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あなたに纏わりつくウワサ

 言いながら珠恵さんは、ノートパソコンを開いた。これから事務仕事をするつもりだろうか。こんなにぐったりと疲れた様子なのに。パソコンを前にして珠恵さんは深いため息をひとつ吐き、素早くキーを叩いた。

 テレビ画面に8コマの画像が映し出された。エルマートの店内と周辺に設置された防犯カメラのものだった。

 

 店内カメラの四番目のコマには、レジに立つエルくんが映った。珠恵さんが着ているのと同じ、サーモンピンクとアクアブルーのユニフォーム姿で接客中だ。わりと可愛い二人の女子中学生を相手に、にこやかな笑顔で楽しそうに、なにか喋っている。こんなふうに店内カメラの映像を通して、勤務中のエルくんを見る機会は時々あった。


 そのたびに、わたしはちょっと驚いてしまう。最後に会ったときのエルくんは、細身でしなやかな体形のイケメン青年だった。あれから十三年と数か月の歳月が過ぎ去った。それなのに、店内カメラの映像で見るエルくんは、いまも充分に細身でしなやかな体形のイケメン青年に見えるのだ。


 もしかしたら、旧型カメラの低画質な映像を、わたしの鮮明すぎる記憶が上書きしてしまい、見たいものを見たいように見せているだけかもしれない。だとしても、まもなく四十歳になるはずのエルくんが、二十代半ばの当時と変わらぬ青年のように見えるなんて。そのことが、わたしはやっぱり不思議でならない。


 この十三年と数か月の間に、わたしはエルくんと直に会ったことが一度もなかった。わたしがいる三階のこの部屋に、エルくんは決して上って来ないから。稀に、深夜の一人勤務を避けられなかった折には、不安そうな目つきで店内カメラを見上げたり、背後の階段を何度もチラ見したりして、三階にいるわたしを意識したような素振りを見せることはあったけど。


 そんなにビビらなくたって大丈夫だよ。思わずそう言ってあげたくなった。でも、わたしは三階のこの部屋から出ない。二階の調理場や一階の店舗へ、ひとりで階段を下りて行ったりはしない。というか、できない。もちろん、外へ出るなんて論外だ。


 わたしはただ、三階のこの部屋にいるだけ、珠恵さんが来てくれるのを待っているだけだ。外国映画のDVDと新しい端切れドールとエルくんの店内カメラ映像。そればかりを待っている日々。


 互いに小突き合ったりクスクス笑ったり、にぎやかでわりと可愛い女子中学生の二人連れはようやく帰った。バイバイ。おどけた笑顔で手を振ったエルくんに、二人は競い合うように手を振り返した。絵に描いたような天真爛漫と幼さ。それこそ、エルくんの大好物だ。


 自動ドアが閉まった。エルくんのヒトタラシな笑顔もピタリと閉じて、消え去った。腕時計を見てから四番カメラを見上げたその顔は、眉をひそめた渋面だった。おそい。その唇が動いた。珠恵さんの休憩時間終わりが遅いと、苛立っている顔だった。


 ところが、いつもと違って珠恵さんは動じなかった。

「いいじゃないの、たまにゆっくりしたって。ふだんの休憩が短すぎるのよ。そもそも私は働きすぎだってことに気づきなさいよ、このドラ息子が」


 四番カメラのエルくんに向かって、聴こえもしない悪態をつき、ペースダウンしたままだった。左手で作りかけの端切れドールをもてあそびつつ、右手はマウスを操作する。


 八番目のカメラの映像がクローズアップされた。裏の通用口を外から監視しているカメラだ。時刻は午後十時過ぎ、日付は先週の日曜日だった。通用口から出たエルくんを待っていたように、女性が駆け寄った。二人とも表情は見えない。でも、体型と服装と仕草で、それがだれなのか見当はついた。


 タイトで短めなスカートにローヒールのパンプス、定番のトレンチ風コートを羽織った女性なんて、エルくんの周りには一人しかいない。ミサトさんだ。この十三年と数か月の間に、エルくんの身辺に二番目の大きな変化をもたらした女性だ。ちなみに、一番はだれかといえばもちろんこのわたし、メリだったけど。


 エルくんとミサトさんは、五年ほど前に結婚した。リキヤくんという男の子が生まれたが、二人はつい最近離婚した。高校教師であるミサトさんが、過疎化の進む遠い町の高校へ赴任になったこと、それがそもそもの発端だった。


 そんな僻地へ行かずに、退職して一緒に店をやってくれるよう、エルくんは望んだ。ミサトさんは悩んだ末に、リキヤくんを連れて過疎の町に赴任すると決めた。エルくんは烈火のごとくに怒り、力ずくでリキヤくんを取り上げ、隠した。やむなくひとりで過疎の町に赴任して行ったミサトさんが、こうして日曜日の夜に突然現れたのは、リキヤくんを取り戻すために違いなかった。

