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境界線で君を待つ  作者: 柏井清音
終章
53/57

エピローグ

 そこには、何も残されていなかった。


 ツタの絡まった廃屋も、錆びついて外れかかった門扉もなく、ただ伸び放題の雑草が、がらんどうの空地を埋めている。

 頭の中では真っ暗に澱んでいた空も、実際には青空が広がり、柔らかな風が近くに生えた金木犀の匂いを運んてくる。


 ここまでに至る道は苦痛だった。一歩踏み出すたびに呼吸が荒くなり、背中に汗が浮かび、体が小さく震えた。

 それでも、横を歩く慶が支えてくれた。腕に縋りつく朋に嫌な顔ひとるせず、ゆっくり一歩一歩、歩いてくれた。


「本当に、もう、ここにはないんだな」

 ぽつりと零した声に、傍らに立つ慶が頷く。


 目を閉じれば、まだここに捉われた自分がいる。しかし、もうそれも長くは続かないだろう。

 明日、朋は母と一緒に心療内科を受診することになっている。

 今日は自分の中の恐怖と向き合うため、そして自分の中で区切りをつけるため、どうしてもここへ来てみたかったのだ。


 ここまでの道中、慶は何度も本当にいいのか、引き返した方がいいのではないかと朋に訊ねたが、朋は足を止めなかった。


「慶がいたから、ここまで来れた。ありがとうな」

 風に揺れる空地の雑草を見つめながら、縋りついていた慶の腕を放す。まだ少し震えている手を、ぎゅっと握りしめた。

「ん」


 慶は横目で朋を見やってから、静かに空地を見下ろした。しばらくお互いに無言で立ち尽くす。

 目を瞑り、縮こまって震えている小学生三年生の自分へ手を差し伸べた。


 ――迎えに来たよ。一緒に帰ろう。


 あの日の呪いは、確かに自分を苦しめた。しかし、もう恐れなくていい。明日から徐々に消していくのだから。誰でもない、自分の手で。


 恐怖に濡れたうつろな瞳が、高校生の朋を見上げた。小さな手は震えながらも、しっかりとこの手を掴んだ――気がする。


 ふっと、口の端を引き上げて笑った。


 慶は一瞬朋の表情に瞠目したが、目元を和らげて無言で朋の手を取る。


「行こうか」

 朋は慶の手を引いた。


 二人並んで、ゆっくりと歩き出す。

 吹き抜けた穏やかな風に、目を細めた。



 家までもう少しのところで、慶がぽつりと呟いた。

「……俺、高校卒業したら、少しアメリカに住もうと思ってるんだ」

「えっ!?」

 驚いて慶を振り返る。慶は真剣な眼差しを向けてきた。

「あっちの大学に進学するってことか?」

 慶は小さく首を振った。

「そんなに長く住む予定はないけど……。そうだな、三か月くらい。場合によってはもう少し長くなるけど。あっちでバイトでもしようかと」

「そっか……」


 日本とアメリカ両方の国籍を持っている慶は、二十二歳になるまではどちらか一方の国籍を選択する必要はない。そのためアメリカに滞在するためのビザは必要なく、就労も可能だ。日本国籍しか持っていない朋にはない選択肢だった。


「前に、安達先輩と話してた時に、言われたんだ。俺は日本とアメリカ両方の文化に触れることができる環境にいるから、それが有利に働くこともあるんじゃないかって。俺は物心ついた時にはもう日本で生活していたから、あっちで暮らすってどういうことなのか知らないし、経験してみたいと思って」

「そっか、いいと思う。……お前、いい意味で変わったな」


 以前の慶なら、こんな風に前向きな発言はしなかっただろう。あの熱い男は、慶にいい変化を与えてくれているようだ。

 離れている間は少し寂しいかもしれないが、慶にとっては素晴らしい経験になるのではないだろうか。それなら、快く送り出してやりたい。


「ふふ、まさか、お前から安達先輩の話が出てくるとはな」

 ふにゃりと笑うと、慶は苦笑した。

「まあ、あいつの影響っていうのが、ちょっと気に食わないけど」

「お前、まだそんなこと言ってんのかよ」

 ひとしきり笑って、慶は繋いだ手を握る力を、ほんの少し強めた。


「……朋に会えない間は寂しいけど、ビデオ通話とかあるし」

「そうだな。まあ、まだ二年くらいあるし。それに、ちょっとの間離れてたって大丈夫だよ。あたしたちはずっと一緒だろ?」

「うん、ずっと一緒だよ」

 慶は幸せそうに口元を緩めた。

 二人の未来に、お互いが当然のように出てくることが、嬉しくもあり、こそばゆくもある。

  

 たまに喧嘩したりもするだろう。けれど、ゆっくり歩いていこう。


 ――二人一緒なら、どんなことも、乗り越えていけるから。

本編はこれで完了です。

読んでくださって、本当にありがとうございました!

番外編で朋と慶がアメリカへ行く話が続きます。

誤字脱字は見つけ次第修正していきます。

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