言い訳も理屈もいらない
「ついに! 彼氏が! できましたぁぁ!!」
興奮したまな美の声が、海風に攫われていく。近くを歩く人々がぎょっとして振り返るような大声に、朋と和枝は苦笑した。
真夏に比べてマシになったものの、しつこく暑さが残る9月下旬の週末、朋たち三人は港区にある台場まで買い物に来ていた。ついでにお台場海浜公園に寄って、浜辺をぶらぶらしていた最中の出来事だった。
「おお、すげえな、おめでとう!」
「やったじゃない。バイト先の人?」
「ううん、安達先輩の友達。夏休みの花火大会で出会ったんだよ~!」
きゃあきゃあと悶える。元気で大変よろしい。
きっと、猛攻撃を仕掛けていた柔道部っぽい男のことだろう。見事、射止めたようだ。
花火大会と聞いて、朋の胸がずしりと重くなった。あれから、もう一か月以上経つが、未だに朋は慶を避け続けているのだ。
苦いものを胸の奥に押しやって、明るい口調を心がけた。
「そっか、あの人か!」
「あの日連絡先交換して、その後何回か会ったんだけど、ついに昨日、付き合おうって言われたの!」
「良かったなぁ。これからイベント多いし、楽しく過ごせそうで何よりだよ」
「そうなの! もうすぐハロウィンだし! 二人で仮装してテーマパークへ行こうかな!? きゃあああ、めっちゃ楽しみ!!」
「そういえば、最近店頭にハロウィングッズが並んでいるのを、よく見かけるわよね」
夕日が空をオレンジ色に染める。夜が忍び寄ってくるのを眺めながら、三人は砂浜に腰を下ろして、海の方を眺めた。
「ハロウィンの後は、クリスマスでしょ? 彼氏にプレゼント渡すの、漫画で読んでずっと憧れてたんだ!」
うきうきしているまな美が微笑ましい。まな美は人一倍、彼氏という存在を欲していたから、喜びもひとしおだろう。
「和枝もハロウィンとかクリスマスは彼氏と何かするのか?」
「ハロウィンは特に何もしないかな。せいぜい、パンプキン味のコーヒーを飲んでみたりするくらい。クリスマスは一緒に過ごすと思うけど」
「そっかあ。まあ、クリスマスに彼氏がいれば、そりゃデートするわな」
「朋と慶君はいつもどうやって過ごしてるの?」
まな美の質問に、ドキリとする。和枝がまな美の脇を軽く小突いたのが見えた。
「うーん……。あたしらは別に、付き合ってねえから……。でも、小学生の頃は、ヘイグランド家の友達の家でハロウィンパーティーとかやってたから、あたしも一緒に行ってお菓子とかもらってたな」
「へえ~、いいわね。楽しそう」
「うん、楽しかったよ。子供たちは皆、仮装して行ってた」
あの頃は、毎年夏頃になると、慶と恵瑠と三人で、どんな仮装をしようか話し合ったものだ。今では自分たちも大きくなってしまったので、家族ぐるみでハロウィンパーティーはやらなくなってしまったけれど、あの和気あいあとした雰囲気は好きだった。
「クリスマスは?」
「クリスマスは、慶たちはアメリカに帰ることが多かったからな。あっちでは基本的に、クリスマスは家族で過ごすものらしいぞ。日本の正月に親戚一同が集まるのと同じ感じらしい」
慶たちがアメリカに帰省しなかったクリスマスは、ヘイグランド家は御馳走を作って祝っていた。朋も呼ばれて、ケーキ持参で行ったことがある。
様々なイベントを思い返して、改めて実感した。
――思い出のあちこちに、慶が登場する。
物心ついてからの季節のイベントには、必ずと言っていいほど、慶が側にいた。
(ああ……、本当に、慶とあたしは、いつも一緒だったんだな)
離れてみたからこそ、気付いた。慶が朋の人生において、どんな存在だったのか。
お互いにとって、空気のような存在だったと思う。一緒にいて違和感を感じず、しかし、なくては生きていけない、そんな存在。
――それなのに。どうして、今、隣に慶がいないのだろう。