 

 八番カメラの映像のミサトさんは、真摯な態度でエルくんに懇願している。エルくんは言い返し、ミサトさんを押し退け、車に乗り込もうとする。自分も乗ろうとしたミサトさんと揉み合いになり、エルくんが本気の勢いで腕を振り上げたとき、駆けつけた珠恵さんが割って入った。ミサトさんは殴られずに済んだ。エルくんは急発進で走り去った。珠恵さんがミサトさんをなだめるように、何やら話しかけている。


〈二人がなんでモメたのかわかるわ、リキヤくんのことでしょ〉

 

「そうなのよ。あの子がリキヤを置いて行けって言い張ったから、私もつい加勢したんだけどね。面倒みるのは100パーセント私だった。この年になってまた子育てと店の両方をやるなんて、やっぱりムリだと思い知ったわ。あのとき、ミサトさんにリキヤを返してあげればよかった。今更だけど、つくづくそう思ってるのよ」


 だから珠恵さんはこんなに疲れているのかと、わたしは腑に落ちた。テレビ画面にスマホサイズの映像が映った。リキヤくんだ。四歳になったエルくんの息子は、エルくんとそっくりなヒトタラシの笑顔をスマホの持ち手に向けていた。


 そこは、二十四時間託児可能な無認可保育所だった。リキヤくんをそこに預ければ、珠恵さんは助かるけれど出費が痛い。毎日はムリだった。ところが、エルくんは頑として自分の主張を曲げない。リキヤくんの存在がだんだんと重荷になってきたいまも、ミサトさんに返すつもりは毛頭ない。なぜなら、口惜しいからだ。


「どうして殺したの?って、訊きたかったんでしょ、メリちゃん」


 珠恵さんは、またあの映画のことを話しているのかと思った。でも、違った。いちばん訊きたかったこと、エルくんがわたしを殺したのはなぜか、珠恵さんなりに考え抜いた結果を話そうとしていた。


「メリちゃん言ったよね。デザインの勉強をしに東京へ行くって」


〈すこしちがう。いつか行きたいと思ってるって、話しただけ〉


「あら。行き先とかいつ行くとか、決まってたんじゃないの?」


〈全然。どうやったらいいのかわかんなかった。わかんないから、だれかと話したかった。エルくんに聞いてもらいたかったの〉


 珠恵さんは両手で顔を覆い、こめかみを強く押さえた。ややしばらくの間、その姿勢で静止していた。


「まあ、あの子にとっては同じことね。メリちゃんが自分から離れて行こうとしてる。それしか、アタマに入らなかったんだわ」


 珠恵さんは端切れドールの束の中から、作りかけの一体を取り出した。まだ髪も衣装もつけていない、裸の赤ん坊のようなドールを撫でたり擦ったりするだけのその姿は、どこかうわの空だ。


「私がこんなふうに端切れのドールを作っては、ひとつ残らず取っておきたいのとおんなじかもね。あの子は好きになったメリちゃんを、絶対手放したくなかったのよ。自分から逃げようとしてると思ったら、それだけでゆるせなくなった。怒りまくってアタマに血がのぼって、傷つけてしまった。ごめんね、メリちゃん。こんなバカな息子で」


〈珠恵さんだって、エルくんを手伝った。わたしの身体を隠して、エルくんのしたことを全部、隠してあげた〉


「そうね。だからあの子は疑われたけど、捕まらずにすんだ。エルマートのエルくんのままでいられた。結婚して父親にもなった。なのに、結果オーライじゃない。むしろ、悪くなってきたわ。


 なぜかって言えば、ウワサがついてまわってるからよ。エルマートの息子は人の娘を殺したくせに、のうのうと結婚して子どもを作って父親ヅラしてるって、言いふらしてる人がいるし。まあ、その通りなんだけどね。ミサトさんが出て行った本当の理由は、それだったみたいだし。そりゃ、ムリもないけどね。


 それやこれやであの子、だんだん荒れてきて、またDV男になり下がってきたわ。私、もう疲れちゃって、どうしたらいいかわからないのよ」


 別のスマホ映像の中で、リキヤくんの笑顔がくしゃりと歪んだ。次の瞬間には殴り飛ばされ、画面の枠から外れ落ちた。激しく泣きじゃくる声。合間に聴き取れた、低いつぶやき。

『クソガキが』

 憎しみに満ちたエルくんの声、エルくんがエルくんでなくなったときの声だ。映像は途切れた。


 珠恵さんはすっくと立ち上がり、宣言した。まるで、自分に言い聞かせるような口調だった。

「決めた。あのねメリちゃん、私リキヤをミサトさんに返すわ。あの子には内緒で、これから返しに行く。あそこの町はだいぶ遠いし、飛ばしても二時間くらいはかかりそうだけど。メリちゃんはどうする?」


