこの公爵家の財産を使う事は、妻として許せません。わたくしはこの家に嫁いできたのです。追い出しなさい」
ペルデ公爵もハルディオスも怒り狂って、
「愛人を持つのは、貴族としての、男としての勲章だ」
「私が愛しているのはレリアだけだ。そのレリアを追い出すとはっ」
公爵夫人はフンと横を向いて、
「貴方がそのようなお考えならば、口を利きません」
ウリーディアも、
「元々、貴方とは会話はなかったのですから、変わりませんわね。ハルディオス様」
ペルデ公爵は夫人の態度に困ったように、
「解った。仕方ない。お前に口を利いて貰えないと私は困る。愛人とは手を切ろう。ハルディオス。お前もあの女を追い出せ。他の貴族の夫人どもも、同じような態度で夫に迫っているだろう。もし、愛人をこのまま囲っていたら、他の夫人達の悪口の標的になるぞ」
ハルディオスは悔しそうな顔をしていた。
エリシア王妃や貴族夫人達が社交界で働きかけた事により、
愛人を持つ夫は屑中の屑。
そのような風潮が広がり、愛人を持つ貴族がいなくなった。
いたとしても、ひっそりと妻に内緒で囲うようになった。
愛人レリアは身一つで追い出された。
「何で私が出て行かなければならないのっーーー」
口汚く門の前で喚き散らしていたレリア。
騎士団に通報して、レリアは連れていかれた。
牢へ入れられるのだろう。
後に、レリアは釈放されるも、再び公爵家の前に現れたので、今度は強制的に娼館へ身を売り払われた。しばらくそこで稼いでいたらしいが、どこぞの男に身受けされたようで、その後どうなったか定かでない。
ウリーディアはレリアがいなくなって、気が楽になった。
かといって、ハルディオスとの仲がよくなったわけではなく、会話は一切ない。
だが、公爵夫人と仲良く、刺繍をして楽しく毎日過ごしていた。
そして、使用人達にも、気を遣い、仲良くするようにしていたお陰で、メイド長とは色々と話をする程、仲良くなって。
メイド長は、ウリーディアの実家での苦労話を聞くたびに、涙して、
「若奥様も苦労なさっていたのですね。ああ、私の娘の話を聞いて下さいませんか」
そして、ハルディオスとの、定期的な子作りで、ハルディオスとの子を妊娠した。
公爵夫妻に報告したら、その場にいた口を利かなかったハルディオスが、
「私の子が出来たんだな。よくやった」
抱き締めて褒めてくれた。
でも、ちっとも嬉しくなかった。夜の定期的な子作りは辛かったから、解放されたのは嬉しいけれども。
そして、月満ちて跡継ぎを産んだ時には、屋敷中の皆が大喜びし、ハルディオスも息子が可愛くてたまらないらしく。
「よく、産んでくれた。我が公爵家の未来の跡取りだ。ああ、小さくてなんて可愛いっ。お前は本当によくやってくれる。屋敷の仕事も、社交も。色々と。それに比べてレリアは贅沢をするばかりで役に立たない女だった。なんで私はあんな女が好きだったのか。やり直さないか?これからはお前を大事にする。だから、ウリーディア」
可愛い息子を抱きあやしながら、にこやかにウリーディアは答えた。
「わたくしには、お義母様も使用人の人達も、皆さんよくして下さるから、今さら、貴方と仲良くする必要はありませんわ。今まで通りで、十分ですわ。二人目が欲しいというのなら、この家に嫁いできたのですもの。仕方ないのでお相手致します。それでよろしいですわね?」
さんざん、愛人と過ごしてきて、必要な時だけしか関わらなかったハルディオス。
普段も会話はないが、夫婦揃って行かなければならない夜会も、ろくに会話もなく、口を開けば、
「お前のような地味な女との夜会なんて、体面がなければ連れていかないところだ」
と、嫌味ばかり言われてきたのだ。
子が産まれたから、やり直そう?別に今まで通りでよいのではないか?
わたくしの恋心はこの家に嫁いできた時に砕け散ったのよ。
二度と、ハルディオスに心を開く事もない。だが離縁することは考えられなかった。
自分はこの家に嫁いできた嫁だ。息子も産まれた。
こんな夫でもいずれペルデ公爵を継ぐのだ。しっかりと稼いで、役立ってくれるだろう。
美味しい食事があれば十分。公爵夫人や使用人達との関係も良好。多少、贅沢をしても金銭的にも困らない。
なんて幸せなんだろう。
それに離縁して、実家のアトス伯爵家に戻ったって、嫌味な姉が入り婿を貰って、両親の後を継ぐ為に領地経営を勉強中である。
そんな中、戻る事なんて出来るはずがない。
戻ったら、邪魔者として追い出されるだろう。そもそも受け入れられないだろう。
可愛い息子とも離れたくはない。
嫁いできた時に砕け散った恋心。
もう、二度と、元に戻る事はないだろう。
息子をあやす夫を見つめながら、ちょっと寂しく思いつつも、窓の外を見上げるウリーディアであった。
ウリーディアは息子一人を産んだが、結局、その後、ハルディオスとの褥を拒否した。
精神的に受け付けなかったのだ。
一人息子を可愛がり、しっかりと教育し、立派な後継者へと育て上げた。
夫ハルディオスは、事ある毎に謝って来たが、許すことも無く、年老いた公爵夫妻を看取り、一人息子が公爵位を継いだ後に、お金を貰って離縁した。
縋るハルディオスを振り切って、離縁してすっきりしたウリーディア。
小さな屋敷で過ごすウリーディアの老後は、人々に慕われ、色々な友人たちが訪れて、とても幸せそうだったと伝えられている。
それとは対照的にハルディオスは誰からも慕われず、一人寂しく老後を過ごしたと言われている。