(あたしが、それを望んだから……)
時間が欲しかった。自分の心を顧みる時間が。自分が出した答えによっては、永遠に慶を失ってしまうかもしれない。だからこそ、決断を先送りにしたかった。感情も思考も絡まった糸のよう。慶の気持ちを受け入れる覚悟はあるのか。慶を解放し、ひとりで生きていく覚悟があるのか。何度自分に問いかけても堂々巡りで、いつまで経っても、答えが出せないでいる。
――自分は一体、どうしたいのだろう。
俯いて物思いに沈んでいると、まな美が感嘆の声を上げた。
「わあっ! すごい!」
我に返って顔を上げると、視界いっぱいに、キラキラ輝くものがあった。
「さすがデートスポットね!」
「うわあ……」
目の前に広がる夜景に息を呑んだ。
昼間は無機質で硬質な雰囲気を纏っているビル群やレインボーブリッジが、今は深紫のビロードの上に並べられた宝石のように、キラキラと光り輝いている。暗い東京湾は鏡面のように光を反射して、色とりどりに染まっていた。
あまりの美しさに、朋はほう、と溜息を吐いた。
「すっげえ!! 綺麗だな、け――」
傍らを振り返って、ハッとする。そこに座っていた和枝がきょとんとした顔で朋を見返していた。
――ああ、慶は、いないのだった。
胸にぽっかりと穴が開いたような感覚に、息を呑む。
和枝は苦笑して、綺麗ね、と応えた。こういう時に、突っ込まないでくれる和枝の気遣いがありがたい。
「きゃ~! 写真撮って、SNSにあげよう! 今度は彼氏と観に来たいなあ!」
まな美がうっとりと言いながら、バシバシと写真を撮りまくる。
珍しく、和枝もスマホを取り出して、数枚写真を撮っている。
「本当ね、こういう感動って、大切な人と分かち合いたいわよね」
和枝の言葉が、ストンと腑に落ちた。
――ああ、そうか。慶だからだ。
いつも、感動を分かち合ってきたのは、慶だった。横に慶が立っていて、朋の言葉を静かに聞いてくれた。それが、当たり前の光景だった。
しかし、当然だからという理由で一緒にいたわけではなかったのだ。綺麗な景色、美味しいもの、何気ない日常で見つけた様々な感動を、慶と分かち合うのが幸せだった。慶だから、分かち合いたかった。
どんなにくだらないことでも馬鹿にしないで聞いてくれる、穏やかな雰囲気が心地よかった。ふとした瞬間に向けてくれる、優しい眼差しが嬉しかった。慶ならば、どんな朋でも受け入れてくれるという確信があった。
思い出のありとあらゆる場面にいた、色とりどりの慶の表情が、走馬灯のように脳裏に浮かび、膨れ上がって――。
泡のように弾けた感情は、とてもシンプルなものだった。
――慶に会いたい。
胸がきゅっと音を立てた気がした。
今すぐ慶と話がしたい。仲直りのハグをして。慶の匂いを思いっきり吸い込んで、温かい毛布で包まれたような安心感を味わいたい。
これが恋なのか、愛なのか、別のものなのか、そんなことは、もう、どうでもいい。
この気持ちに、言い訳も理屈も必要ない。今ならそう、断言できる。
「朋……? 泣いてるの?」
和枝のびっくりしたような声で、自分の頬を濡らすものに気が付いた。
振り返ると、和枝もまな美も、目を丸くしていた。
朋は乱暴に両目を拭うと、震える声を絞りだした。
「あたし、今、めちゃくちゃ、慶に、会いたい」
和枝は僅かに眉を上げ、まな美は真顔からじわじわと笑顔になるという芸当を見せた。
「ふへへへへ、それって、す」
言いかけたまな美の口を、和枝の手が光速で塞ぐ。バチンと音がした気がする。
「そう、じゃあ、そろそろ帰りましょう。慶君、きっと待ってるわよ」
「うん、そうだな。ずっと、待たせちまった」
「あ~、ちょっと、待って!」
立ち上がって歩き出す。和枝から解放されたまな美が慌てて追ってくる足音が聞こえた。