〈どうするって、なにを?〉


「だから。一緒に行く?それとも、ずっとここにいる?」


〈ここにいなさいって、珠恵さんがわたしに言ったでしょ。だからわたし、どこへも行けないのに〉


「あら。そうだった?じゃあ、もういいのよ、メリちゃん。これからは、好きなところへ行っていいの。けど、私はしばらく戻って来られないかもしれない。ていうか、いつ戻れるかわからないわ。あの子、カンカンに怒るだろうし、怒ってるあの子はほら、ちょっとアブナイ奴になるから。知ってるよね?」


〈うん。よく知ってる。エルマートはどうするの?〉


「あいつがなんとかやるでしょ。やれなかったら、それはそれでしょうがないわ。だって、いちばん大事なことは店じゃないもの。そうでしょ?」


 そうね。

 いちばん大事なことはこの店にない。その通りかもしれない。

 だから、珠恵さんと一緒に行こうとわたしは思った。端切れドールたちの行列の先頭にいる子を、ひとりだけ連れて。


 珠恵さんは非常用の外階段を使い、こっそりと駐車場に降りた。エルくんに気づかれることなく、十年来の愛車であるステップワゴンに乗り込んだ。

そして真っ先に、わたしの居場所を決めてくれた。バックミラーとドライブレコーダーを合体させている頑丈なクリップに、端切れドールのわたしをくくりつけた。


 少し色褪せた紺色のブレザーに、赤色が消えかけたチェックのマフラーとひだスカート。遠い昔のわたしの姿を模したドール。これこそが、わたしそのもの。

伸ばしかけの黒い髪がステップワゴンの揺れにつられ、顔のまわりで大きく揺れた。後で珠恵さんに頼んで、髪を三つ編みかポニーテールにしてもらわなくちゃ、と思う。


 車道に出て信号待ちをするステップワゴンのサイドウィンドウを透し、店内にいるエルくんの姿が見えた。案外テキパキと、商品の補充作業をしていた。


 わたしは思わず、かつて大好きだったその顔を、強く見つめた。するとその目が上に向き、珠恵さんのステップワゴンに気づいた。あっと驚きの表情に変わったエルくんは、出入り口に走った。


 ほぼ同時に、ステップワゴンも発進した。珠恵さんは固い表情で、まっすぐ前だけを見ていた。そのまま予定通りにステップワゴンを走らせる。まずはリキヤくんを預けた保育所へ。それからミサトさんの赴任先の高校がある遠い町へ。目的に向かって走り抜こうと、決意を固めていた。


 でもね。

 私はふっと、気づいた。

 このドライブは家族だけの道行き、ひたすら家族だけの親密な時間を得るために決行されるのだ。家族のくくりの中に、わたしは含まれない。わたしの居場所は、やっぱりどこにもない。


 次の信号で止まったとき、歩道上に点在するアジサイ花壇と、咲き誇る色とりどりの花々に目を惹かれた。次いで、花壇の合間にたたずみ、おしゃべりに余念のない二人連れに気づいた。


 エルマートの四番カメラで見た、女子中学生だった。エルくんと楽しそうに笑い合い、じゃれ合っていた女の子たち。エルくんの大好物。昔々のわたしが、そうだったように。


 次にステップワゴンが発進したとき、わたしはもう、その中にいなかった。ルームミラーにくくり付けられた、端切れドールのわたしだけが、車体と一緒に揺れているはずだ。珠恵さんは気づくだろうか。たぶん。きっと。しばらくは気づかない。


 珠恵さんはわたしをステップワゴンに乗せて、遠くの町へ連れて行くつもりだと言った。エルくんから離れた、遠いところへ。

 そして、棄てるのだ。

 かつて、山道の崖下にわたしの身体を隠し、棄てたように。いま、珠恵さんの心の中は、悔いと焦りでいっぱいだ。


 こんなものを残しておいたから。悪いウワサがいつまでも鎮まらず、せっかく調った新しい家族の間に亀裂が入ってしまった。メリという子の情念が取りついたこんなドールを、供養のつもりで作ったのが大きな間違いだった。


 これがあるせいで。

 バカ息子はいつまで経っても悪意に満ちたウワサに憑りつかれ、気に病んで、バカが治らない。とうとう血を分けた小さな子どもにまで、手を挙げる大バカ者になり下がり、とことん狂ってしまった。このドールのせいだ。こんなものは、始末しなくちゃならない。


 珠恵さんの心にある嘆きと呪詛が、わたしには手に取るようにわかった。







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