アイデンティティークライシス1【慶視点】
(声をかけてあげた? 人をアクセサリーみたいに扱いやがって。どれだけ上から目線なんだ、あいつ……)
慶は自分が「ハーフ」と呼ばれることが好きではない。「半分だけ日本人」とか、「半端者」と呼ばれているような気分になるからだ。使っている方にとっては、日本人と外国人の間に生まれた子供を表す言葉くらいの認識で、悪意がないのが分かっているから、いちいち反応はしていないが、内心もやもやしている。
幼い頃からひと目で外国人の血が混じっていることが分かる顔立ちをしていたため、通っていた保育園のお母さん方に「やっぱり、ハーフはかわいいわね」と注目を浴びてきた。ハーフだからといって、必ずしも美形に生まれるわけではない。外国人にも色々な容姿の人がいるし、たまたま慶の両親の遺伝子の組み合わせが、現代日本で美しいとされる容姿を構成したに過ぎないのだ。そして、それは逆に、「ハーフなのだから、かわいいのは当然だ」という先入観の現れでもあると、慶は思っている。
物心ついた頃から、慶は悪意と称賛が入り混じった過剰な反応を見てきた。とりわけ、ものの分別のつかない子供は異質だと捉えた存在に対して容赦がない。小学校に上がってからはクラスメイトに「外人」、「国に帰れ」、「気持ち悪い」と侮辱されることは度々あった。特に慶のきついくせ毛は「鳥の巣」だの、「変な色の変な頭」だのと罵られる事が多かった。
余談だが、何も言い返さない慶に業を煮やして、朋が相手と口喧嘩することも多かったのが、朋が「男女」と揶揄されることになった原因のひとつである。
他人から向けられていた好奇の目に加えて慶の心を抉っていたのは、身内からの悪意のない興味でもあった。父親の出身地がアメリカでも田舎とされる中西部で、アジア人は珍しかったせいもあり、父の里帰りに同行すれば、親戚一同から「やっぱりアジア人の顔立ちだね」と言われ、反対に、日本の親戚たちからも「やっぱり、アメリカ人ぽい顔をしているね」と言われる。まるで間違い探しでもしているかのように、具体的に慶の顔のどのパーツが自分たちと違っているのかで盛り上がるのだ。
外見だけに限らず、アメリカと日本の文化が混じった環境で育ったため、家族に対する愛情表現がストレートであることなども奇妙に映るようで、日常的に家族に愛情表現をしていることを、日本の親戚には「やっぱり半分アメリカ人なだけある」と言われるのだ。違いを指摘されるたび、自分はアメリカにも日本にも属せない半端者であるのだと感じた
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